拉致講義とは? わかりやすく解説

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拉致講義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 05:07 UTC 版)

拉致講義(らちこうぎ)とは、1991年11月、平壌留学中の関西大学講師李英和北朝鮮の学術機関である朝鮮社会科学院の教官から受けたとされる北朝鮮拉致問題に関する講義。北朝鮮による日本人拉致事件は、北朝鮮の対南(対韓国)工作とつながっており、工作員の日本への潜入訓練のためにおこったという内容の講義である。


注釈

  1. ^ 北朝鮮の留学生受け入れは、これっきりになったので「第2号」はない[2]。李英和の留学後は核疑惑騒動が持ち上がって再び労働党政府は門戸を閉ざしてしまった[3]
  2. ^ 許可が遅延した原因は、国交のない国との文書のやり取りに時間がかかったのと、留学生受け入れは北朝鮮としても初めてのケースなので決済に時間が手間取ったためであった[4]。最終的には、金正日の「御親筆」によって初めて許可が下りたことを李英和は現地で知ったという[4]
  3. ^ 結局、正式な留学先である朝鮮社会科学院には最初の挨拶と最後の講演の2度しか行けなかったという[3]
  4. ^ 元北朝鮮工作員たちは1977年以降「マグジャビ(手当たり次第)」に外国人を誘拐するよう命令されたと証言している[17]
  5. ^ この件については、拉致被害者の蓮池薫も、まだ帰国できない拉致被害者の安否確認について「北朝鮮は調査すると言うが、どこに誰が暮らしているかはすべて把握しているので必要ない」と指摘している[22]。ただし、拉致目的については当初は世界中から若者を集めて工作員に仕立てようとしていたのではないかとしている[22]
  6. ^ 1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯だった金賢姫が、工作員教育を受けた際、日本語教育係として「李恩恵」(本名、田口八重子)がつけられ、彼女から一対一の個人指導がなされたと自供した[23]。このことは、当時の日本のマスメディアがさかんに報道していた。
  7. ^ このなかには八尾恵などの、いわゆる「よど号グループ」による拉致事件は含まない[2]
  8. ^ 北朝鮮工作員の上陸ポイントについては、朝鮮総連幹部だった韓光煕による詳細な調査があり、『わが朝鮮総連の罪と罰』に記載されている。
  9. ^ 金正日が日本に対し、部下に全責任に負わせながらも「自供」したのは、2002年の小泉純一郎との日朝首脳会談でのことで、「拉致講義」はその11年も前のことである[16]
  10. ^ 大飢饉は1995年頃から具体的な兆候を示しはじめ、96年から98年にかけてはおびただしい数の犠牲者と脱北者が発生したが、李英和によれば1991年11月に受けた農業専門家による、公園を散歩しながらの「特別講義」で、専門家はそのようになる事態を完全に予想していたという[25]。農業専門家は、李英和に対し、ホテルでの建前での講義をわびた上で「特別講義」をおこなったという[25]
  11. ^ 李英和は、小泉の電撃訪朝と金正日の公式謝罪、「5人生存」の引き出しが可能だったのは「動物的な勘に秀でた勝負師」である小泉純一郎と「日本の外務官僚らしからぬ胆力を備えた奇才」である田中均が手を組んだためと評価している[27]。しかし、北朝鮮側の「7人死亡」の偽りの告白は日本の世論を激昂させ、小泉訪朝を毀誉褒貶の激しいものにしたことも事実である[27]
  12. ^ こうしたとき、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領が2002年1月29日一般教書演説で、北朝鮮、イランイラクの3か国を「悪の枢軸」と呼んで批判、北朝鮮は日本の関係修復に乗り出した[27]
  13. ^ 李英和は、通常の人質事件を例に引き、誘拐犯が逮捕されなければ事件解決といえないことは確かであるとしても、それを優先するあまり人質救出が遅れたり、それに失敗するようでは本末転倒であり、犯人逮捕は人質救出からでも遅くないと述べている[29]
  14. ^ 遠藤はまた、拉致被害者の救出に際し、最も優先されるべきは「時間」だったのではないかとも述べている[2]

出典

  1. ^ a b c d e f 李(1996)pp.18-20
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax 「拉致被害者は生きている!」―北で「拉致講義」を受けた李英和教授が証言”. yahoo! ニュース. 遠藤誉 (2018年6月11日). 2021年9月27日閲覧。
  3. ^ a b c 李(1999)pp.32-36
  4. ^ a b c d e f 李(1996)pp.28-30
  5. ^ a b c 李(1996)pp.31-32
  6. ^ a b 李(1996)pp.62-63
  7. ^ a b 李(1996)pp.63-64
  8. ^ a b c d e 李(1996)pp.69-70
  9. ^ 李(1996)pp.72-74
  10. ^ 李(1996)pp.284-287
  11. ^ a b 李(1996)pp.13-15
  12. ^ a b c 李(1996)pp.238-239
  13. ^ a b c 李(1996)pp.239-240
  14. ^ 李(1996)pp.242-262
  15. ^ a b c d 李(1996)pp.263-264
  16. ^ a b c d e f 李(2009)pp.18-21
  17. ^ 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
  18. ^ a b c d 李(2009)pp.167-170
  19. ^ a b c d e 李(2009)pp.170-173
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n 李(2009)pp.173-175
  21. ^ a b c d e f g h 李(2009)pp.176-178
  22. ^ a b 拉致被害者、蓮池薫さん講演会「命以外すべて奪われた」「北に見返り必要」 南あわじ市議会議員公開研修会”. 産経WEST. 産経新聞社 (2016年8月24日). 2021年9月23日閲覧。
  23. ^ 西岡・趙(2009)pp.206-209
  24. ^ a b 阿部(2018)pp.119-122
  25. ^ a b 李(2009)pp.21-23
  26. ^ a b 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
  27. ^ a b c d e f 李(2009)pp.164-166
  28. ^ 中国、対日微笑外交の裏―中国は早くから北の「中国外し」を知っていた”. yahoo! ニュース. 遠藤誉 (2018年5月7日). 2021年9月27日閲覧。
  29. ^ a b c d e 李(2009)pp.178-183


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