山城国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 18:26 UTC 版)
山城国 | |
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■-山城国 ■-畿内 | |
別称 |
城州(じょうしゅう) 山州(さんしゅう) 雍州(ようしゅう)[1] |
所属 | 畿内 |
相当領域 | 京都府南部 |
諸元 | |
国力 | 上国 |
郡・郷数 | 8郡78郷 |
国内主要施設 | |
山城国府 |
1.(推定)京都府木津川市 2.(推定)京都府京都市右京区 3.(推定)京都府長岡京市 4.(推定)京都府乙訓郡大山崎町 |
山城国分寺 | 京都府木津川市(山城国分寺跡) |
山城国分尼寺 | (推定)京都府木津川市 |
一宮 |
賀茂別雷神社(京都府京都市) 賀茂御祖神社(京都府京都市) |
「山城」の名称と由来
「やましろ」は、古くは「山背」「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。
この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている[2]。
延暦13年11月8日(794年12月4日)の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から「山城国」に改称した。これが「城(ジョウ、き)」という字を「しろ」と読む原因となった(詳細は日本の城を参照)。 平城京時代の木簡を見る限り「山代国」・「山背国」の表記は並存していたと見られている。
領域
- 京都市の大部分(右京区京北各町・左京区広河原各町を除く)
- 向日市
- 長岡京市
- 乙訓郡大山崎町
- 宇治市
- 久世郡久御山町
- 八幡市
- 城陽市
- 綴喜郡宇治田原町・井手町
- 京田辺市
- 木津川市
- 相楽郡精華町・和束町・笠置町・南山城村
歴史
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(495村・221,054石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。幕府領は京都代官が管轄。下記のほか、個人の領地や寺社領も点在した。
- 愛宕郡(93村・26,258石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、社家領
- 葛野郡(82村・35,656石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、雑色領、地下役人領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、社家領
- 乙訓郡(52村・25,792石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、北面衆領、幕府領、京都守護職役知、旗本領
- 紀伊郡(33村・27,632石余) - 皇室領、宮家領、門跡領、公家領、女官領、地下役人領、北面衆領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩
- 宇治郡(43村・15,153石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、旗本領
- 久世郡(39村・28,420石余) - 皇室領、門跡領、公家領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩、大和小泉藩
- 綴喜郡(59村・24,804石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、旗本領、淀藩
- 相楽郡(94村・37,337石余) - 皇室領、門跡領、公家領、女官領、幕府領、京都守護職役知、旗本領、淀藩、武蔵岩槻藩、伊勢津藩、伊勢久居藩、大和柳生藩、大和小泉藩
- 慶応4年
- 明治3年5月20日(1870年6月18日) - 岩槻藩の管轄地域が京都府の管轄となる。
- 明治4年
国内の施設
宮
山城国内に設けられた天皇の宮殿(宮・京)は、次の通り。
- 筒城宮 (京都府京田辺市(八幡市)) - 第26代継体天皇
- 弟国宮 (京都府長岡京市) - 第26代継体天皇
- 恭仁京 (京都府木津川市) - 第45代聖武天皇
- 長岡京 (京都府向日市・長岡京市・京都市) - 第50代桓武天皇
- 平安京 (京都府京都市) - 第50代桓武天皇から第122代明治天皇
国府
国府所在地を記した文献は次の通り。
国府は数度変遷したと見られており、現在では次のように推定されている。
- 1. 相楽郡
- 2. 葛野郡
- 8世紀前半から延暦16年(797年)まで。京都府京都市右京区太秦と推定。
- 3. 乙訓郡
- 4. 乙訓郡
これらの度重なる移転は、遷都の影響とみられる[7]。
国分寺・国分尼寺
- 山城国分寺跡(京都府木津川市加茂町例幣・河原ほか、北緯34度45分56.21秒 東経135度51分46.25秒 / 北緯34.7656139度 東経135.8628472度)
- 山城国分尼寺跡(京都府木津川市加茂町法花寺野か、北緯34度45分25.1秒 東経135度50分39.6秒 / 北緯34.756972度 東経135.844333度)
神社
- 『延喜式神名帳』には、大社53座37社(うち名神大社23座16社)・小社69座59社の計122座96社が記載されている(山城国の式内社一覧参照)。
- また、他に宮中の36座(大30座・小6座)、京中の大3座が記載されている(宮中・京中の式内社一覧参照)。
山城国の一宮指定には地方諸国と異なって神祇官が関わっているとされている。11世紀末から諸国でそれぞれに一宮が成立していく中で、畿内ではそれに対応して12世紀になってから決められたと考えられる。
二宮以下は存在しない。
守護所
守護所は、当初、山城国守護を京都守護が兼任していたため、京都守護の御家人の館が当てられた。その後、六波羅探題が兼務するようになり、守護所も六波羅となった。室町時代に山城国を宇治川を境に上三郡と下五郡に分割して、それぞれに守護代を任ずるようになってからは、上三郡の守護所が宇治槙島に置かれ、下五郡の守護所が淀など数ヶ所に置かれた。
安国寺利生塔
- ^ 唐の首都長安の所在に由来。
- ^ 山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355
- ^ 『和名類聚抄 20巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)11コマ参照。
- ^ 『拾芥抄 3巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)52コマ参照。
- ^ 『節用集 易林本』(国立国会図書館デジタルコレクション)135コマ。
- ^ 『日本三代実録』貞観3年6月7日条。
- ^ 吉川真司「クニグニの形成」 朝尾直弘・吉川真司・石川登志雄・水本邦彦・飯塚一幸『京都府の歴史』山川出版社 1999年 47頁
- ^ 『日本中世国家と諸国一宮制』(2009年)索引p. 7。
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