清津連絡所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 21:17 UTC 版)
座標: 北緯42度01分32秒 東経130度00分33秒 / 北緯42.025508度 東経130.009229度 清津連絡所(チョンジンれんらくじょ)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市に所在する情報機関で、朝鮮労働党作戦部(現、朝鮮人民軍偵察総局)に所属する工作員侵入基地[1]。別名、121連絡所(121れんらくじょ)、第459軍部隊(だい459ぐんぶたい)[1]。4か所ある海上連絡所のうちの1つ[1]。高速スパイ船を配置している[2]。
注釈
- ^ 田口八重子は、北朝鮮の工作員だった金賢姫に、日本からワンピースにハンドバッグ1つで船に乗せられ北朝鮮に来たと語り、「私がはじめて北朝鮮の土を踏んだのは清津港だったっけね」と話した[6]。
- ^ 「金国石」の証言によれば、「キョウコ」(松本京子)は明朗な性格のように見え、よく笑いながら話していた[13]。日本語を教えたり、日本からの資料を翻訳したり、日本のラジオやテレビを傍聴したりして暮らしているようであった[13]。清津連絡所の中庭に日本から運ばれた中古車数十台があり、彼女がそのなかの日産・ブルーバードの座席に座って自動車についていろいろと説明していたという[13]。そしてトランクのなかにあったゲーム機のようなものを取り出して、連絡所の参謀長に「これを貰ってよいですか?」と聞いていた[13]。彼女は連絡所外に出ることはあまりなかったように見えたが、赤い服を着ていて、髪型もおしゃれで洗練されていたという[13]。
- ^ 権革によれば、遠山文子はキム・サングンと名乗り、男性の前でも平気で酒を呑んでいた[14]。彼女は2003年時点では北朝鮮におらず、男性工作員とペアで海外に出ているという[14]。
出典
- ^ a b c d e f g 清水(2004)p.46
- ^ 全(2002)p.216
- ^ a b c d e f 安(2000)pp.193-198
- ^ 安(2005)pp.37-41
- ^ 『横田めぐみは生きている』(2003)pp.136-137
- ^ a b c 高世(2002)p.139
- ^ 安(2000)pp.149-151
- ^ a b c 高世(2002)p.149
- ^ 『家族』(2003)pp.325-333
- ^ “北朝鮮最強の諜報機関「偵察総局」のお粗末過ぎる実態”. DailyNK Japan. デイリーNK (2015年7月11日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ 荒木(2005)pp.183-184
- ^ a b “元北朝鮮工作員「拉致被害者ら4人を目撃した」と証言”. asahi.com ニュース特集. 朝日新聞社 (2004年1月21日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “松本京子拉致関連証言”. 辺真一のコリア・レポート. 辺真一 (2006年11月11日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b c d “インタビュー「権革元国家安全保衛部指導員 2003年5月12日」”. 辺真一のコリア・レポート. 辺真一 (2003年6月21日). 2021年11月5日閲覧。
- ^ “失踪者リスト「遠山文子」”. 特定失踪者問題調査会. 2021年11月5日閲覧。
- 1 清津連絡所とは
- 2 清津連絡所の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
- 清津連絡所のページへのリンク