鳩山由紀夫内閣
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鳩山由紀夫内閣(はとやまゆきおないかく)は、衆議院議員、民主党代表の鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に任命され、2009年(平成21年)9月16日から2010年(平成22年)6月8日まで続いた日本の内閣。
注釈
- ^ a b 2010年(平成22年)1月8日に内閣総理大臣臨時代理就任順位第4位の藤井裕久が財務大臣を辞任したため、第5位以下の閣僚の就任順位を繰り上げないし新たに設定。
- ^ 社民党の政権離脱による辞任。
- ^ 鳩山には民主党312、社民党7、みんなの党5、国民新党3が投票。若林には自民党119、山口には公明党21、志位には共産党9、平沼には国益と国民の生活を守る会3(城内実、平沼)、無所属1(中村喜四郎)。
- ^ 鳩山には民主党・新緑風会117、社民党5、無所属2(糸数慶子、川田龍平)が投票。若林には自民党・改革クラブ119、山口には公明党21、志位には共産党7、白票は無所属1(山東昭子)。
- ^ これは第二次世界大戦後の衆議院における一政党が占める議席数として、1986年総選挙において中曽根康弘総裁率いる自由民主党が獲得した304議席を上回り最大である。
- ^ 内閣法では、内閣総理大臣が欠けた場合は国務大臣が就くことを定めており、どの閣僚がその地位に就くのか事前に順位を指定することになっている。従前は内閣官房長官が第1順位に指定されることが通例となっており、麻生内閣でも内閣官房長官の河村建夫が第1順位に指定されていた。内閣官房長官以外の者が第1順位に指定される場合、指定された者は「副総理」と通称される。
- ^ ただし速やかに合意せず名護市長選まで引き伸ばした結果、民主党が推薦した反対派候補が名護市長となった時点でこの原案は実現不可能であると当の自民党から意見されている。[要検証 ]
- ^ 第45回衆議院議員総選挙では民主党のマニフェストには明記されていなかったが、選挙中に鳩山自身が「最低でも県外」を口にしたことで事実上の「公約」になる。
出典
- ^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、平成21年9月16日]
- ^ 『官報』号外「第172回国会衆議院会議録第1号」、平成21年9月16日付
- ^ 『官報』号外「第172回国会参議院会議録第1号」、平成21年9月16日付
- ^ 『3党連立政権合意書』(PDF)(プレスリリース)民主党、2009年9月9日 。2009年9月16日閲覧。
- ^ a b “鳩山政権:「脱官僚」前面に 政策決定一元化目指す”. 毎日新聞. (2009年9月5日) 2009年9月17日閲覧。
- ^ “鳩山色より融和優先=グループ均衡鮮明-閣僚人事”. 時事通信. (2009年9月16日) 2009年9月17日閲覧。
- ^ 毎日新聞政治部 2009, pp. 26–29.
- ^ “鳩山「脱官僚内閣」スタート 論客配置、ベテラン処遇”. 共同通信. (2009年9月16日) 2009年9月17日閲覧。
- ^ “鳩山内閣、支持率70%超え 歴代2位か3位の高水準”. 夕刊フジ (産業経済新聞社). (2009年9月18日) 2009年10月30日閲覧。
- ^ “岡田幹事長の「意地」 政権移行チーム構想も雲散霧消”. 産経新聞: p. 2. (2009年9月2日) 2009年11月6日閲覧。
- ^ “社民党連立離脱/危機にひんする鳩山政権”. 河北新報. (2010年5月31日) 2010年6月8日閲覧。
- ^ 首相、小沢氏と約30分再会談 進退含め協議 日本経済新聞 2010年6月1日
- ^ “鳩山首相退陣、小沢幹事長も辞任 普天間、政治資金で引責”. 共同通信. (2010年6月2日) 2010年6月8日閲覧。
- 1 鳩山由紀夫内閣とは
- 2 鳩山由紀夫内閣の概要
- 3 内閣の顔ぶれ・人事
- 4 勢力早見表
- 5 参考文献
- 6 関連項目
鳩山由紀夫内閣
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鳩山由紀夫内閣の内閣支持率が急低下すると「各社が回数を競い合うように年中、調査を実施し、内閣支持率が下がれば大事件が起きたかのように報じる。それが世の中の失望感をさらに増幅させ、政治家もまた右往左往する。」「20年以上前の自民党政権のように権力が強大だったころと比べて、今の政治は本当にひ弱だ。だからメディアも日々、政治にいちゃもんさえつけていればいいという発想を変えるべき」と述べ、マスコミに対して、ネガティブな報道を控えるように主張した。また、国民に対しては「国民が辛抱強くリーダーを育てていく時代」であるとして、鳩山由紀夫総理大臣を支えるように訴えた。 鳩山由紀夫総理大臣の「普天間基地移設問題を2010年5月末までに決着させる」という発言について、与良は「(鳩山は)けっこう粘り強い人」とコメントして、その実現を疑問視する声に反論した。しかし鳩山は移設問題を「解決」することなく、現行案に回帰して退陣した。
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鳩山由紀夫内閣
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「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の記事における「鳩山由紀夫内閣」の解説
2010年(平成22年)5月11日、西村智奈美外務大臣政務官および松野頼久内閣官房副長官は、衆議院法務委員会において「慰安婦問題についての政府の基本的な立場は、平成五年八月四日の河野官房長官談話のとおり」として、談話を踏襲していることを表明した。
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鳩山由紀夫内閣
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2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙で当選(10期目)。2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣発足により、副総理として入閣。あわせて内閣府特命担当大臣(経済財政政策・科学技術政策)および「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(いわゆる国家戦略担当大臣)に就任した。しかし、その後国家戦略相として予算編成の「司令塔」を期待されながら、その役割を果たせていないと鳩山首相から評された。政府の新成長戦略策定の主導を果たしたが、予算編成には間に合わずに出遅れ感を際立たせることにもなった。 2010年1月7日、財務大臣の藤井裕久の辞任に伴い、副総理、経済財政政策担当相と兼務する形で、後任の財務大臣に横滑りで就任した。国家戦略担当大臣および科学技術政策担当大臣は退任し、国家戦略担当相は行政刷新担当相の仙谷由人が、科学技術政策担当相は文部科学大臣の川端達夫がそれぞれ兼務し引き継いだ。財務大臣就任以後も、脱官僚をアピールするために、財務省の大臣室ではなく引き続き官邸内の副総理室にとどまり、財務官僚が官邸に通う形にした。 一方で、国会質疑の場で乗数効果、消費性向などについての質問を受けると答に窮し、質疑を止めて官僚を呼ぶ など財政政策に対する理解の浅さを指摘された場面もあった。 2010年3月19日、民主党東京都連会長辞任(民主党東京都連通常総会開催まで海江田万里衆議院議員が民主党東京都連会長職務代行に就任)。 鳩山内閣の支持率が低下する中、菅は各種世論調査で「次期首相にふさわしい人物」の上位に位置する などポスト鳩山の有力候補の一人と目された。
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鳩山由紀夫内閣(民社国連立政権)
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鳩山由紀夫内閣を参照のこと。
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鳩山由紀夫内閣
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民主党代表で上記の鳩山一郎の孫にあたる鳩山由紀夫を首班とする内閣。2009年(平成21年)9月16日に発足し2010年(平成22年)6月4日まで続いた内閣詳細は「鳩山由紀夫内閣」を参照
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