らち‐もんだい【拉致問題】
拉致問題(らちもんだい)(kidnapping of Japanese citizens)
北朝鮮の工作員が日本人を連れ去ったという疑惑のこと。1977年から1978年にかけて多発し、警察庁は、北朝鮮による拉致として8件で計11人の事案を認定している。
日本人を拉致する理由は定かではないが、北朝鮮工作員の日本人化教育や日本に潜入した北朝鮮工作員が日本人に成り代わる目的があると見られている。
日本政府は、拉致問題が解決されない限り国交の正常化交渉はしないとの姿勢で、真相解明を強く迫ってきた。しかし、北朝鮮側は、拉致の事実を否定し、単なる「行方不明者」の問題として任意で調査を行っているに過ぎない。
ところが、今年3月、よど号事件メンバーの元妻の証言で、工作員として日本人女性の拉致に関わっていたことが明かされた。ただでさえ国家間の犯罪捜査は難しいのに、国交のない関係ではなおさらのことだ。拉致問題の早期解決を求める国会決議が採択されるなど、このところ最大の関心事になっていた。
(2002.09.04更新)
北朝鮮拉致問題
(拉致問題 から転送)
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北朝鮮拉致問題(きたちょうせんらちもんだい)は、北朝鮮工作員が他国民を密かに北朝鮮へ拉致したとされる事件を受けて、拉致被害者と思われる失踪者を探す者ないし所属国が、情報提供ひいては拉致被害者の帰国を、北朝鮮政府に対して求めている問題。および、これらの交渉に関連した諸問題を指す。2020年12月現在、北朝鮮は日本を含む少なくとも世界12の国と地域から拉致を行っていると報じられている[1]。
注釈
- ^ 辛光洙は招待所で曽我ひとみを招待所で教育する係だったが、辛は曽我に「めぐみちゃんを日本から拉致してきたのは自分だ」と話したという[5]。
- ^ 1989年、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯の釈放を嘆願する趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合ほか議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出されたが、このとき釈放要望対象となった政治犯29名の中に辛光洙や拉致の共犯者だった金吉旭など北朝鮮工作員の名が複数含まれていたことが判明した[6]。金正日が北朝鮮による日本人拉致実行を認めたのが2002年9月であった。同年10月19日、当時内閣官房副長官であった安倍晋三は、土井たか子と菅直人を名指しして「極めてマヌケな議員」と評し、署名した国会議員は保守政治家はもとより、日本共産党からも激しく批判された[6][7]。このような批判に対し、菅直人は「釈放を要望した人物の中に辛光洙がいるとは知りませんでした。 そんな嘆願書に署名したのは私の不注意ですので、今は率直にお詫びしたい」と謝罪した[6]。なお、民主党の菅直人内閣が成立したのは、2010年6月のことである。
- ^ 拉致されたのは、機長ユ・ビョンハ(38歳)、副操縦士チェ・ソクマン (37歳)、乗務員チョン・ギョンスク (24歳)、乗務員ソン・ギョンフィ(23歳)、乗客は、印刷所勤務イ・ドンギ (49歳)、アナウンサーファン・ウォン (32歳)、記者キム・ボンジュ (27歳)、病院長チェ・ホンドク (37歳)、会社員イム・チョルス (49歳)、飲食業チャン・ギヨン (40)、韓国スレートのチェ・ジョンウン (28歳)の11名[9]。
- ^ 1997年11月に逮捕された夫婦スパイ事件の崔ジョンナム工作員の供述により、平壌直轄市龍城区域の「以南化環境館」で教官をしていることが判明[11]。
- ^ タイ北部の小さな村からマカオに出稼ぎに来ていたスカム・パンジョイの妹アノーチャは、同地で拉致されたのち、平壌で米軍の元脱走兵と結婚した[3]。長らく行方不明だったが、2005年に平壌で生存していることが報道された[3]。曽我ひとみの夫チャールズ・ジェンキンスの近所に住んでおり、ジェンキンスがその情報源である[3]。北朝鮮当局はアノーチャの拉致を否定したが、タイ政府は外交圧力を続けている[3]。
- ^ 崔・申共著の『闇からの谺— 北朝鮮の内幕』によれば、あるフランス人女性は、東洋の富豪を装った北朝鮮の工作員が彼の両親に会わせると騙して平壌に連行され、マカオの宝石店で働いていた中国人女性は富裕な日本人青年を装った工作員に誘われてボートに乗ってしまい、やがて大きな船に移され、そのまま平壌に連行されたという[3]。
- ^ 拉致犯罪をおこなった北朝鮮工作員は、日本人を装い、ベイルートの秘書学校を訪れて日本企業での高給の職業を斡旋すると騙し、彼女らを誘拐した[3]。
- ^ このうち、葉玉芬(Yeng Yoke Fun)については、チャールズ・ジェンキンスによる平壌市内での目撃証言がある[19]。
- ^ 4人のうち1人(シハーム・シュライテフ)は元米兵と結婚し、妊娠もしていたのでみずから北朝鮮にもどった[3]。解放されたレバノン人女性は、北朝鮮ではフランス人女性3人、オランダ人2人、イタリア人3人とともにスパイの訓練を受けていたことが報じられた[3]。
- ^ 旧拉致議連の会長だった中山正暉は「7件10人を事実上棚上げしたうえで有本の拉致を「よど号グループ」が勝手にやったこととして「解決」しようとした[29]。有本の事例を「日本人が日本人が拉致したもので、北朝鮮は関係ない」(2002年3月15日)という理屈で、これならば北朝鮮を傷つけることなく譲歩を引き出しやすいと考えたという[29]。
- ^ 2019年12月27日付「京都新聞」は、2014年に田中実ら2人の生存情報を非公式に北朝鮮が日本政府に伝えた際、政府高官は非公表にすると決めていたと報じた[33]。
