内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 08:55 UTC 版)
国務大臣 1924年(大正13年)1月7日任命。在職日数157日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣23 清浦奎吾 枢密院子爵 外務大臣28 松井慶四郎 (外務省→)貴族院男爵 初入閣 内務大臣35 水野錬太郎 貴族院無所属(交友倶楽部) 帝都復興院総裁 大蔵大臣24 勝田主計 貴族院無所属(研究会) 陸軍大臣17 宇垣一成 陸軍中将(陸大14期) 初入閣 海軍大臣10 村上格一 海軍大将(海兵11期) 初入閣 司法大臣27 鈴木喜三郎 貴族院無所属(研究会) 初入閣 文部大臣33 江木千之 貴族院無所属(茶話会) 初入閣 農商務大臣32 前田利定 貴族院無所属(研究会)子爵 逓信大臣28 藤村義明 貴族院無所属(公正会)男爵 初入閣 鉄道大臣4 小松謙次郎 貴族院無所属(研究会) 初入閣 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1924年(大正13年)1月7日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長25 小橋一太 衆議院(立憲政友会→)(無所属→)政友本党 法制局長官21 松本烝治 民間 事務引継1924年1月10日免 22 佐竹三吾 (鉄道省→)貴族院無所属(研究会) 1924年1月10日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他きそくいん貴族院 7 しゆうきいん衆議院 0 内閣書記官長 くんふ軍部 2 かんりよう官僚 1 法制局長官 そのほかその他 1 11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「清浦内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「清浦内閣」の記事については、「清浦内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 13:51 UTC 版)
国務大臣 1901年(明治34年)6月2日任命。在職日数1681日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣11 桂太郎 陸軍大将子爵 内務、文部大臣兼任 外務大臣17 曾禰荒助 貴族院無所属 臨時兼任(大蔵大臣兼任) 1901年9月21日免 18 小村壽太郎 外務省男爵 初入閣1901年9月21日任 内務大臣16 内海忠勝 内務省男爵 初入閣1903年7月15日免 17 児玉源太郎 陸軍中将男爵 台湾総督 1903年7月15日任1903年10月12日免 18 桂太郎 陸軍大将子爵 内閣総理大臣兼任 1903年10月12日兼1904年2月20日免兼 19 芳川顕正 貴族院無所属子爵 1904年2月20日任1905年9月16日免 20 清浦奎吾 貴族院無所属(研究会) 農商務大臣兼任 1905年9月16日任 大蔵大臣10 曾禰荒助 貴族院無所属 外務大臣臨時兼任農商務大臣兼任 陸軍大臣6 児玉源太郎 陸軍中将男爵 台湾総督 留任1902年3月27日免 7 寺内正毅 陸軍中将 初入閣1902年3月27日任 海軍大臣5 山本権兵衛 海軍中将(海兵2期) 留任 司法大臣11 清浦奎吾 貴族院無所属(研究会) 農商務大臣兼任 1903年9月22日免 12 波多野敬直 司法省 初入閣1903年9月22日任 文部大臣16 菊池大麓 貴族院無所属(研究会)男爵 初入閣1903年7月17日免 17 児玉源太郎 陸軍中将男爵 内務大臣兼任台湾総督 1903年7月17日任1903年9月22日免 18 久保田譲 貴族院無所属(研究会) 初入閣1903年9月22日任1905年12月14日免 19 桂太郎 陸軍大将子爵 内閣総理大臣兼任 1905年12月14日任 農商務大臣18 平田東助 貴族院無所属(茶話会)男爵 初入閣1903年7月17日免 19 清浦奎吾 貴族院無所属(研究会) 司法大臣兼任 1903年7月17日任 逓信大臣12 芳川顕正 貴族院無所属子爵 1903年7月17日免 13 曾禰荒助 貴族院無所属 大蔵大臣兼任 1903年7月17日任1903年9月22日免 14 大浦兼武 貴族院無所属 初入閣 1903年9月22日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1901年(明治34年)6月2日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長12 柴田家門 貴族院無所属 法制局長官9 奥田義人 農商務省 内閣恩給局長 留任1902年9月26日免 10 一木喜徳郎 貴族院無所属 内閣恩給局長 1902年9月26日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他きぞくいん貴族院 5 内閣書記官長国務大臣のべ6 ぐんぶ軍部 3 かんりょう官僚 0 をその他 1 法制局長官 9 国務大臣のべ10
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第1次桂内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第1次桂内閣」の記事については、「第1次桂内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:14 UTC 版)
「加藤友三郎内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1922年(大正11年)6月12日任命。在職日数440日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣 21 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)男爵 海軍大臣兼任 1923年8月24日死亡欠缺 外務大臣25 内田康哉 外務省伯爵 留任 内務大臣33 水野錬太郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 初入閣 大蔵大臣22 市来乙彦 貴族院無所属(研究会) 初入閣 陸軍大臣 15 山梨半造 陸軍大将(陸大8期) 留任 海軍大臣8 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)男爵 内閣総理大臣兼任 留任1923年5月15日免兼 9 財部彪 海軍大将(海兵15期) 初入閣1923年5月15日任 司法大臣24 岡野敬次郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 初入閣 文部大臣30 鎌田栄吉 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 初入閣 農商務大臣29 荒井賢太郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 初入閣 逓信大臣26 前田利定 貴族院無所属(研究会)陸軍中尉子爵 初入閣 鉄道大臣2 大木遠吉 貴族院無所属(研究会)伯爵 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内田外相の臨時兼任期間 1923年(大正12年)8月24日任命。在職日数10日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣- 内田康哉 外務省伯爵 臨時兼任(外務大臣兼任) 1923年8月24日任 外務大臣25 内田康哉 外務省伯爵 内閣総理大臣臨時兼任 留任 内務大臣33 水野錬太郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 留任 大蔵大臣22 市来乙彦 貴族院無所属(研究会) 留任 陸軍大臣15 山梨半造 陸軍大将(陸大8期) 留任 海軍大臣9 財部彪 海軍大将(海兵15期) 留任 司法大臣24 岡野敬次郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 留任 文部大臣30 鎌田栄吉 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 留任 農商務大臣29 荒井賢太郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 留任 逓信大臣26 前田利定 貴族院無所属(研究会)陸軍中尉子爵 留任 鉄道大臣2 大木遠吉 貴族院無所属(研究会)伯爵 留任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1922年(大正11年)6月12日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長23 宮田光雄 衆議院無所属(庚申倶楽部) 法制局長官20 馬場鍈一 (大蔵省→)貴族院無所属(研究会) 留任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他こうゆうくらふ公友倶楽部 4 けんきゆうかい研究会 3 法制局長官 こうしんくらふ庚申倶楽部 0 内閣書記官長 くんふ軍部 2 国務大臣のべ3 かんりよう官僚 1 10 国務大臣のべ11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「加藤友三郎内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「加藤友三郎内閣」の記事については、「加藤友三郎内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 02:38 UTC 版)
「第1次西園寺内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1906年(明治39年)1月7日任命。在職日数920日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣12 西園寺公望 立憲政友会侯爵 外務、文部大臣臨時兼任 立憲政友会総裁 外務大臣19 加藤高明 外務省 1906年3月3日免 20 西園寺公望 立憲政友会侯爵 臨時兼任(内閣総理大臣兼任) 1906年3月3日兼1906年5月19日免兼 21 林董 外務省子爵 初入閣1906年5月19日任 内務大臣21 原敬 衆議院立憲政友会 逓信大臣兼任 大蔵大臣11 阪谷芳郎 大蔵省 初入閣1908年1月14日免 12 松田正久 衆議院立憲政友会 司法大臣兼任 1908年1月14日任 陸軍大臣7 寺内正毅 陸軍中将 留任 海軍大臣6 斎藤実 海軍中将(海兵6期)男爵 初入閣 司法大臣13 松田正久 衆議院立憲政友会 大蔵大臣兼任 1908年3月25日免 14 千家尊福 貴族院無所属(木曜会)男爵 初入閣1908年3月25日任 文部大臣- 西園寺公望 立憲政友会侯爵 臨時兼任(内閣総理大臣兼任) 1906年3月27日免兼 20 牧野伸顕 男爵 初入閣1906年3月27日任 農商務大臣20 松岡康毅 貴族院無所属 初入閣 逓信大臣15 山縣伊三郎 内務省 初入閣1908年1月14日免 16 原敬 衆議院立憲政友会 内務大臣兼任 1908年1月14日任1908年3月25日免 17 堀田正養 貴族院無所属(研究会) 初入閣1908年3月25日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1906年(明治39年)1月7日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長13 石渡敏一 司法省 1908年1月4日免 14 南弘 内務省 1908年1月4日任 法制局長官10 一木喜徳郎 貴族院無所属 内閣恩給局長 事務引継1906年1月13日免 11 岡野敬次郎 農商務省 内閣恩給局長 1906年1月13日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他りっけんせいゆうかい立憲政友会 3 国務大臣のべ4 きぞくいん貴族院 1 ぐんぶ軍部 2 かんりょう官僚 3 内閣書記官長、法制局長官 をその他 1 10 国務大臣のべ11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第1次西園寺内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第1次西園寺内閣」の記事については、「第1次西園寺内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 21:23 UTC 版)
「第1次山本内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1913年(大正2年)2月20日任命。在職日数421日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣16 山本権兵衛 海軍大将(海兵2期)伯爵 外務大臣27 牧野伸顕 (外務省→)貴族院無所属男爵 内務大臣25 原敬 衆議院立憲政友会 大蔵大臣16 高橋是清 貴族院(無所属→)立憲政友会男爵 初入閣 陸軍大臣 10 木越安綱 陸軍中将(陸士旧1期)男爵 留任1913年6月24日免 11 楠瀬幸彦 陸軍中将(陸士旧3期) 初入閣1913年6月24日任 海軍大臣6 斎藤実 海軍大将(海兵6期)男爵 留任 司法大臣 18 松田正久 衆議院立憲政友会 1913年11月11日免[要出典] - 奥田義人 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 臨時兼任(文部大臣兼任) 1913年11月11日兼 19 奥田義人 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 転任1914年3月6日任 文部大臣 24 奥田義人 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 司法大臣臨時兼任 初入閣1914年3月6日免 25 大岡育造 衆議院立憲政友会 初入閣1914年3月6日任 農商務大臣24 山本達雄 貴族院(無所属→)立憲政友会 逓信大臣21 元田肇 衆議院立憲政友会 初入閣 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1913年(大正2年)2月20日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長18 山之内一次 内務省 法制局長官 15 岡野敬次郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 内閣恩給局長宮中顧問官 1913年9月20日免 16 倉富勇三郎 (司法省→)貴族院 1913年9月20日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他を立憲政友会 3 きぞくいん貴族院 3 法制局長官 ぐんぶ軍部 3 かんりょう官僚 1 内閣書記官長 10
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第1次山本内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第1次山本内閣」の記事については、「第1次山本内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 01:17 UTC 版)
国務大臣 1918年(大正7年)9月29日任命。在職日数1,133日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣 19 原敬 衆議院立憲政友会 司法大臣兼任 1921年11月4日死亡欠缺立憲政友会総裁 外務大臣25 内田康哉 外務省(子爵→)伯爵 内務大臣32 床次竹二郎 衆議院立憲政友会 内閣鉄道院総裁 初入閣 大蔵大臣21 高橋是清 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)男爵 陸軍大臣 14 田中義一 (陸軍中将→)陸軍大将(陸大8期)男爵 初入閣1921年6月9日免 15 山梨半造 (陸軍中将→)陸軍大将(陸大8期) 初入閣1921年6月9日任 海軍大臣8 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)男爵 留任 司法大臣22 原敬 衆議院立憲政友会 内閣総理大臣兼任 1920年5月15日免兼 23 大木遠吉 貴族院立憲政友会(研究会)伯爵 初入閣1920年5月15日任 文部大臣29 中橋徳五郎 衆議院立憲政友会 初入閣 農商務大臣28 山本達雄 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)男爵 逓信大臣25 野田卯太郎 衆議院立憲政友会 初入閣 鉄道大臣(鉄道省未設置) 1920年5月15日設置 1 元田肇 衆議院立憲政友会 1920年5月15日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内田内閣総理大臣臨時代理 1921年(大正10年)11月4日任命。在職日数10日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣- 内田康哉 外務省伯爵 臨時兼任(外務大臣兼任) 外務大臣25 内田康哉 外務省伯爵 内閣総理大臣臨時兼任 留任 内務大臣32 床次竹二郎 衆議院立憲政友会 内閣鉄道院総裁 留任 大蔵大臣21 高橋是清 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)子爵 留任 陸軍大臣 15 山梨半造 陸軍大将(陸大8期) 留任 海軍大臣8 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)男爵 留任 司法大臣23 大木遠吉 貴族院無所属(研究会)伯爵 留任 文部大臣29 中橋徳五郎 衆議院立憲政友会 留任 農商務大臣28 山本達雄 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)男爵 留任 逓信大臣25 野田卯太郎 衆議院立憲政友会 留任 鉄道大臣1 元田肇 衆議院立憲政友会 留任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1918年(大正7年)9月29日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長21 高橋光威 衆議院立憲政友会 法制局長官19 横田千之助 衆議院立憲政友会 内閣恩給局長 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 参政官 任命なし。1920年(大正9年)5月15日廃止。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他りつけんせいゆうかい立憲政友会 6 内閣書記官長、法制局長官 こうゆうくらふ公友倶楽部 2 くんふ軍部 2 国務大臣のべ4 けんきゆうかい研究会 1 かんりよう官僚 1 12
