国際科学技術博覧会
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エキスポール
筑波科学博・送電鉄塔「エキスポール」は、スリムな外観と力学的構造の簡潔な線の流れが近寄るにつれてダイナミックな印象を人々に与えるとともに、見る位置によって四本の支柱が二本あるいは三本に見え、景観に変化をもたらしている。特に、アームの付け根部分を円盤状にすることで、日本古来の方形の和室と円窓の調和美にも通じる美しさを表現している。現在でも6基が科学万博跡地にそびえたつ。諸元として、高さは45メートル、15万ボルトの電流を流している。1984年に完成。東京電力の設計で、黒川紀章がデザインコンサルティングを務めた[17]。会期中夜間の人々の移動を考慮して、エキスポールにも屋外照明が設けられている[18]。
博覧会終了後
会期終了後、メイン会場跡地は工業団地(筑波西部工業団地)に転用され、Dブロック跡地には「科学万博記念公園」が設立された。旧桜村(現つくば市)吾妻の第二会場は、翌1986年4月17日にメモリアル施設である「つくばエキスポセンター」として整備・開設され、現在に至っている。
博覧会終了後のパビリオン
- 「ソビエト連邦館」は、筑波研究学園専門学校の2号館校舎「科学万博記念館」として再利用された。
- テクノコスモスの大観覧車は大阪府吹田市のエキスポランドに移設され、名を「テクノスター」に変え2007年の閉園まで活躍、2009年11月に解体された。またビスタライナーもほぼ同時期にエキスポランドに移設された。
- 「国際連合平和館」は、博覧会終了後の1986年3月、爆破解体により取り壊された。
- 「エキスポプラザ」は博覧会終了後も残す予定だったが、解体業者が誤って屋根を支える柱を1本壊してしまったため、やむを得ず予定を変更して解体された。
- 「ジャンボトロン」はサウジアラビア、ニューヨーク、中国のいずれかに移設する案があったが、移設費の問題で断念、解体された[19]。
博覧会終了後の展示物
- 「ガスパビリオン」の「炎の樹」は、東京都江東区豊洲にあった旧ガスの科学館に移設された。
- 「富士通パビリオン」の「ザ・ユニバース」は万博閉幕後にららぽーと船橋ショッピングセンター駐車場に特設会場を設置し、上映された。その後、横浜こども科学館でも期間限定上映され、1991年以降は幕張富士通ドームシアターで国際花と緑の博覧会に出展された「ザ・ユニバース2」と2本立てで公開された。ナレーターは羽佐間道夫。
- 「富士通パビリオン」の建物の柱の一部がモニュメントとして、渋谷教育学園幕張高等学校に移設されている。
- 「芙蓉ロボットシアター」のロボットの一部は、サイバーダインスタジオに展示されている[20]。
- 「テーマ館」の「WASUBOT」は、つくばエキスポセンターの「科学万博‐つくば’85メモリアル」コーナーに展示されている[21]。
- 「歴史館」で展示されていた玉虫型飛行器は、二宮忠八飛行館に展示されている[22]。
- 「松下館」で展示されていた似顔絵描きロボット、ロボっ太は、白浜エネルギーランドに展示されている[23]。
その他
ポストカプセル2001
郵政省は「ポストカプセル2001」というサービスを行った。これは、科学万博郵便局内に設置した専用ポストへ投函した、またはポストカプセル郵便であることを明記した手紙が、16年後の21世紀最初の元日である2001年(平成13年)1月1日に届くというもの。配達当日には、郵政省が消滅し総務省(郵政事業庁)に再編されており、当時の郵便はがき一葉の値段より値上がりし、郵便番号も3桁から7桁化されていたが、326万636通の郵便物が差額無しで投函時の値段40円で郵便配達された。配達までは筑波学園郵便局で保管されていた。
- このサービスで送られたTBS『ザ・ベストテン』宛てのリクエスト葉書(アルフィーの曲へのリクエスト)が、2001年12月30日の特番『ザ・ベストテン2001』で紹介された。
- このサービスで送られた電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』への投稿葉書が、同誌2001年3月号p.177で紹介されたほか、『アニメージュ』(徳間書店)、『アニメディア』(学習研究社)、『ファンロード』(当時ラポート)各誌への投稿葉書も、それぞれの2001年3月号にて掲載された。
- このサービスで送られた坂本九からの年賀状が、実娘・大島花子のもとに届いたことを、大島が2017年(平成29年)1月30日放送の『白熱ライブ ビビット』(TBS系)で明らかにした[24]。
- 1999年に発生した桶川ストーカー殺人事件の被害者(当時7歳)が未来の自分に宛てた手紙が届けられた[25][26]。
- 万博を訪れた開催当時の内閣総理大臣中曾根康弘は2001年の内閣総理大臣宛の手紙を投函[27]。受け取ったのは森喜朗だった。
記念発行物
- 記念切手
- 記念貨幣
- 記念入場券・乗車券
- 記念スタンプ
- 各パビリオンに設置されたシヤチハタ製の大型スタンプ。パビリオンごとに建物やキャラクターなどがデザインされ、「無料で持ち帰れるおみやげ」として好評だった。
- テレホンカード
- 日本電信電話公社(現日本電信電話株式会社)から50度数・100度数・300度数・500度数の四種類が発行された。
つくば博関連の曲
- 公式のテーマ曲
- 各パビリオンのテーマ曲
- 「We will be one someday」(「日本政府館」のテーマ曲)
