久米裕_(拉致被害者)とは? わかりやすく解説

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久米裕 (拉致被害者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 15:19 UTC 版)

久米 裕(くめ ゆたか、1925年2月17日 - )は、北朝鮮による拉致被害者政府認定の拉致被害者(宇出津事件の被害者)[1]1977年(昭和52年)9月19日、北朝鮮の工作員によって石川県能登半島の宇出津(うしつ)で拉致された[1][2]。いわゆる「背乗り拉致」の被害者である[2][注釈 1]


注釈

  1. ^ 北朝鮮による拉致被害で「背乗り拉致」に属するケースとしては、本件のほか、辛光洙事件の原敕晁(1980年6月)、西新井事件小住健蔵(1980年頃)がある[2]
  2. ^ 「45歳から50歳くらい」という年齢の指定は原敕晁のケース(辛光洙事件)と同じである。このことについて西岡力は、朝鮮人が日本人を拉致してその当人になりすますという手口を用いるには、植民地時代の日本語教育を受けた世代の工作員でなければ困難であり、だから、1980年の時点で45歳から50歳くらいの人間を拉致せよという指令が出されるのだと推定している(1959年以降に帰国事業で北朝鮮に帰国した在日朝鮮人は日本で逃亡する危険があるので、不適格であるという)[6]。若い工作員に持たせるパスポートは、偽造パスポートを用いるが、これにはかなりの資金と技術が必要となる[6]。専門家の話では、金賢姫が持っていたような精巧な偽造パスポートをつくるには多額の資金が必要で、国家ぐるみでなければ無理だという[6]
  3. ^ この1件だけでも「拉致したのは13人だけ」との北朝鮮の主張は嘘であることが分かるという指摘がある。
  4. ^ このことが、日本海沿岸部に居住する国民の防犯意識を弛緩させ、後述の拉致事件を招いたとする見解も一部にある。ただし、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺や、新たな情報の収集困難を招き、ひいては事件解決が困難になるリスクもともない、警察庁の立場からは安易に公開に踏み切るわけにはいかない事情があったことも考慮する必要がある、として弁護する見解もある。

出典

  1. ^ a b 政府認定の拉致被害者”. 外務省. 2021年9月5日閲覧。
  2. ^ a b c 拉致被害者リスト”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 2021年9月5日閲覧。
  3. ^ a b c 西岡(2002)巻末資料p.37
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 久米裕さん拉致実行犯に対する刑事告発”. 救う会・福岡. 2021年9月5日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 荒木(2005)pp.182-183
  6. ^ a b c d e f 西岡(1997)pp.12-13
  7. ^ a b 埋もれた拉致 - NHK クローズアップ現代+


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