全面戦争
全面戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 05:18 UTC 版)
「マフィア-カモッラ戦争」の記事における「全面戦争」の解説
モレロ一家のメンバーを出来るだけ多く集めて一気に暗殺する計画を立て、1916年9月7日、会議と称してモレロ一家をブルックリンのネイビーストリートに誘い出した。首脳陣6人全員が来るのを期待したが、来たのはニコラス・テラノヴァと側近チャールズ・ウンブリアコの2人だけだった。NSGのラルフ・ダニエロが自分の酒場で飲み物を出し、やがてトム・パガノが来て、2人をアンドレア・リッチの家に連れて行った。マートルアベニューを歩いていた時、ジョンソン通りとハドソンアベニュー交差点付近で、突然2人のガンマンが現れ、一斉に発砲した。ニコラスはトム・パガノに、ウブリアコは、パガノの発砲と同時にリボルバーを抜いたトーマス・カリッロに銃撃され、更にウブリアコはレフティ・エスポジトに撃たれ、両者とも射殺された。その晩チロ・テラノヴァが遺体の身元確認で警察に呼ばれた。カモッラ会議の常連だったモレロ一家幹部スティーヴ・ラサールはこの時たまたま警察に拘留されていて難を免れた。その日、コニーアイランドギャングやNSG総勢20人がバルドーズ・レストランに集い、暗殺を祝った。「ナポリタンに健康を、シシリアンに死(destruction)を!」のかけ声で乾杯した。 モレロギャングとカモッラは全面戦争に突入した。カモッラは、フィラデルフィアのモレロ派の仲間4人の殺害に成功した後、モレロのリーダー残党を執拗に狙った。ハーレム116丁目の家を借りて待ち伏せして狙撃を試みたり、アジトからおびき出そうとし、また毒殺を試みた。 モレロ派のヴェラザーノはケンモア通りに独自の賭博店を持ち、新しい賭場を開く計画を立てていたが、これを知ったNSGは排除を企てた。1916年10月6日、スタテン島でポリシーをやっていたNSGのチャールズ・ジオルダーノがヴェラザーノをブルーム通りのオクシデンタルホテルのレストラン、イタリアンガーデンに誘い込んだ。そこにNSGのアルフォンソ・ズグロイア、マイク・ノタロ,、ラルフ・ダニエロらが現れ、ズグロイアとノタロがドアの陰からヴェラザーノを銃撃して殺し、散り散りに逃げた。 1916年10月13日、アストリアのごみ集積場でジョー・ディマルコの弟サルヴァトーレの死体が見つかった。喉は掻き切られ、頭は打ち砕かれていた。ジョーを殺害した犯人を警察に密告しようとしていたと新聞は報じた。 1916年11月30日、カモッラ仲間のガエタノ・デルゴーディオが1番街の自分のレストランで二人組にコーヒーを出していた時、窓の外からショットガンで銃撃された。ガエタノは病院で死ぬ間際、襲撃犯を知っているとしたが名前を出すのは拒否した。これより先、11月8日に108丁目でガエタノの用心棒ジョージ・エスポジトが殺されていたが、両方ともモレロ一家の復讐と見られた。 1917年3月16日、ガルッチ、ディマルコの元を転々として最期はNSGと提携していたジョー・ナザーロがヨンカーズで射殺された。ナザーロがモレロ一家のメンバーと会話しているのを目撃したパレッティ兄弟がナザーロの裏切りを疑い、フランク・フェヴロラ、ズグロイアと共に、ナザーロをだましておびき出し、銃殺した。
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