- ^ 浜本富貴恵、地村保志、蓮池薫、奥土祐木子、曽我ひとみの5名[28]。久米裕、横田めぐみ、田口八重子、市川修一、増元るみ子、曽我ミヨシ、松木薫、石岡亨、有本恵子、原敕晁、田中実、松本京子の12名は未送還[28]。この12名について、北朝鮮側は「8人死亡、4人は入境せず」と虚偽の説明をした[28]。なお、「救う会」では、日本国政府認定の17名の他に、寺越昭二、寺越外雄、寺越武志、小住健蔵、福留貴美子、加藤久美子、古川了子を加えた24名を拉致認定している[28]。
出典
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- ^ 「公明党 拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望 — ”知らなかった”ではすまない 署名の1年前に橋本議員追及」 - 2003年2月20日(木)「しんぶん赤旗」
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- ^ トランプ政権、「2004年の米大学生北朝鮮拉致疑惑」真相調査に着手(東亜日報日本語版、2017年2月7日)
- ^ 中国が米国人失踪に関与? 拉致情報を米側に提供 家族会代表ら 産経ニュース 2012年5月9日
アメリカ合衆国国務省のトマス・ナイズ副長官およびユタ州のマイケル・リー上院議員と面会し情報を得る。[リンク切れ] - ^ Council holds separate debates on the situation of human rights in the Democratic People's Republic of Korea and in Eritrea - 国際連合人権理事会 (英語)
- ^ Report of the Special Rapporteur on the situation of human rights in the Democratic People’s Republic of Korea, - Marzuki Darusman 国際連合人権理事会(英語)
- 1 北朝鮮拉致問題とは
- 2 北朝鮮拉致問題の概要
- 3 概要
- 4 拉致被害の広がり
- 5 国連による拉致被害の調査と報告
拉致問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:16 UTC 版)
北朝鮮による日本人拉致問題を引き起こした張本人である金正日が死亡したことにより、問題解決への前進を期待する声と、解決がさらに遠のくという懸念の声の両方があがった。2012年1月3日の朝鮮中央通信では、日本政府は存在しない拉致問題を長年にわたり騒ぎたて、その結果両国の関係は悪化したという論評を報道した。
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拉致問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:12 UTC 版)
北朝鮮による日本人拉致問題について和田は『世界』2001年1月および2月号に掲載した論文『「日本人拉致疑惑」を検証する』において、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」として、日本国政府も拉致疑惑を認定しないことから「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と述べている。なお、久米裕の事件については、拉致された可能性は高いと述べているが、「日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかない」と述べている。 翌2002年(平成14年)、北朝鮮自身が日本人拉致を認めるに至り、『諸君!』『正論』誌上では和田に対する激しい批判が加えられた。対して和田は、自分は拉致そのものの存在を否定していたわけではないと弁明した。
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拉致問題
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2009年2月28日、若宮会講塾主催の講演会「拉致問題と国防」において、「自衛隊を動かしてでも、ぶん殴るぞという姿勢を北朝鮮に見せなければ拉致問題は解決しない」と述べた。講演に先立つ記者会見でも同様の発言をし、「『ぶん殴る』とは具体的には何か」と質問されると、「自衛隊を使って攻撃してでもやるぞという姿勢を出さないと、北朝鮮は動かない」と答えた。 家族会事務局長(当時)の増元照明、特定失踪者問題調査会代表荒木和博らとのパネルディスカッションでは「よその国の軍と同様に自衛隊が動けていたら、工作船を沈めることができ、拉致被害は相当少なかったと思う」と述べた。 この発言に対して北朝鮮の国営通信社「朝鮮中央通信」は、田母神を「日本軍国主義勢力の代弁人を自称し、内外の糾弾にさらされている極悪な右翼反動分子」とし、「反朝鮮対決と戦争の狂信者だけが吐くことのできる許しがたい暴言」、「朝鮮半島をはじめアジアと世界を征服しようとする日本の反動層の再侵略野望が頂点に至っていることを示すもの」、「朝鮮の自主権に対する挑戦、アジアの平和と安全に対する脅威」と非難した。
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拉致問題
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2017年3月末の救う会・家族会の結成20周年の集会にて、各地方自治体が朝鮮学校に毎年約3億円の補助金を与え続けていることは北朝鮮への誤ったメッセージを送っているとして、日本独自の北朝鮮への制裁強化が必要だと主張した。
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拉致問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:57 UTC 版)
河野の「外務省が表に出て第一線で当たるのに大事なことが二つある。一つは、力ずくではダメ、話し合いでやらなければいけない、ということ」という主張について、荒木和博は「相手は国家体制自体が拉致犯なのですから、いざというときには実力で奪還するというオプションを持っていなければ話し合いによる解決もできないのではないでしょうか。最優先されるのは被拉致者の安全ですから、最後には色々な手段が考えられます。安明進氏が『片手に棍棒を持って交渉すべきだ』と言ったように、北朝鮮には強硬策を持って臨んだほうが成果は上がるものと思います。『強硬なことを言うと「戦争をする気か」と言われる』と言った人がいましたが、数十人の日本人が長期に亙って拉致されているというのはすでに私たちが戦争の中にいるということの証明です。」と述べている。 クリントン米政権時の2000年(平成12年)10月、オルブライト国務長官(当時)訪朝前に、アメリカ政府は北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を検討しており、解除に極めて近い状況であったが、日本政府(河野は当時外務大臣)が拉致問題等を理由に指定解除阻止を図っていたことが分かっている。
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拉致問題
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2017年3月に発足した自民党拉致問題対策本部のアクションプラン検討チームで事務局長を務めている。同チームは被害者帰国実現に向けた提言をとりまとめ、同年4月に安倍晋三首相に提出した。
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拉致問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:36 UTC 版)
詳細は「北朝鮮による日本人拉致問題」を参照 北朝鮮政府の工作員による日本からの日本人の拉致は、1977年から1983年までの6年間に発生した。北朝鮮は長年にわたって拉致を否定したが、2002年には13人を認めた。日本に住む韓国人のウンヒは、北朝鮮に誘拐され、スパイ活動の学校で日本人を教えた。2002年と2004年に、小泉純一郎首相は平壌を2回訪問し、彼らの帰還を求めた。北朝鮮は最終的に誘拐された13人のうち5人を返還し、残りの8人が死亡したと主張した。 横田めぐみが13歳で誘拐され、北朝鮮が自殺したと言った横田めぐみの遺体がDNA検査で証明されたと日本が主張したとき、関係へのプラスの効果は崩壊した。日本は北朝鮮に拉致を一掃するよう圧力をかけたが、北朝鮮は問題はすでに解決されていると主張している。 多くの北朝鮮市民は、日本の親戚から送金されたお金に依存している。日本の一部は、政府が北朝鮮に譲歩を強いるためにそれらの送金を断ち切ると脅迫すべきだと信じている。 他の人々は、日本の政治的権利がそれと他の問題を利用して、それ自身のナショナリストの議題を前進させていると信じている。 アメリカ合衆国のドナルド・トランプは安倍晋三の要請で金正恩との会談でこの問題を提起し、「これから取り組む」と述べた。それ以上の詳細は与えられなかった。
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「拉致問題」の例文・使い方・用例・文例
- 今日のトピックは「北朝鮮による日本人拉致問題」です。
- 横田さんの両親は,「北朝鮮は,すぐに約束を反(ほ)故(ご)にする。小泉首相には,拉致問題の交渉で,毅(き)然(ぜん)とした態度を取っていただきたい。」と述べた。
- 日本の代表団は,拉致問題を最優先とした。
- 日本は拉致問題の早期解決を望み,まだ北朝鮮にいる拉致被害者の家族が日本に来ることを許可するよう北朝鮮に要求している。
- サミット文書で拉致問題が言及されたのは,今回が初めてである。
- これは,拉致問題が今もなお,我々の注目を必要としていることを示している。
- そして,拉致問題に関して米国政府は北朝鮮への働きかけを強めるつもりだと語った。
- 小泉純一郎首相は,「ブッシュ大統領が拉致問題にそれほど大きな関心を示しことはうれしい。この問題について北朝鮮が態度を変えるまで引き続き北朝鮮に強く働きかけていかなければならない。」と語った。
- 「私たちが初めて作った拉致問題に関するテレビCMです。」と彼女は話した。
- ねぎぼうずの近藤秀(ひで)和(かず)社長は「これらの漫画を通して,多くのタイ人に拉致問題を知ってほしい。」と話した。
- 新しい本について,早紀江さんは「拉致問題について,そしてそれがいまだに解決されていないことをもっと多くの方々に知ってもらいたい。」と話した。
- 同校は,生徒が拉致問題についてもっと深く考えることができるよう図書館に横田めぐみさん文庫を設置した。
- 彼女の両親は拉致問題の早期解決を求めている。
- しかし,拉致問題はほとんど進展していない。
- しかし,夫妻は,北朝鮮がこの機会を利用して拉致問題に関する話し合いを終わらせるかもしれないという懸(け)念(ねん)から,今までウンギョンさんと会っていなかった。
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