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「原内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「原内閣」の記事については、「原内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 00:06 UTC 版)
「第2次西園寺内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1911年(明治44年)8月30日任命。在職日数480日(第1次、2次通算1,400日)。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣14 西園寺公望 貴族院立憲政友会侯爵 立憲政友会総裁 外務大臣24 内田康哉 外務省子爵 初入閣 - 林董 外務省伯爵 臨時兼任(逓信大臣兼任) 1911年10月16日免兼 内務大臣23 原敬 衆議院立憲政友会 内閣鉄道院総裁 大蔵大臣14 山本達雄 貴族院無所属 初入閣 陸軍大臣 8 石本新六 陸軍中将(陸士旧1期)男爵 初入閣1912年4月2日死亡欠缺 - (欠員) 1912年4月5日まで 9 上原勇作 陸軍中将(陸士旧3期)男爵 初入閣1912年4月5日任 海軍大臣6 斎藤実 (海軍中将→)海軍大将(海兵6期)男爵 留任 司法大臣16 松田正久 衆議院立憲政友会 文部大臣22 長谷場純孝 衆議院立憲政友会 初入閣1912年11月9日免[要出典] - 牧野伸顕 外務省男爵 臨時兼任(農商務大臣兼任)枢密顧問官 1912年11月9日兼 農商務大臣22 牧野伸顕 外務省男爵 文部大臣臨時兼任枢密顧問官 逓信大臣19 林董 外務省伯爵 外務大臣臨時兼任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1911年(明治44年)8月30日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長16 南弘 内務省 法制局長官12 安広伴一郎 貴族院無所属(茶話会) 内閣恩給局長 1911年8月31日免 13 岡野敬次郎 貴族院無所属 内閣恩給局長 1911年8月31日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他りつけんせいゆうかい立憲政友会 4 きそくいん貴族院 1 法制局長官 くんふ軍部 2 かんりよう官僚 3 内閣書記官長 をその他 0 10
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第2次西園寺内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第2次西園寺内閣」の記事については、「第2次西園寺内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 00:08 UTC 版)
国務大臣 1908年(明治41年)7月14日任命。在職日数1,143日(第1次、2次通算2,824日)。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣13 桂太郎 陸軍大将侯爵 大蔵大臣兼任 外務大臣22 寺内正毅 陸軍大将子爵 臨時兼任(陸軍大臣兼任) 1908年8月27日免兼 23 小村壽太郎 外務省伯爵 1908年8月27日任 内務大臣22 平田東助 貴族院無所属(茶話会)子爵 大蔵大臣13 桂太郎 陸軍大将侯爵 内閣総理大臣兼任 陸軍大臣7 寺内正毅 陸軍大将(子爵→)伯爵 外務大臣臨時兼任 留任 海軍大臣6 斎藤実 海軍中将(海兵6期)男爵 留任 司法大臣15 岡部長職 貴族院無所属(研究会)子爵 初入閣 文部大臣21 小松原英太郎 貴族院無所属(茶話会) 初入閣 農商務大臣21 大浦兼武 貴族院無所属(茶話会)子爵 逓信大臣18 後藤新平 内務省男爵 内閣鉄道院総裁 初入閣 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1908年(明治41年)7月14日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長15 柴田家門 貴族院無所属(茶話会) 拓殖局総裁 法制局長官12 安広伴一郎 貴族院無所属(茶話会) 内閣恩給局長 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他きぞくいん貴族院 4 内閣書記官長、法制局長官 ぐんぶ軍部 3 国務大臣のべ4 かんりょう官僚 2 をその他 0 -9 国務大臣のべ10
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第2次桂内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第2次桂内閣」の記事については、「第2次桂内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 00:45 UTC 版)
「第4次伊藤内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1900年(明治33年)10月19日任命。在職日数204日(第1次、2次、3次、4次通算2,720日)。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣10 伊藤博文 立憲政友会侯爵 1901年5月10日免立憲政友会総裁 - 西園寺公望 立憲政友会侯爵 臨時代理(班列兼任)枢密院議長 1900年10月27日任1900年12月12日免 外務大臣16 加藤高明 外務省 初入閣 内務大臣15 末松謙澄 貴族院立憲政友会(無会派)男爵 大蔵大臣9 渡辺国武 立憲政友会子爵 陸軍大臣5 桂太郎 陸軍大将子爵 留任1900年12月23日免 6 児玉源太郎 陸軍中将男爵 台湾総督 初入閣1900年12月23日任 海軍大臣5 山本権兵衛 海軍中将(海兵2期) 留任 司法大臣10 金子堅太郎 貴族院立憲政友会(無会派)男爵 文部大臣15 松田正久 衆議院立憲政友会 農商務大臣17 林有造 衆議院立憲政友会 逓信大臣10 星亨 衆議院立憲政友会 初入閣1900年12月21日免 11 原敬 立憲政友会 初入閣1900年12月22日任 班列- 西園寺公望 立憲政友会侯爵 内閣総理大臣臨時代理枢密院議長 1900年10月27日任1901年5月10日まで 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 西園寺枢密院議長による臨時兼任期 1901年(明治34年)5月10日任命。