インペラートル・ニコライ1世 (戦艦・初代)
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インペラートル・ニコライ1世(ロシア語:Император Николай Iイムピラータル・ニカラーイ・ピェールヴィイ)は、ロシア帝国で建造された戦艦である。ロシア帝国海軍では、当初は装甲艦(броненосец)、のち艦隊装甲艦(эскадренный броненосец)に分類していた。いわゆる前弩級戦艦である。艦名はクリミア戦争時のロシアの皇帝を讃えたもので、「皇帝ニコライ1世」という意味。ロシアでは外洋航海に適した最初の装甲艦のひとつで、ロシア艦隊の外国訪問の際にはしばしば旗艦を務めた。日露戦争の日本海海戦で大日本帝国海軍に鹵獲され、戦艦壱岐となった。
- ^ 改修後に記録した最大値。
- ^ 1905年に極東へ派遣された際には、744 名が乗艦していた。
- ^ 竣工時は、オチキス式47 mm回転砲身砲(ガトリング砲)10 門を舷側に装備していた。
- ^ 竣工時は、オチキス式37 mm回転砲身砲(ガトリング砲)8 門を、それぞれ4 門ずつ、前後檣のファイティングトップに装備していた。
- ^ a b コンパウンド・アーマー。
- ^ ケースメート。
- ^ なお、結局黒海艦隊はオープィトの機関を3 基ともバルト艦隊へ供出しており、それらは装甲巡洋艦ミーニン、エジンブールクスキー公、ゲネラール=アドミラールが旧式化した機関を換装する際に再利用された。
- ^ インペラートル・アレクサンドル2世で使用されたフード付き露砲塔と同様の形式と考えられる。
- ^ 現アドミラルテーイスキエ・ヴェールフィの一部。
- ^ 船の肋材を支える、肋骨の仮止め用の帯状の長い板。リバンド。
- ^ ストリンガー。
- ^ VIVOS VOCO: А.Н. Крылов, "Корабельный инженер-самоучка" (ロシア語)
- ^ 後装式のコールズ砲塔に準じた形式と見られる。
- ^ 前のインペラートル・アレクサンドル2世においてすでに帆装は縮小されていた。この艦は当初、当時の他艦と同程度に帆走を予定したが、設計の過程で想定を変更し、マストを縮小していた。
- ^ インペラートル・アレクサンドル2世級以前のバルト艦隊の装甲艦はいずれもブレストワーク・モニターに似た船体構造を持つ艦で、外洋での航海性能に限界があった。1896年にシソイ・ヴェリーキーが就役するまで、インペラートル・ニコライ1世はバルト艦隊で最も優れた航洋性能を持つ装甲艦であった。この航洋性能と優れた居住性のため、インペラートル・ニコライ1世はその時代において多くの外交任務に用いられることになった。
- ^ МорВед Броненосцы (1.01.1856 - 31.01.1892) (ロシア語)
- ^ 別の説では5 名が戦死、35 名が負傷となっている。
- ^ ロシア側の主張による。日本側の主張によれば、それらは十分戦える状態であったという。
- ^ https://www.sankei.com/article/20180805-DNA3PKZDBVJAPIDOHMM3RK6L3I/
- 1 インペラートル・ニコライ1世 (戦艦・初代)とは
- 2 インペラートル・ニコライ1世 (戦艦・初代)の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
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