西洋館
洋館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 03:49 UTC 版)
台南市に数多く現存する日本統治時代のレンガ建て建築物の中でも代表格となっている。 洋館は煉瓦2階建てで中央の本館が55坪、回廊は43.377坪、当時の金額で30,350円94銭を投じている(p24)。四面の外周がベランダ式回廊で囲まれるスタイル(コロニアルバンガロー、中華圏では外廊式建築と表記)はイギリスが熱帯あるいは亜熱帯の植民地でよく用いていた建築手法で、台湾では清朝末期の打狗英国領事館や淡水英国領事館(紅毛城)、同じ台南の旧英商徳記洋行(中国語版)、旧徳商東興洋行(中国語版)でもみられる(p17)。 拱廊(アーケード)で結ばれた東西2ヶ所に分類され、中間と両側は八角形を形成している。柱とアーチは閩南燕子磚が使用され(p39)、灰白色が使われ、細かな装飾がなされた残りの壁面とコントラストを成している。 室内の階段は木造で、手摺部分に細かな装飾が施されている(p35)。 室内の窓やドア上には細かな装飾が施された木製のカーテンボックス(上飾り)は特殊で珍奇なものとされている(p35)。正面入り口となる妻側上方には元はペディメント(circular pediment)があったが、破損により修復後はより簡素なものに代わっている(p27)。
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洋館
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1896年(明治29年)に竣工し、岩崎家の迎賓館として用いられた西洋館である。木造2階建、屋根はスレート葺き、外壁は下見板張りとする。お雇い外国人として来日し、独立後は三菱・岩崎家の仕事を数多く手がけたジョサイア・コンドルの設計である。 北面を正面とし、正面玄関部分は平面四角形の塔屋となっている。反対側の南面は1階、2階とも列柱のある大きなベランダを設ける。晩年の作品に比べると装飾性が強く、内外装とも全体のスタイルや装飾は英国17世紀のジャコビアン様式を基調としつつ、南面のベランダにはコンドルが得意としたコロニアル様式がよく表れている。一方、客室の天井装飾、床のタイル、暖炉などの細部にはイスラム風のデザインを施すなど様々な様式を織り交ぜている。岩崎久弥の留学先であったペンシルベニアのカントリー・ハウスのイメージも取り込まれている。なお、東側のサンルームは後年(1910年頃)の増築である。内部は階段ホールを中心に、1階には岩崎久弥が用いた書斎、客室、大食堂などがあり、2階には内向きの客室や集会室などがある。建設当時は多くの部屋や廊下の壁面に金唐革紙が貼られていたが、現在当時の壁紙は失われている。平成の修復に際して、2階の2部屋だけ金唐革紙が復元されている。 設計 - ジョサイア・コンドル 竣工 - 1896年(明治29年) 構造 - 木造2階建、煉瓦造地下室付、玄関部塔屋付、スレート葺 建築面積 - 531.5m2 なお、1915年(大正4年)にコンドルが作成した建替計画図が静嘉堂文庫に収蔵されている。鉄筋コンクリート造3階建・建坪348坪の大規模な洋館に立て替え、和洋併置をやめて家族の居室も洋館内に完結する計画であったが実施には至らなかった。
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洋館
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「バイオハザード アンブレラコア」の記事における「洋館」の解説
『バイオハザード』の舞台となったラクーンシティのアークレイ山地にあるアークレイ研究所。無料アップデートで7月7日に追加された。
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洋館
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「バイオハザード: ヴェンデッタ」の記事における「洋館」の解説
メキシコ・ケレタロ州の山奥にある洋館。アリアスの拠点。アリアスは事前に罠を仕掛けており、クリスを除く突入部隊は全滅した。初代バイオハザードに登場した洋館と似た構造をしているが、ジョージ・トレヴァーによる設計であるかは不明。
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洋館(私設図書館)
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今村敬輔が設計したこの洋館は、大正11年(1922年)の竣工で、秋田県内で最初の鉄筋コンクリート造建築物である。2017年に「旧池田家住宅洋館」の名称で国の重要文化財に指定された。 外壁は白磁のタイル張りで、御影石の基壇がめぐり、車寄せの柱には国外から取り寄せたと言われる白色大理石が使われている。洋館内の随所にシャンデリアがきらめき、貴重な高級壁紙金唐革紙が部屋を彩る、ルネサンス様式を取り入れた洋館である。
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洋館
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物語の舞台。ヨーロッパから移築された古い建物で、周囲には弟切草が生い茂っている。
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洋館
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「駒場公園 (目黒区)」の記事における「洋館」の解説