在職日数24日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣- 西園寺公望 立憲政友会侯爵 臨時兼任枢密院議長 1901年5月10日兼 外務大臣11 加藤高明 外務省 内務大臣15 末松謙澄 貴族院立憲政友会(無会派)男爵 大蔵大臣9 渡辺国武 立憲政友会子爵 1901年5月14日免 - 西園寺公望 立憲政友会侯爵 臨時兼任(内閣総理大臣臨時兼任)枢密院議長 1901年5月14日兼 陸軍大臣6 児玉源太郎 陸軍中将男爵 台湾総督 海軍大臣5 山本権兵衛 海軍中将(海兵2期) 司法大臣10 金子堅太郎 貴族院立憲政友会(無会派)男爵 文部大臣15 松田正久 衆議院立憲政友会 農商務大臣17 林有造 衆議院立憲政友会 逓信大臣11 原敬 立憲政友会 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1900年(明治33年)10月19日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長11 鮫島武之助 貴族院無所属(無会派) 法制局長官8 平田東助 旧米沢藩貴族院無所属(茶話会) 内閣恩給局長 事務引継1900年10月24日免 9 奥田義人 農商務省 内閣恩給局長 1900年10月24日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身党派国務大臣その他ひせいとう非政党 2 内閣書記官長、法制局長官 りつけんせいゆうかい立憲政友会 8 国務大臣のべ9 10 国務大臣のべ11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第4次伊藤内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第4次伊藤内閣」の記事については、「第4次伊藤内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:37 UTC 版)
国務大臣 1916年(大正5年)10月9日任命。在職日数721日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣18 寺内正毅 元帥陸軍大将伯爵 外務大臣臨時兼任大蔵大臣兼任 外務大臣- 寺内正毅 元帥陸軍大将伯爵 臨時兼任(内閣総理大臣、大蔵大臣兼任) 1916年11月21日免兼 23 本野一郎 外務省子爵 初入閣1916年11月21日任1918年4月23日免 24 後藤新平 貴族院無所属(茶話会)男爵 内閣鉄道院総裁 1918年4月23日任 内務大臣30 後藤新平 貴族院無所属(茶話会)男爵 1918年4月23日免 31 水野錬太郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 初入閣1918年4月23日任 大蔵大臣19 寺内正毅 元帥陸軍大将伯爵 内閣総理大臣兼任 1916年12月16日免 20 勝田主計 貴族院無所属 初入閣1916年12月16日任 陸軍大臣13 大島健一 陸軍中将(陸士旧4期) 留任 海軍大臣8 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)子爵 留任 司法大臣21 松室致 司法省 文部大臣28 岡田良平 貴族院無所属(研究会)子爵 初入閣 農商務大臣27 仲小路廉 貴族院無所属 逓信大臣24 田健治郎 貴族院無所属 初入閣 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1916年(大正5年)10月9日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長20 児玉秀雄 貴族院無所属(甲寅倶楽部)伯爵 法制局長官18 有松英義 貴族院無所属(研究会) 内閣恩給局長 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 参政官 任命なし。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他きぞくいん貴族院 4 内閣書記官長、法制局長官 ぐんぶ軍部 3 国務大臣のべ4 かんりょう官僚 2 9 国務大臣のべ10
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「寺内内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「寺内内閣」の記事については、「寺内内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:47 UTC 版)
「第1次小泉内閣 (第1次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
小泉首相は金融担当大臣を柳澤伯夫から竹中平蔵に交代させた(経済財政政策担当大臣兼任)。 10月15日に5人の北朝鮮拉致被害者の帰国が実現し、電撃訪朝前の2002年8月に日本経済新聞調査で支持率44%まで下落していたが、10月に61%と劇的に回復した。
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第1次小泉内閣 (第1次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第1次小泉内閣 (第1次改造)」の記事については、「第1次小泉内閣 (第1次改造)」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:02 UTC 版)
