増元るみ子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 増元るみ子の意味・解説 

増元るみ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 03:15 UTC 版)

増元 るみ子(ますもと るみこ、1953年昭和28年)11月1日 - )は、北朝鮮による拉致被害者日本政府認定の拉致被害者)である[2]1978年(昭和53年)8月12日夜、交際相手の市川修一とともに鹿児島県日置郡吹上町(現、日置市)の吹上浜で拉致された[3]。当時24歳であった[3]


注釈

  1. ^ 市川の勤務先である日本電信電話公社でも多数の職員が連日捜査活動に参加した[10]。公社では10日余の期間に毎日100食の弁当を用意したが、すべてなくなったという[10]
  2. ^ のちに「李恩恵」は田口八重子と判明、八重子の子どもたちを養子として受け入れていた飯塚家の希望により、当初は匿名で報道された[18]
  3. ^ サングラスをかけた写真はポスターなどにも使われたが、姉のフミ子によれば、「実際のイメージとはだいぶかけ離れている。ふだんの愛くるしさが表れていない」ものだという[7]。るみ子の女子高時代の友人も「あまり、マス(るみ子のこと)らしくないよねえ」と語っていた[7]
  4. ^ 1977年北朝鮮の工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じたのは金正日その人であった[25]。また、1980年辛光洙(原敕晁拉致実行犯)の2度目の日本浸透工作に際し、辛に対して直接「日本人を拉致して北に連行し、日本人として完全に変身した後、対韓国工作活動を続けよ」と指示を下したのも金正日であった[26]
  5. ^ チャンは死刑、キムは15年の長期教化刑に処せられたという[24]在日朝鮮人帰還事業によって北に渡り、工作員となった青山健煕の亡命後の証言によれば、この2人は対外情報調査部の副部長であって、作戦部副部長ではなく、1997年8月の「調査部事件」で粛清されたのであって拉致問題とはまったく関係がないという[27]。また、対外情報調査部は工作船を有しておらず、工作船を用いた拉致事件は労働党作戦部によるものであり、したがって、日本人拉致問題の責任を負うべきは、拉致の指示を出した金正日自身以外には、作戦部長だった呉克烈だったはずだと説明している[24]
  6. ^ 照明は、父の最期のことばを「日本政府というよりは日本の国民、そして未来、これを信じて頑張れ」という意味で受け止めたという[6]
  7. ^ 当初、るみ子と市川修一が結婚したのは1979年4月だと北朝鮮側が説明したが、蓮池祐木子の証言では1979年10月25日まで一緒にいたとなっており、政府に伝え、北朝鮮側にもそのように質問したら、結婚したのは1979年7月だったと当初の説明を翻した[16]。しかし、7月であっても矛盾は解消されない[16]
  8. ^ 日本・韓国への侵入拠点としては、日本海側に清津連絡所元山連絡所があり、黄海側には南浦連絡所と海州連絡所がある[16]

出典

  1. ^ a b c d 西岡(2002)巻末資料p.30
  2. ^ 政府認定の拉致被害者”. 外務省. 2021年5月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 増元るみ子さんの思い出”. 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会). 2021年12月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 『家族』(2003)pp.73-76
  5. ^ a b c d e f g h i j 『家族』(2003)pp.71-73
  6. ^ a b c 『祈り』(2003)pp.203-208
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『家族』(2003)pp.76-84
  8. ^ a b c d e f g 高世(2002)pp.80-82
  9. ^ a b c d e 阿部(2018)pp.50-53
  10. ^ a b 『家族』(2003)pp.123-130
  11. ^ a b c d 『家族』(2003)pp.84-87
  12. ^ a b c d e f g 『家族』(2003)pp.87-91
  13. ^ 阿部(2018)pp.29-41
  14. ^ 阿部(2018)pp.71-74
  15. ^ 阿部(2018)pp.80-83
  16. ^ a b c d e f g h 増元さん、市川さん新情報-増元るみ子さんを救うぞ!東京連続集会”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2012年8月20日). 2022年1月1日閲覧。
  17. ^ a b c d e 『家族』(2003)pp.91-92
  18. ^ 石高(1997)pp.112-114
  19. ^ a b c d e f g h 『家族』(2003)pp.92-96
  20. ^ a b 『家族』(2003)pp.96-99
  21. ^ a b c 安(2005)pp.163-164
  22. ^ a b 安(2005)pp.95-102
  23. ^ a b c d e 西岡(2002)pp.14-21
  24. ^ a b c d 青山(2002)pp.318-322
  25. ^ 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
  26. ^ 西岡(1997)pp.10-12
  27. ^ 青山(2002)p.279
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m 『家族』(2003)pp.101-106
  29. ^ 01_政府は制裁発動決断を!”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2004年11月16日). 2022年1月1日閲覧。
  30. ^ a b c d e 増元るみ子さんの様子明かす、拉致被害の蓮池祐木子さん”. 日本経済新聞 (2012年8月10日). 2022年1月1日閲覧。
  31. ^ a b c d e 安(2005)pp.87-92
  32. ^ a b c d 帰りたいねえとお互い話し合った-蓮池祐木子さんが増元るみ子さんとの生活を証言”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2012年8月10日). 2022年1月1日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  増元るみ子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「増元るみ子」の関連用語

増元るみ子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



増元るみ子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの増元るみ子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS