法務大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 01:51 UTC 版)
法務大臣(ほうむだいじん、英語: Minister of Justice)は、日本の法務省の長および主任の大臣たる国務大臣[2][3]。略称は法相(ほうしょう)である。
注釈
- ^ 平成に入って以降では、死刑判決から執行までの期間が最短だった死刑囚は、附属池田小事件の死刑囚・宅間守(大阪地裁で死刑判決後、控訴取り下げ)の1年0カ月だった。なお、最高裁判所で死刑が確定した死刑囚としては、ファミレス2人射殺事件の死刑囚(イニシャルH)・大阪連続強盗殺人事件の死刑囚(イニシャルK)の、いずれも1年4カ月だった(日本における被死刑執行者の一覧を参照)。
- ^ 農商務大臣兼任(1892年(明治25年)6月23日〜同年7月14日)、内務大臣兼任(1892年(明治25年)7月14日〜同年8月8日)。
- ^ 臨時兼任(内閣総理大臣)。
- ^ 1894年(明治27年)8月29日〜同年10月3日、文部大臣を臨時兼任
1896年(明治29年)2月3日〜同年4月14日、内務大臣を兼任。 - ^ 1903年(明治36年)7月17日〜同年9月22日、農商務大臣を兼任。
- ^ 1908年(明治41年)1月14日〜同年7月14日、大蔵大臣を兼任。
- ^ 内閣総理大臣兼任。
- ^ 農商務大臣との臨時兼任。
- ^ 内閣総理大臣兼任。
- ^ 司法大臣臨時代理(内閣総理大臣)。
- ^ 任期途中に法務庁が発足(1948年(昭和23年)2月15日)。
- ^ 法務総裁臨時代理(内閣総理大臣)。
- ^ 行政管理庁長官兼任(1948年(昭和23年)11月10日まで)。
- ^ 任期途中に法務庁から法務府へ改称(1949年(昭和24年)6月1日)。
- ^ 任期途中に法務総裁から法務大臣に改称(1952年(昭和27年)8月1日)。
- ^ a b 法務大臣臨時代理(内閣総理大臣)。
- ^ 自治大臣兼任。
- ^ 1993年(平成5年)4月8日以降、副総理兼任。
- ^ 2010年(平成22年)7月26日以降。
- ^ 拉致問題担当。
- ^ 内閣官房長官兼任、拉致問題担当。
- ^ 2011年(平成23年)6月27日以降、環境大臣兼任。
- ^ 拉致問題担当。
- ^ a b 法務大臣臨時代理(国家公安委員会委員長)。
- ^ 2016年(平成28年)7月26日以降。
- ^ 退任後の1997年に参議院比例代表で繰り上げ当選し、参議院議員を翌1998年の任期満了まで務めた。
- ^ 現職法務大臣として臨んだ第22回参議院議員通常選挙(2010年7月25日任期満了・2010年7月11日投開票)で落選。
- ^ 柳田稔の舌禍辞任の後、内閣官房長官仙谷由人が法務大臣を兼任。
- ^ 環境大臣兼防災担当大臣だった松本龍が復興対策担当大臣に転任した後、法務大臣江田五月が環境大臣を兼任。
- ^ 現職法務大臣として臨んだ第24回参議院議員通常選挙(2016年7月25日任期満了・2016年7月10日投開票)で落選。
- ^ 司法試験に合格するも司法修習を経ないまま弁護士法第5条の特例措置によって弁護士資格を取得。
出典
- ^ 主な特別職の職員の給与 (PDF) - 内閣官房
- ^ 法務大臣の意味 goo辞書 2021年3月27日閲覧。
- ^ e-gov法令検索 国家行政組織法第5条
- ^ 法令解釈担当閣僚に枝野経産相 法相から変更 日本経済新聞2011年9月20日
- ^ 第2回国会 参議院司法委員会議事録 1948年6月28日
- ^ a b 政治部記者・黒川明紘 (2017年12月27日). “死刑執行はどう決められる?”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). オリジナルの2018年2月6日時点におけるアーカイブ。 2018年2月6日閲覧。
- ^ 法相、最高裁で意見陳述へ…NHK受信料訴訟(読売新聞電子版 2017年4月10日)
- ^ NHK受信料訴訟、支払い義務づけは合憲 法相が意見書(朝日新聞電子版 2017年4月12日)