職名氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣野田佳彦 衆議院民主党(野田G) 民主党代表 総務大臣内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)(地域主権推進)川端達夫 衆議院民主党(川端G)(鳩山G) 地域活性化担当内閣総理大臣臨時代理就任順位第3位 再入閣 法務大臣平岡秀夫 衆議院民主党(菅G)(近藤・平岡G) 初入閣 外務大臣玄葉光一郎 衆議院民主党(玄葉G) 横滑り 財務大臣安住淳 衆議院民主党(前原G) 初入閣 文部科学大臣中川正春 衆議院民主党(羽田G) 国立国会図書館連絡調整委員会委員 初入閣 厚生労働大臣小宮山洋子 衆議院民主党(前原G) 初入閣 農林水産大臣鹿野道彦 衆議院民主党(鹿野G) 内閣総理大臣臨時代理就任順位第2位 再任 経済産業大臣鉢呂吉雄 衆議院民主党(横路G) 原子力経済被害担当 初入閣2011年9月11日免 (藤村修) 衆議院民主党(野田G) 臨時代理2011年9月11日指定内閣官房長官兼任 枝野幸男 衆議院民主党(前原G)(菅G) 原子力経済被害担当 再入閣2011年9月12日任 国土交通大臣前田武志 参議院民主党(鹿野G) 海洋政策担当内閣総理大臣臨時代理就任順位第5位 初入閣 環境大臣内閣府特命担当大臣(原子力行政)細野豪志 衆議院民主党(前原G) 原発事故の収束及び再発防止担当 横滑り 防衛大臣一川保夫 参議院民主党(小沢G)(鳩山G) 初入閣 内閣官房長官藤村修 衆議院民主党(野田G) 内閣総理大臣臨時代理就任順位第1位 初入閣 国家公安委員会委員長内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全)山岡賢次 衆議院民主党(小沢G)(原口G) 拉致問題担当内閣総理大臣臨時代理就任順位第4位 初入閣 内閣府特命担当大臣(金融)自見庄三郎 参議院国民新党 郵政改革担当 再任 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)(科学技術政策)古川元久 衆議院民主党(前原G) 国家戦略担当社会保障・税一体改革担当宇宙開発担当 初入閣 内閣府特命担当大臣(防災)平野達男 参議院民主党(玄葉G)(小沢G) 東日本大震災復興対策担当 再任 内閣府特命担当大臣(行政刷新)(「新しい公共」)(少子化対策)(男女共同参画)村田蓮舫 参議院民主党(野田G) 公務員制度改革担当 再入閣 内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構)細野豪志 衆議院民主党(前原G) 再任2011年10月3日免 枝野幸男 衆議院民主党(前原G)(菅G) 2011年10月3日任 2011年(平成23年)9月2日任命。組閣時の平均年齢 : 58.3歳 最高齢:前田武志(73歳) 最年少:細野豪志(40歳)
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「野田内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「野田内閣」の記事については、「野田内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:19 UTC 版)
国務大臣 1921年(大正10年)11月13日任命。在職日数212日。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣20 高橋是清 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)子爵 大蔵大臣兼任 外務大臣25 内田康哉 外務省伯爵 留任 内務大臣32 床次竹二郎 衆議院立憲政友会 留任 大蔵大臣21 高橋是清 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)子爵 内閣総理大臣兼任 留任 陸軍大臣15 山梨半造 陸軍大将(陸大8期) 留任 海軍大臣8 加藤友三郎 海軍大将(海兵7期)男爵 留任 司法大臣24 大木遠吉 貴族院立憲政友会(研究会)伯爵 留任 文部大臣29 中橋徳五郎 衆議院立憲政友会 留任 農商務大臣28 山本達雄 貴族院立憲政友会(交友倶楽部)男爵 留任 逓信大臣25 野田卯太郎 衆議院立憲政友会 留任 鉄道大臣1 元田肇 衆議院立憲政友会 留任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 内閣書記官長・法制局長官 1921年(大正10年)11月24日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長22 三土忠造 衆議院立憲政友会 法制局長官19 横田千之助 衆議院立憲政友会 内閣恩給局長 留任1922年3月28日免 20 馬場鍈一 大蔵省 1922年3月28日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他りつけんせいゆうかい立憲政友会 5 内閣書記官長、法制局長官 こうゆうくらふ交友倶楽部 2 国務大臣のべ3 けんきゆうかい研究会 1 くんふ軍部 2 かんりよう官僚 1 10 国務大臣のべ11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「高橋内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「高橋内閣」の記事については、「高橋内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 05:31 UTC 版)
「第2次山本内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ・人事」の解説
国務大臣 1923年(大正12年)9月2日任命。在職日数128日(第1次、2次通算549日)。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣総理大臣22 山本権兵衛 退役海軍大将(海兵2期)伯爵 外務大臣兼任 外務大臣26 山本権兵衛 退役海軍大将(海兵2期)伯爵 内閣総理大臣兼任 1923年9月19日免兼 27 伊集院彦吉 外務省男爵 初入閣1923年9月19日任 内務大臣34 後藤新平 貴族院無所属(茶話会)男爵 大蔵大臣23 井上準之助 日本銀行 初入閣 陸軍大臣16 田中義一 陸軍大将(陸大8期)男爵 海軍大臣9 財部彪 海軍大将(海兵15期) 留任 司法大臣25 田健治郎 貴族院無所属(茶話会)男爵 農商務大臣兼任 1923年9月6日免兼 26 平沼騏一郎 民間 初入閣1923年9月6日任 文部大臣31 犬養毅 衆議院革新倶楽部 逓信大臣兼任 1923年9月6日免兼革新倶楽部総裁 32 岡野敬次郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 農商務大臣兼任 1923年9月6日任 農商務大臣30 田健治郎 貴族院無所属(茶話会)男爵 司法大臣兼任 1923年12月24日免 31 岡野敬次郎 貴族院立憲政友会(交友倶楽部) 文部大臣兼任 1923年12月24日任 逓信大臣27 犬養毅 衆議院革新倶楽部 文部大臣兼任 革新倶楽部総裁 鉄道大臣3 山之内一次 貴族院無所属 初入閣 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 11名の閣僚中、錦城学校の卒業生4名(外相:伊集院彦吉、蔵相:井上準之助、鉄相:山之内一次、海相:財部彪)及び、旧教員の文相・犬養毅の計5名が閣僚に含まれていたことから、「錦城内閣」とも呼ばれていた。山之内一次や樺山資英など、薩派により積極的に擁立された内閣でもあった。 内閣書記官長・法制局長官 1923年(大正12年)9月2日任命。 職名代氏名出身等特命事項等備考内閣書記官長24 樺山資英 民間 法制局長官20 馬場鍈一 貴族院無所属(研究会) 事務引継1923年9月19日免 21 松本烝治 民間 1923年9月19日任 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。 勢力早見表 ※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。 出身国務大臣その他きそくいん貴族院 3 国務大臣のべ4 しゆうきいん衆議院 1 国務大臣のべ2 くんふ軍部 3 国務大臣のべ4 かんりよう民間 0 法制局長官、内閣書記官長 かんりよう官僚 1 8 国務大臣のべ11
※この「内閣の顔ぶれ・人事」の解説は、「第2次山本内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ・人事」を含む「第2次山本内閣」の記事については、「第2次山本内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:08 UTC 版)
「第3次安倍内閣 (第1次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第3次安倍内閣の閣僚19人のうち、9人が留任した。8人が初入閣である。平均年齢は60.1歳となり、第3次安倍内閣より2.3歳若くなった。最高齢は麻生太郎(副総理兼財務相)で75歳、最年少は丸川珠代(環境相)で44歳(いずれも発足時)。また、「希望出生率を1.8、介護離職ゼロ」にするという「野心的な目標」を実現する司令塔として加藤勝信(一億総活躍担当相)を起用した。 山東派からの入閣はなく、民間人の入閣もなかった。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第3次安倍内閣 (第1次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第3次安倍内閣 (第1次改造)」の記事については、「第3次安倍内閣 (第1次改造)」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:08 UTC 版)
「第3次安倍内閣 (第2次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第3次安倍第1次改造内閣の閣僚19人のうち、8人が留任し、1人が転任した。前改造内閣と同様8人が初入閣である。平均年齢は60.8歳となり、前改造内閣を0.7歳上回った。最高齢者及び最年少者は前改造内閣と同人で、最高齢は麻生太郎(副総理兼財務相)で75歳、最年少は丸川珠代(東京五輪・パラリン担当相)で45歳(いずれも発足時)。当選回数は、12回の麻生太郎が最多で、4回の稲田朋美が最少であった。なお、前改造同様、山東派、民間人の入閣はなかった。 また、同じ「山本」姓を持つ閣僚が3人誕生することとなった。それぞれ山本公一・山本有二・山本幸三であり、同じ姓であることに加え、氏名の末尾が「一」「二」「三」と順番になっていることでも注目された。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第3次安倍内閣 (第2次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第3次安倍内閣 (第2次改造)」の記事については、「第3次安倍内閣 (第2次改造)」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:07 UTC 版)
「第3次安倍内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第2次安倍改造内閣の18人の閣僚のうち、江渡聡徳に代わって防衛大臣に就任した中谷元を除く17人が再任された。なお、前内閣で有村治子が所管していた消費者及び食品安全担当大臣の職は、山口俊一に移管された。 宮澤洋一、太田昭宏を除く全閣僚が神道政治連盟国会議員懇談会の会員である。また、15人が日本会議国会議員懇談会の会員である。また、岸田文雄、下村博文、塩崎恭久は世界連邦日本国会委員会(世界連邦運動)に所属している。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第3次安倍内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第3次安倍内閣」の記事については、「第3次安倍内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:09 UTC 版)
