アベック拉致事案(福井県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:02 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「アベック拉致事案(福井県)」の解説
1978年(昭和53年)7月7 - 8日拉致 小浜の大工見習い、地村保志(1955年(昭和30年)6月4日 - 当時23歳)、被服店(ブティック)店員、濱本富貴惠(1955年(昭和30年)6月8日 - 当時23歳) 福井県小浜市で拉致。実行犯は北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)である。 2人は1979年(昭和54年)に結婚。1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している。2002年(平成14年)10月に日本に「一時帰国」として返されたが、本人の意思を確認した上で、日本政府が強く保護し北朝鮮に返さなかった。2004年(平成16年)5月22日、日朝首脳会談の結果を受け、娘1人と息子2人も日本に帰国を果たした。
※この「アベック拉致事案(福井県)」の解説は、「北朝鮮による日本人拉致問題」の解説の一部です。
「アベック拉致事案(福井県)」を含む「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事については、「北朝鮮による日本人拉致問題」の概要を参照ください。
アベック拉致事案(新潟県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:02 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「アベック拉致事案(新潟県)」の解説
1978年(昭和53年)7月31日拉致 中央大学法学部生、蓮池薫(1957年(昭和32年)9月29日 - 当時20歳)、化粧品会社社員、奥土祐木子(1956年(昭和31年)4月15日 - 当時22歳) 新潟県柏崎市で拉致。「ちょっと出かける。すぐ帰る。」と言って外出したまま消息を絶つ。同様に奥土も外出したまま両名が拉致される。実行犯は北朝鮮工作員のチェ・スンチョル、ハン・クムニョン、キム・ナムジンである。 2人は1980年(昭和55年)5月に結婚、1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している。2002年(平成14年)10月に地村らと共に日本に帰国。2004年(平成16年)5月、残された子供(1男1女)も日本に帰国を果たした。
※この「アベック拉致事案(新潟県)」の解説は、「北朝鮮による日本人拉致問題」の解説の一部です。
「アベック拉致事案(新潟県)」を含む「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事については、「北朝鮮による日本人拉致問題」の概要を参照ください。
アベック拉致事案(鹿児島県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:02 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「アベック拉致事案(鹿児島県)」の解説
1978年(昭和53年)8月12日拉致 電電公社職員、市川修一(1954年(昭和29年)10月27日 - 当時23歳)、鹿児島の事務員、増元るみ子(1953年(昭和28年)11月1日 - 失踪時24歳) 鹿児島県日置郡吹上町(現在の日置市)、吹上浜キャンプ場で拉致。吹上浜拉致事件とも呼ばれる。 北朝鮮側の説明によれば、2人は1979年7月(2002年10月の報告では「1979年4月」としていたが後に訂正)に結婚したが、市川は1979年9月に海水浴場で心臓麻痺により死亡。増元も1981年に心臓麻痺のため死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は、両人とも遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はなされていない。一方、北朝鮮元工作員・安明進は、北朝鮮が死亡したとした日時の後、1988年から1991年にかけて「何回も二人を見た」と証言している。
※この「アベック拉致事案(鹿児島県)」の解説は、「北朝鮮による日本人拉致問題」の解説の一部です。
「アベック拉致事案(鹿児島県)」を含む「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事については、「北朝鮮による日本人拉致問題」の概要を参照ください。
- アベック拉致事案のページへのリンク