- ^ 保坂展人 (2007年8月23日). “「長勢法相・11カ月で10人の死刑執行」に抗議する”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ 社会民主党OfficialWeb/福島みずほ (2008年9月11日). “死刑執行に強く抗議する”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ 日本国民救援会 (2009年7月29日). “森英介法相による三度の死刑執行に抗議する”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ 衆議院 (2010年7月30日). “千葉景子法務大臣による死刑執行に関する質問主意書/質問本文情報/提出者:鈴木宗男”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ 神奈川新聞 (2011年7月28日). “死刑執行1年、千葉景子元法相決断の背景”. 2021年12月21日閲覧。
- ^ 日本国民救援会 (2012年3月30日). “小川敏夫法相による死刑執行に抗議する”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ 東京弁護士会 (2012年9月28日). “死刑執行に関する会長声明”. 2013年4月26日閲覧。
- ^ “元組長ら2人の死刑を執行 谷垣法相で2回目”. 日テレNEWS24. (2013年4月26日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “2人の死刑執行 安倍政権に交代後4度目、計8人”. 日本経済新聞. (2013年12月12日) 2013年12月12日閲覧。
- ^ “1人の死刑を執行 平成19年の香川3人殺害の川崎死刑囚”. 産経新聞. (2014年6月26日) 2014年6月26日閲覧。
- ^ “岡崎一明死刑囚ら残る6人の刑執行 四半世紀経て事件終結”. 産経新聞. (2018年7月26日) 2018年8月11日閲覧。
法務大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 23:30 UTC 版)
2009年(平成21年)9月16日発足の鳩山由紀夫内閣にて法務大臣に就任。女性の法曹資格者の法務大臣就任は初。奇しくも、前任の法務大臣である森英介は、高校時代の同級生であった。「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属する議員が死刑執行命令を出す法務大臣に就任したことで、法と持論の間で死刑制度をどう考えていくか注目されていたが、同月29日に同議員連盟を外れる意向を示した。また、法務大臣による検事総長への指揮権については「慎重にしなければならないが、検察の行き過ぎがあれば指揮権の発動は制度としては認められている」と述べ、歴代法務大臣より踏み込んだ考えを示した。 なお、千葉は第2次小泉改造内閣について、「今般の閣僚、党三役の顔ぶれを見る限り、民間人の登用はゼロ、女性閣僚もたった二人、大変失礼ではありますが、新鮮味のない顔ぶれでした」と批判していたが、自身が法務大臣に起用された鳩山内閣も、民間人の登用がなく、女性閣僚が自身を含む二人(後に一人)という構成となった。また、自身が留任した菅直人内閣でも民間人の登用はなく、女性閣僚も自身を含んで二人に留まった(ただし、自身が大臣退任後の菅直人改造内閣では、女性閣僚こそ一人であったものの、民間人が民主党政権において初めて閣僚に登用された)。 また、内閣総理大臣臨時代理予定者5位に指定された(財務大臣藤井裕久が辞任した2010年1月から鳩山内閣が総辞職した6月までは4位)。内閣総理大臣臨時代理予定者に参議院議員が指定されるのは2000年の第1次森内閣の青木幹雄以来であり、自動的に1位か2位に指定される内閣官房長官以外では初めてであった。
※この「法務大臣」の解説は、「千葉景子」の解説の一部です。
「法務大臣」を含む「千葉景子」の記事については、「千葉景子」の概要を参照ください。
法務大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:15 UTC 版)
1986年(昭和61年)に組閣された第3次中曽根内閣において、法務大臣に就任した。 遠藤が法務大臣就任中の1987年(昭和62年)、帝銀事件(1948年)の犯人として1955年(昭和30年)に死刑判決が確定した死刑囚・平沢貞通が、獄中で病死した。遠藤は結果的に、平沢への死刑執行権限を行使しなかった最後の法務大臣となり、確定死刑囚としての平沢の収監期間は世界最長記録となった。
※この「法務大臣」の解説は、「遠藤要」の解説の一部です。
「法務大臣」を含む「遠藤要」の記事については、「遠藤要」の概要を参照ください。
「法務大臣」の例文・使い方・用例・文例
法務大臣と同じ種類の言葉
- 法務大臣のページへのリンク