「第4次安倍内閣」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙において自民党は284議席、公明党は29議席を獲得し連立与党で衆議院の3分の2の議席を維持した。その結果安倍が引き続き首班を務めることが決定した。第4次内閣の発足は吉田茂による第4次吉田内閣(1952年)以来65年ぶりで、日本国憲法施行以後では2人目である。8月に発足した第3次安倍第3次改造内閣から3か月しかたっておらず、10月の総選挙に立候補した現職閣僚の落選者もいなかったことから前内閣の閣僚全員がそのまま再任され、副大臣、政務官、内閣官房副長官、内閣法制局長官、内閣総理大臣補佐官も全員再任されている(ただし、江﨑鐵磨沖縄・北方対策担当相は健康上の理由により2018年2月27日に辞任)。ただし担当事務の変更はあり、前内閣では松山政司(一億総活躍担当大臣)が兼務で担っていた男女共同参画担当の事務は、野田聖子(総務大臣)が兼務することになった。なお、閣僚のうち最高齢は前内閣と同じ麻生太郎副総理兼財務相の77歳、最年少は小此木八郎国家公安委員長の52歳。当選回数は、13回の麻生太郎が最多で、4回の齋藤健が最少だった。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第4次安倍内閣」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第4次安倍内閣」の記事については、「第4次安倍内閣」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:10 UTC 版)
「第4次安倍内閣 (第1次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第4次安倍内閣(自公連立政権)の閣僚19名のうち、6名が留任した。初入閣は安倍内閣では最多の12名である。 安倍晋三総理大臣は先の自由民主党総裁選挙で石破茂を破り、三選を果たした後の会見でこう述べていた。 「しっかりとした土台の上で幅広く登用したい」 この発言のとおり主要閣僚である麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉内閣官房長官、茂木敏充経済再生担当大臣、河野太郎外務大臣、世耕弘成経済産業大臣、公明党の石井啓一国土交通大臣が留任、第2次安倍内閣で復興大臣であった根本匠は厚生労働大臣での再入閣となった。内閣官房長官の菅義偉の強い推しで、吉川貴盛が農林水産大臣で初入閣。 初入閣の中では、自民党総裁選で安倍と戦った石破茂率いる石破派から山下貴司が当選3回ながら法務大臣として起用され、また、女性閣僚で唯一片山さつきが地方創生担当大臣などに起用された。 政権与党の自民党役員人事では二階俊博幹事長、岸田文雄政務調査会長も留任、前内閣で厚生労働大臣を務めた加藤勝信が竹下亘に代わって総務会長に就任した。 2019年4月11日に桜田義孝五輪相が不適切発言の責任を取り辞任。後任には桜田の前任の五輪相であった鈴木俊一が再登板し、この鈴木の入閣により、内閣総理大臣臨時代理就任順位は、鈴木が第4位に指定され、それまでの第4位であった河野太郎外務大臣が第5位となり、第5位であった根本匠厚生労働大臣は臨時代理予定者の指定からは除外された。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第4次安倍内閣 (第1次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第4次安倍内閣 (第1次改造)」の記事については、「第4次安倍内閣 (第1次改造)」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:09 UTC 版)
「第3次安倍内閣 (第3次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第3次安倍第2次改造内閣の閣僚19人のうち、5人が留任し、1人(加藤勝信)が転任した。初入閣は第2次安倍内閣以降の改造では最少の6人である。 2012年に発足した第2次安倍内閣及び第2次安倍改造内閣と比較すると、上川陽子法相と小野寺五典防衛相が同じポストで再登板、河野太郎前国家公安委員長兼行革相、林芳正元農水相、茂木敏充元経産相も違うポストでの再入閣となった。 環境事務次官経験者の中川雅治を環境大臣に起用、事務次官経験者の入閣は17年ぶり、事務次官を務めた省庁での就任は23年ぶりである。 派閥別では、岸田派と無派閥の各4人が最多で、細田派と麻生派が3人ずつ、額賀派が2人、二階派と石破派が1人ずつの順となった。岸田派は改造前の2人からの倍増となったが、派閥会長で第2次安倍内閣以降、長らく外相を務めた岸田文雄は、茂木の後任としての自民党政調会長に転任した。谷垣グループ、石原派及び民間人の入閣はなかった。 最高齢は前改造内閣と同じ麻生太郎副総理兼財務相の76歳、最年少は小此木八郎国家公安委員長の52歳(いずれも発足時)。当選回数は、12回の麻生太郎が最多で、3回の齋藤健が最少だった。 8月3日の記者会見において、安倍晋三は内閣について「結果本位の仕事人内閣だ」と述べる。政策志向としてボストン勢を4人抱えている(法相、文部科学相、農水相、経済再生担当相兼人づくり革命担当相がハーバード大学ケネディスクール卒。留任の経産相がボストン大学コミュニケーション学部大学院卒)。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第3次安倍内閣 (第3次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第3次安倍内閣 (第3次改造)」の記事については、「第3次安倍内閣 (第3次改造)」の概要を参照ください。
内閣の顔ぶれ、人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:23 UTC 版)
「第4次安倍内閣 (第2次改造)」の記事における「内閣の顔ぶれ、人事」の解説
第4次安倍第1次改造内閣(自公連立政権)の閣僚のうち、留任は麻生副総理、菅官房長官の2名にとどまり、歴代の安倍晋三内閣において最大の改造となった。また、改造前から引き続き閣内に留まった4名は、4名とも引き続き従前の内閣総理大臣臨時代理就任順位のまま順位の変更は無かった。第4位のみ改造で退任した鈴木俊一に代わり、改造で再入閣した高市早苗が新たに指定された。 2019年10月25日、菅原一秀経産相が、有権者買収疑惑を報じられたことを受け辞任。後任には梶山弘志が就任した。 2019年10月31日、河井克行法相が、妻河井案里の2019年の参院選での買収疑惑を報じられたことを受け辞任。後任には森まさこが就任した。なお、河井克行、案里夫妻は2020年の通常国会が閉会した翌日の2020年6月18日に東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕された。
※この「内閣の顔ぶれ、人事」の解説は、「第4次安倍内閣 (第2次改造)」の解説の一部です。
「内閣の顔ぶれ、人事」を含む「第4次安倍内閣 (第2次改造)」の記事については、「第4次安倍内閣 (第2次改造)」の概要を参照ください。
- 内閣の顔ぶれ・人事のページへのリンク