- 「The Fantasia Of Falls」(「滝の劇場・三井館」のテーマ曲)
- 「空に会おうよ」(「住友館 3-D ファンタジアム」のテーマ曲・作詞:矢野顕子・作曲・編曲:坂本龍一・歌:モモ)
- 「夢の旅人」(「三菱未来館」のテーマ曲・作詞:竜真知子・作曲・編曲:徳武弘文・歌:ダ・カーポ)
- 「君の瞳に恋してる」(「講談社ブレインハウス」のテーマ曲・作詞:康珍化・作曲:鈴木キサブロー・編曲:勝山俊一郎・歌:SALLY)
- 「Fly to tha future,Spaceship C&C!」(「NEC C&Cシアター」のテーマ曲・作曲・編曲:TPO2(安西史孝))
- 「Breathe」(「健康・スポーツ館」のテーマ曲・作詞・作曲・編曲・歌:原田真二)
- 「Bird Chorus」(「燦鳥館」のテーマ曲・作曲・編曲:冨田勲)
- 「すてきなラブ・パワー」(「エレクトロガリバーの冒険・電力館」のテーマ曲・作詞:山川啓介・作曲・編曲:冨田勲・歌:野宮真貴)
- 「ポエジー」(「ダイエー館 詩人の家」のテーマ曲・作詞:清水哲男・作曲:村井邦彦・編曲:ジョー・ジャクソン・歌:戸川純)
- その他
- 「限りなき夢」(歌:三波春夫)
- 「科学万博音頭」(作詞:宮本和夫・作曲:宮本英一・編曲:寺内タケシ・歌:五木ひろし)
- 「HOSHIMARU音頭」(作詞:阿久悠・作曲・編曲:TPO(安西史孝)・歌:池田智子)
- 「万博音頭」(作詞:長坂嘉明・作曲・編曲:加納弘・歌:村田英雄)
- 「つくば万博音頭」(作詞:磯部たけを・作曲:嶋淳平・編曲:白石十四男・歌:大塚文雄・比気由美子)
- 「つくば万博音頭」(作詞・神原一敬・作曲・編曲:山崎洋一・歌:鈴木幸錦・金沢はるみ)
- 参考:「つくば万博音頭」の2曲は単に同名であり歌詞・曲とも全く異なる。
- 「青い宇宙(コスモス)」(作詞:三浦徳子・作曲:都倉俊一・編曲:川村栄二・歌:オーロラ(石川晴美・鈴木祥仁))「ドリームキャラバン」キャンペーンソング
- 「素足のFalling Star」(作詞:友井久美子・作曲:都倉俊一・編曲:つのごうじ・歌:オーロラ(石川晴美・鈴木祥仁))「サイエンストレイン」キャンペーンソング
- 「春色のエアメール」(作詞・作曲:EPO・歌:松本典子)「ポストカプセル2001」キャンペーンソング
オフィシャル・エアライン
日本航空が「オフィシャル・エアライン」となり、ほぼ全ての機材に博覧会のロゴマークを入れて運行した他、多くのパッケージツアーを主催した。場内で運行されていたHSSTも日本航空と名古屋鉄道の共同開発によるものだった。
つくば博を舞台とした作品
- アニメ
- サザエさん - つくば博開催期間中、番組のオープニングで、サザエさんが東芝館に来ていた。当時『サザエさん』は東芝の一社提供番組だった。
- 魔法の妖精ペルシャ - 原作が集英社から刊行されていたことから、第39話『科学博カッパ騒動』はつくば博を舞台としている[28]。
- ミームいろいろ夢の旅 - でんでんINS館を出展していた電電公社→NTTの1社提供番組で、つくば博開幕前から頻繁に取り上げられていた。
- 漫画
- ゴルゴ13 - リイド社刊SPコミックス第66巻『シーザーの眼』の舞台になっている。広告代理店のAEと警視庁にいる友人がタッグを組んで、軍事目的に転用される可能性のある精密機器をめぐって機密情報流出や会場でのテロ行為を阻止する描写が見られる。
- 超人キンタマン - 月刊コロコロコミック1985年3月号(開幕1か月前に発売)に掲載された回の冒頭からつくば博会場が登場した。
- 特撮
- 巨獣特捜ジャスピオン - 第11話『グェッ! ツクバの巨大ガマ大行進』の舞台になった[28]。
- CM
- 綜合警備保障 - つくば博でも警備を担当しており、CMでもつくば博会場の様子を見ることができた(閉幕後もしばらく提供番組(『FNNスーパータイム』など)で流れた)。
その他
- 入場券のうち第1号「AA000001」は、博覧会名誉総裁で当時皇太子であった上皇明仁に献上された[29]。
- つくば博を協賛した1984年の「年末ジャンボ宝くじ」は、売り上げが850億円で、当時の史上最高売上額だった[29]。
- 「NEC C&Cパビリオン」内には、画面に映し出された隕石を射撃して打ち落とすというバーチャルコーナーがあった。当時の内閣総理大臣だった中曽根康弘は、「僕は昔、海軍士官だったからね。」と言い「A判定」を出したと、同パビリオンの館長が語っている[30]。
- 『鉄鋼館』の映像ホールの立体映像は、偏光メガネをかけて見るものであったが、昭和天皇(裕仁)の来場時には、映像による刺激緩和のため、偏光メガネをかけずに見たという逸話がある。
- 会場内には1700基のトイレが設置された。
- 会場内の火災は、ゴミ箱の焼損が5件、倉庫の半焼が1件、電気配線接触部の加熱による建物の部分焼損が1件、演出用モーターの加熱による建物の部分焼損が1件の計8件だった[31]。
- 会場内での刑法犯罪発生件数は、222件だった[31]。
- 会場内での急病人発生件数は、25705名で、うち博覧会従業員は9975名だった。救急車出動件数は1273件で、1307名が付近の病院に搬送された。
- 国鉄列車「エキスポドリーム号」は宿泊需要に応える車中泊サービスだったが、通常の寝台列車として見た場合『わずか2駅しか移動しない寝台列車』であることから鉄道ファンの間からも興味深いものとなっている。
- 夜になると、シンボルタワーの屋上から赤・緑・青のレーザー光を夜空に向けて照射していた。
