艦容
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「インペラートル・ニコライ1世 (戦艦・初代)」の記事における「艦容」の解説
インペラートル・ニコライ1世は、船体前部にのみ主砲を有していた。想定戦術は主に砲撃によっていたが、衝角による突撃も念頭に置いていた。主砲の数を犠牲にしてまで中間砲と副砲の搭載が強く求められたのは、その戦術上の必要からである。艦首の衝角は、インペラートル・アレクサンドル2世と比べより顕著なものに改められていた。艦尾の上部構造物は提督用の船室となっており、広い内部空間に豪華な設備を有していた。これはあまり戦闘時に役立つ設計とはいえなかったが、インペラートル・ニコライ1世が長きにわたって過ごした平時には、この設備は外交目的の航海の際に存分に生かされた。また、速力は劣るものの航洋性はバルト艦隊の同時代の装甲艦と比べればずっと優れたもので、遠洋航海の際には重宝される存在となった。 武装は、1877年式30口径305 mmカノン砲を連装で収めた囲砲塔1 基を船体前部に搭載した。中間砲は1877年式35口径229 mm単装砲を4 基、副砲は35口径152 mm単装砲を8 基搭載したが、これらは速射砲でなかった。152 mm砲は、のちの改装の際にカネー式45口径152 mm速射砲に換装されている。また、舷側の副砲ケースメートのあいだやファイティングトップには、当時装甲艦の脅威と考えられていた対水雷艇防御用に37 mmおよび47 mmのオチキス式5砲身ガトリング砲が装備されていた。このガトリング砲を搭載した装甲艦は、インペラートル・ニコライ1世が最後となった。これらは、のちにより性能の安定した単砲身式の速射砲に換装された。水雷兵装は、合わせて6 門の381 mm水上魚雷発射管と2 基の254 mm魚雷投擲機が搭載されていた。 防御はそもそもあまり芳しいものではなかったが、ほかのロシア装甲艦の大方と同様、排水量が予定を超過したことから、舷側装甲の大半が水中に没してしまっていたと見られている。幸いにも、実戦ではこの欠陥に由来して撃沈されるというような事態には至らなかった。 アレクセイ大公肝煎りで設置された帆装は結局使われることがなく、ほかの機帆走艦におけるのと同様、20世紀初頭には撤去された。
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艦容
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「ニオベ (防護巡洋艦)」の記事における「艦容」の解説
竣工当時の本艦 艦首から撮られた練習巡洋艦に改装後の本艦 艦尾から撮られた練習巡洋艦に改装後の本艦 ドイツ海軍時代の本艦の船体形状は水線下に衝角を持つ平甲板型型船体を採用している。全く傾斜のない艦首甲板に「10.5cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で、1・2番主砲を並列配置で2基、その背後に中段に探照灯台1基を配置した単脚式の前部マストと、司令塔を組み込み、両脇に船橋をもつ艦橋が立つ。船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドを片舷3組の計6組により運用される。その舷側には舷側に等間隔に設けられた張り出しに片舷3基ずつ10.5cm単装砲が配置、2番煙突の背後の単脚式の後部マストが立ち、後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲が後向きに背負い式配置で2基の順である。 ユーゴスラビア海軍に売却後、本艦は砲術練習艦へと改装された。外観上の変更点は衝角のついた艦首は若干傾斜の付いたクリッパー型艦首へと整形され、武装は全て撤去されてシュコダ製「8.35cm(55口径)高角砲」を主武装として単装砲架で1基を配置、前部マストは三脚型に更新され、艦橋構造も大型化した。舷側甲板上には8.35cm単装高角砲が片舷2基ずつ配置された。簡素な後部マストも前部マストと同じく中段に探照灯台を配置した。後部甲板の中部に後向きの8.35cm単装高角砲を1基配置した。他に甲板上に4.7cm単装速射砲が4基と15mm単装機銃が2丁が装備された。イタリア軍に鹵獲され「カッタロ」と改名されてポーラ軍港でオーバーホールを受けた時に15mm機銃はブレダ社の2cm単装機銃2丁に更新された。更にドイツに鹵獲されて「ニオベ」に復した際にドイツ製2cm単装機銃が新たに追加された。
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艦容
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「シソイ・ヴェリキィー (海防戦艦)」の記事における「艦容」の解説
船体形状は「トリ・スヴィティテリア」よりも乾舷の高い平甲板型船体となっている。水面下に衝角を持ち、水面から垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の左右にオチキス 3.7cm回転式5連装ガトリング砲を1基ずつ計2基を配置し、艦橋の背後にミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために、遠くまで見回せる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦の多くに見られたマストの形態であった。 本艦のミリタリーマストは円筒状となっており、頂部と中段の二層式の見張り台が設けられており、下段部は10つの開口部から37mm(23口径)速射砲10基を配置した。後檣は単脚式である。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち習い、その外側は艦載艇置き場となっており、様々な大きさのボート・ダビッドにより水面に下ろされた。後部甲板上には30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。本艦の舷側のケースメイト(砲郭部)には15.2cm単装砲が片舷3基ずつ計6基と、その上部に砲門を空けて47mm(43口径)速射砲を単装で片舷2基ずつ計4基を舷側配置し、上部構造物の艦載艇置き場の脇に片舷3基ずつ計6基、艦尾側に左右1基ずつ計2基を配置した。
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艦容