前田利為の本邸として1929年(昭和4年)に竣工。設計は東京帝国大学の塚本靖教授に依頼され、宮内省内匠寮の高橋貞太郎が実際の設計を担当した。 建築様式はイギリス・チューダー様式で、玄関ポーチの扁平アーチにもその特徴が見られる。震災後の設計であるため鉄筋コンクリート造とし、外壁を当時流行していたスクラッチタイルで仕上げている。内部はイタリア産大理石のマントルピースや柱、フランスの絹織物、イギリス製の家具などが配されている。完成当時は古今東西の美術品で飾り立てられ、個人の邸宅としては東洋一と評されたという。 設計 - 塚本靖・高橋貞太郎 施工 - 竹中工務店 竣工 - 1929年(昭和4年) 構造 - 鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階建、寄棟造(マンサード屋根)、尖塔3箇所、銅板葺 建築面積 - 978.25m2 延床面積 - 2,992.23m2 2018年(平成30年)10月27日、洋館がリニューアルオープン、レセプション・サロンコンサート・会議などの利用目的に整備。リニューアル記念行事として、「東京文化財ウイーク2018」行事が10月27日-11月4日間に開催され、東館と和館を結ぶ渡り廊下・東庭壁泉を特別公開する。
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洋館
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鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる木造2階建てでヴィクトリア朝住宅の様式を基調とした洋館である。外観の特徴として東北の隅に立つ4階建の塔屋や、庭園に面して多角形に張り出した1階のベランダと2階のサンルームがあげられる。コンドルが描いた当初の図面では塔屋は3階建だったが、「揖斐川を見渡せるように」との清六の意向で4階建てに変更された。また、内部のデザインは1階は洋風ながら、2階は洋間に和風の襖が設けられるなど和洋折衷で、押入れの中に収納棚を作り付けるなどの工夫がなされていた。現在、塔屋3・4階は非公開。
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洋館(大谷美術館)
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1917年(大正6年)5月竣工。延べ414坪。地上2階・地下1階。外観はスコティッシュ・バロニアル様式を目指したとされる。古河虎之助がコンドルに設計を依頼した時期や経緯は明らかではないが、1911年(大正3年)ごろ、洋館の設計がなされている。屋根はスレート葺き。煉瓦造の躯体を、黒々とした真鶴産の本小松石(安山岩)の野面積みで覆っているのが特徴的である。 南側の庭園から見た外観は、左右対称に近く、両脇に切妻屋根を据え、その間の部分は1階に3連アーチ、2階には高欄をめぐらしたベランダが設けられて、屋根にはドーマー窓を乗せている。全体的に野趣と重厚さにあふれ、スコットランドの山荘の風情である。内部に入ると、玄関扉にはステンドグラスが設けられ、古河家の家紋、鬼蔦のデザインが見られる。 1階は食堂、ビリヤード室、喫煙室などの接客空間ですべて 洋室である。大食堂の壁面は真紅の布張りで、大きな暖炉が設けられ、天井にはパイナップルやリンゴなど果物の装飾が見られる。応接室にはバラのモチーフが随所に配されている。 2階は家族の居室など私的空間で、ホールと寝室が洋室である以外はすべて畳敷きの和室である。ホールと各和室は洋風のドアで区切られた上、板の間の緩衝地帯があり、さらに障子や襖で区切られて和室空間に入るという構造になっている。仏間には前室との間に禅寺を連想させる火灯窓風の出入口がしつらえられている。また、客間は書院造である。コンドルの和と洋の共存への苦心が伺われる。同じコンドルの旧岩崎邸庭園が和室は和館、洋室は洋館という並列形式であるのに対し、洋館の中に和室が内蔵されているのが特徴である。 現在は公益財団法人大谷美術館が洋館の管理を行っている。洋館内部は1日3回、時間を決めて行われているガイドツアーに参加すると見学可能。本館部分の1階から2階までを解説付きで見学できる。(所要時間1時間、見学料800円入園料別)自由に内部の見学ができないので注意が必要。この見学会は往復はがきでの事前予約が原則だが、当日に予約の空きがあれば予約がなくても参加可能。ただし、バラの開花時期には予約が定員を超えることも多いので、予約をしておくと確実で待ち時間なく見学会に参加できる。 また、洋館1階の一部には喫茶室が設けられており、春と秋には窓越しにバラ園を望みながらお茶を飲むことができる。この喫茶室にも時間になると見学ツアーが入ってくるので、お茶を飲みながら説明の一部分をツアー参加者と一緒に聞くこともできる。また、結婚式やコンサートなどで洋館を貸し切ることも可能で、大正時代の瀟洒な洋館での記念行事は雰囲気が良く人気がある。文化財という場所柄の特別な条件や制約もあるが申し込みは誰でも可能で、諸条件は電話での問い合わせや実際に下見に行って聞くことができる(貸切日の洋館内部の公開は休止となる)。
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洋館(2階)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:20 UTC 版)
洋館は、1927年(昭和2年)に発生した丹後大震災の復興の最中、加悦町長で洋館建築に興味のあった第11代目庄蔵によって、当時、大林組設計部長であった今林彦太郎の助言・指示を仰ぎ、造られた。内装等は大阪髙島屋が担当した。当時の設計図等が残されており、椅子や机といった家財は11代目庄蔵による特注品とされる。 応接室 書斎 応接室 書斎 洋館ステンドグラス
※この「洋館(2階)」の解説は、「旧尾藤家住宅」の解説の一部です。
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洋館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 21:02 UTC 版)
シャー田一ホー助が事件の推理を行う際に名作たちを集めた洋館。崖の上にそびえたっている。所在は不明だが、昼休み中に行き来できる距離にある模様。第6期では中身がこの洋館と同じ一軒家が登場しているが、外見が登場しなかったため同一の洋館かは不明。
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