- ガスパビリオンのシンボル「炎の樹」はガス供給による燃焼であるが、寒い時期には暖を取る人もいたという逸話がある。
- 会場内限定のスクラッチ宝くじが定期的に発売された。これはスクラッチ部分での直接的な当せん以外に、特別賞に当せんすると会場内での「ナンバーズゲーム」(翌年に「グリーンジャンボ宝くじ」の特別賞として設定された「緑のナンバーズゲーム」の前身で、現在の「ナンバーズ3」に近い数字選択式抽せんくじ)に挑戦できるという当時としては画期的な仕組みであった[32]。
- この科学博覧会の仕掛人は、元通商産業省技官で当時は科学技術庁研究調整局長(1983年6月~)で、科学博でも政府館総館長を務めた福島公夫(のちつくば科学万博記念財団理事長)。
- 万博に関する貴重な資料が、筑波山神社の保存専用蔵に保管されていた。通常は一般非公開であったが、2006年(平成18年)に「出没!アド街ック天国」でつくば市が特集された直後に、期間限定で一般公開されたことがあった。また、東ゲートにあった「宇宙の卵」が神社敷地内に展示されている。
- 会場内でスヌーピーをはじめとした漫画『ピーナッツ』のキャラクターが宇宙服を着たデザインの商品が販売されていた[33]。
注釈
- ^ 当時の新聞記事により
出典
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、24頁。
- ^ 美の日本代表決まる『中日新聞』1985年9月14日22面
- ^ ミス・インターナショナル ベネズエラの22歳『中日新聞』1985年9月16日18面
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、8頁。
- ^ 後にプロ野球選手(ヤクルトスワローズ内野手)→スポーツライターに転向。
- ^ [1]
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、9頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、10頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、150頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、11頁。
- ^ 科学万博 つくば’85 鉄鋼館 - 川田テクノロジーズ株式会社、2015年8月3日閲覧。
- ^ a b ジャンボトロン 巨大画面に人々夢中(古今東西万博考) - 日本経済新聞2020年1月4日
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、96頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、97頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、95頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、17頁。
- ^ <科学万博用の送電線路>エキスポール送電開始『新電気』38(12)(489)オーム社 [編] (オーム社, 1984年10月号
- ^ エキスポ-ルの投光照明 (科学万博--つくば′85の照明<特集>) -- (基幹施設の屋外照明(資料))『照明学会誌』 69(5), p238-240, 1985年5月号
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、99頁。
- ^ サイバーダインスタジオ施設概要(2013年8月4日閲覧)
- ^ つくばエキスポセンター 科学万博‐つくば’85メモリアル(2013年8月4日閲覧)
- ^ 二宮忠八飛行館ホームページ - 展示のご案内(2023年12月14日閲覧)
- ^ エネルギーランドのロボットたち(2023年12月14日閲覧)
- ^ “坂本九さん没後に届いた手紙、長女大島花子が明かす”. 日刊スポーツ. (2017年1月30日) 2021年3月24日閲覧。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、148頁。
- ^ こいびとはいるかな 桶川事件被害者からポストカプセル、朝日新聞。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ 『読売新聞』1985年6月11日2面。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、151頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、146頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、120頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、152頁。
- ^ 宝くじのあゆみ 昭和59年〜平成10年、宝くじ公式サイト - 2021年11月27日閲覧。
- ^ 『スヌーピー・ブティック―Peanuts vintage collectibles (2)』辰巳出版(タツミムック)、2002年、127頁。ISBN 4-88641-744-2。
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