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外観は低く、デザインの重厚さでは定評のあるドイツらしく、かなりどっしりとした安定感をかもし出している。船体は平甲板型で、艦首から新設計の「1934年型38cm(47口径)砲」を装備した1、2番連装主砲塔を背負い式に2基搭載、箱型の航海艦橋上の司令塔天蓋部には7m副測距儀が載り、航海艦橋の両脇には耳のように船橋(ブリッジ)を全幅一杯に張り出している。航海艦橋の上には戦闘艦橋があり天井に10.5m主測距儀(ダンケルク級戦艦の物と基線長は互角である)が装備されている。煙突の両脇には水偵や艦載艇を運用する為の梯子形状のクレーンを片舷1基ずつ計2基を配置した。煙突と単脚式の後檣の間には首尾線方向と垂直に伸びたカタパルトがあり、水偵は左右どちらでも射出が可能であった。後檣の背後には後部7.5m副測距儀が配置され、後部甲板上に3、4番主砲塔を背負い式に2基配置した。 なお、上記にて「ドイツらしく」と述べたが、ドイツ海軍はシャルンホルスト級以降の艦艇デザインを意図的に似せたものとしていた。従ってある世代の艦艇に対し似たようなイメージを抱くことは不自然ではない。これは戦場での誤認を狙っているが、実戦において効果も挙げた。デンマーク海峡海戦にて実際にイギリス側は先頭を走っていたアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」をビスマルクと誤認し、射撃を始めている。
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艦容
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「ノヴゴロド (砲艦)」の記事における「艦容」の解説
建造の最中、ポポフの設計案には、生物付着の害を減らすための木材と銅製の被覆を追加する改修がなされ、ノヴゴロドの直径は30.8mに増した。通常の搭載量では、艦の喫水は最大4.1m、常備排水量2,531tだった。乾舷はわずか46cmである。甲板は、中央上部に設けられた砲バーベットの方へと傾斜していた。この艦には、バーベットの前方部分に非装甲の構造物があり、乗員室の一部を収容していた。この艦の凌波性に関する当初の懸念にもかかわらず、ノヴゴロドは安定した火砲のプラットフォームであり、横揺れが7から8度を超えるのは稀だった。ずんぐりした船体形状のため、この艦は荒天下で速度を失った。1877年のある状況、ビューフォート風力階級8相当の嵐の中では完全に船足を失っている。条件によっては大きなピッチングを起こしてスクリューが水面から露出した。艦の外形に由来する最大の欠点として舵の利きが非常に悪かった。これは水流を邪魔したせいで、艦が完全な円を描くには40分から45分かかり、強い嵐の中ではほぼ操舵不能となった。このため対策として舵は固定して、回頭は機関出力の調整で行うこととしたが、結果として速度は低下した。乗員は士官と兵員合わせて151名だった。 この艦はベアード・ワークスが製造した6基の水平型複式蒸気機関を装備しており、各基が1軸のプロペラを駆動させた。使用する蒸気は8基の円ボイラーから供給された。機関は総計3,360ihp(2,510 kW)を出力し、この艦におよそ6.5ノットの速力を与えた。ノヴゴロドの推進機構は、未熟な作業能力と低品質な素材の結果、艦歴を通じて問題含みなことを露呈した。艦のずんぐりした船体形状は蒸気機関の効率の点で助けにはならず、艦の石炭搭載容量200tに対し、全速時の航続能力は480海里と並外れた消費になることを示した。後にはバーベット部分の中央ハッチに大型の換気カウルを設けたものの、艦歴全体を通じて換気の問題が生じていた。 ノヴゴロドは20口径の11インチ前装砲で武装していた。この砲は射程730mで11インチの装甲を射貫できた。これらの砲の222kgの砲弾は初速392m/sで撃ち出された。発射率は非常に遅く、1発当たり10分を要した。砲は個別に回転するターンテーブルに据えられており、これは独立して動くほか、相互に固定して旋回できた。各ターンテーブルは180度旋回に2分から3分を要した。1874年11月、砲撃試験ではターンテーブルの固定機構が弱すぎることが示された。砲の反動が回転を引き起こすことは有り得たため、艦全体が砲撃のたびに回転したという、しつこく語られる伝説が生じた。固定機構の強化によって問題は解決したが、伝説は引き継がれた。
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艦容
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「ベンボウ (装甲艦)」の記事における「艦容」の解説
船体形状は前級に引き続き乾舷の低い平甲板型船体となっている。水面から垂直に切り立った艦首水面下に衝角を持ち、平坦な艦首甲板上に41.3cmライフル砲を据えた多角形状に装甲を貼り合わせたバーベットが1基、その背後にから上部構造物が始まり、前部に司令塔の上に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋の背後に直列に並んだ2本煙突とミリタリーマスト1本が立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために、遠くまで見回せる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦の多くに見られたマストの形態であった。本艦のミリタリーマストは簡素な単脚式で頂部と中段の2段の見張り台が設けられており、4.7cm単装砲を配置した。 構造物の上は煙管型の通風筒が立ち並び、その外側は艦載艇置き場となっていた。艦載艇はミリタリーマストを基部とするクレーン1基と2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組により運用された。上部構造物の側面は厚さ152mmの鉄板が貼られ、帆船の舷側砲のように副砲の砲郭(ケースメイト)となっており、艦内に15.2cm速射砲が単装砲架で片舷5基ずつ計10基を搭載していた。 ミリタリー・マストの下に後部見張所で上部構造物は終了し、後部甲板上に後向きで2番主砲のバーベット1基が配置された。本艦の舷側のケースメイト(砲郭部)には舷側ケースメイト配置した。
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