公正会とは? わかりやすく解説

公正会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:30 UTC 版)

公正会(こうせいかい)は、かつて日本帝国議会に存在した院内団体。衆議院貴族院に別の時期に別個に存在していた。




「公正会」の続きの解説一覧

公正会 (衆議院)

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「公正会」の記事における「公正会 (衆議院)」の解説

公正会(こうせいかい)は、大正期衆議院存在した院内交渉団体1916年11月25日1917年1月25日)。 第2次大隈内閣内閣総辞職後における旧与党結集憲政会結成)に参加しなかった公友倶楽部下岡忠治27名と中正会花井卓蔵ら9名が合同し結成する。だが、翌年衆議院解散に伴い、会も解散して全員無所属となったが、第13回衆議院議員総選挙後に一部維新会結成参加している。

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公正会 (貴族院)

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「公正会」の記事における「公正会 (貴族院)」の解説

公正会(こうせいかい)は、大正・昭和期貴族院存在した院内会派1919年6月5日1947年5月2日)。 明治以来木曜会設立など男爵議員糾合動きはあったものの、失敗終わっていた。1919年茶話会土曜会無所属団所属する男爵議員それぞれの会派から離脱し男爵議員総結集を目指して計68名(男爵議員63名・勅選議員5名)で公正会が結成された。結成時幹事黒田長和郷誠之助岩倉道倶阪谷芳郎山内長人内田正敏坂本俊篤平野長祥島津久賢の計9名。この動きによって既存会派多く所属議員数を減らし院内会派再編成至った研究会模して決議拘束主義採用し選挙母体として五全会後に協同会を組織した1922年中川良長除名問題機に立憲政友会議員が公正会を離脱し研究会内に残留していた男爵議員合流して親和会結成(後に研究会合併)するが、1925年互選で公正会の候補議席奪われ壊滅した1925年以後男爵互選議員全員が公正会所属となり、研究会に次ぐ68名ないし69名の議員常時維持した当初は反研究会反立憲政友会の立場から憲政会立憲民政党と結びついていたが、1926年内紛発生しその結果決議拘束主義撤廃された。昭和期に入ると、退役軍人出身議員主導的な地位占める。天皇機関説事件美濃部達吉糾弾活躍した3名の退役軍人出身議員菊池武夫井上清純井田磐楠はいずれも公正会所属議員であった日本国憲法施行に伴う貴族院廃止によって解散された。

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