拉致問題について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:24 UTC 版)
「拉致講義」も参照 平壌留学の経験もある李英和は、1950年代から1960年代にかけては、日本から在日韓国・朝鮮人が拉致されたケースが少なくなかったと述べ、具体例として、留学中に出会ったある在日男性から「中学生のとき、米国の遊園地に行こうと誘われて日本を出たが、着いたのは北朝鮮。そのまま日本発行の再入国許可証と外国人登録証を取り上げられ「代わりの人間が日本へ渡ったから、もうお前は戻れない」と宣告されたという話を紹介している。李英和は、これについて、在日が忽然と姿を消しても日本人ほどの騒動にはならないという計算も働いていただろうと分析している。なお、李英和は帰国直前の1991年11月に朝鮮社会科学院の教官から、詳細な「拉致講義」を受けている。 それによれば、北朝鮮工作機関による計画的な日本人拉致作戦は、1976年から1987年の間に金正日総書記の指示で実行したもので、背景には1971年からの「人民経済発展6か年計画」など計画経済の失敗があり、金正日が汚名挽回のために打ち出した新機軸として「対南テロ作戦」(経済破綻で全面戦争ができなくなったので、代替として韓国を標的に立案したテロ作戦)を発動したことがある―など、1991年当時としては驚くべき内容であり、李英和は帰国後この内容を秘かに日本政府に伝えたが、当時の政府はほとんど無反応で、聞く耳さえ持たなかったという。
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