国際科学技術博覧会
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国際科学技術博覧会 The International Exposition, Tsukuba, Japan, 1985 | |
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国際科学技術博覧会のロゴ | |
イベントの種類 | 国際博覧会(特別博) |
通称・略称 | 科学万博、つくば万博、つくば科学万博、つくば '85、Tsukuba Expo '85 など |
正式名称 | 国際科学技術博覧会 |
開催時期 | 1985年3月17日 - 9月16日 |
会場 |
日本 茨城県・筑波研究学園都市 |
主催 | 財団法人国際科学技術博覧会協会 |
出展数 | 48ヵ国(日本を含む)と37の国際機関、28の民間企業・団体 |
来場者数 | 2033万4727人 |
最寄駅 | 国鉄常磐線万博中央駅 (後に現在のひたち野うしく駅に改装) |
直通バス | 万博中央駅、水海道駅、牛久駅、土浦駅 |
駐車場 | 有 |
概要
1978年に科学技術庁がエネルギー問題を中心とした科学技術博覧会構想を立案し、9月22日にコンセプトプランを発表。1981年1月にテーマや基本構想原案がまとまり4月22日に『「国際博覧会に関する条約」に基づく特別博覧会』として登録され開催が決定し、財団法人国際科学技術博覧会協会が主催となって行われた。
「人間・居住・環境と科学技術(Dwellings and Surroundings - Science and Techonology for Man at Home)」を博覧会統一主題(いわゆる「テーマ」)とし、日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加した。総入場者数は、2033万4727人であった。首都圏で行われた万博という開催場所の地の利も手伝って、この総入場者数は当時の特別博覧会史上最高入場者記録となった。会場面積は101.6ヘクタール。
組織
- 名誉総裁 - 明仁(当時皇太子)
- 会長 - 土光敏夫
- 副会長 - 稲山嘉寛、井深大、江戸英雄、川又克二、五島昇、小林宏治、竹内藤男、花村仁八郎、本田宗一郎、松井明、守屋学治、吉山博吉
- 事務総長 - 伊原義徳
シンボルマーク
「宇宙」「地球」「人間」「科学」「芸術」などの未来像をイメージして作られたという。形は、青地の三角形の中に白丸と2個の輪が描いたものが使用された。三角形の頂点は「筑波の山々」を表し、みっつの角は、「人間」「居住」「環境」を、白丸は「太陽」を、ふたつの輪は「人間」と「科学」を表す。田中一光作。
マスコット
マスコットキャラクターは「コスモ星丸(ほしまる)」。1981年から1982年にかけて、日本全国の小中学生から公募され、当時愛知県一宮市に住んでいた中学1年生の女子生徒がUFOをイメージして描いたものに、選考委員だった和田誠が仕上げを加えたものであるという[1]。なお当初は「ピコちゃん」という仮称が付けられていたが、アンケート調査などを経て正式名が決定した[1]。
入場料
- 当日発売入場券
- 大人:2700円
- 中人:1400円
- 小人:700円
- 前売入場券(2割引)
- 大人:2160円
- 中人:1120円
- 小人:560円
- 夜間入場券(午後4時以降)
- 大人:1400円
- 中人:700円
- 小人:400円
- 回数券(5回分)
- 大人:12000円
- 中人:6000円
- 小人:3000円
会場
- 第一会場(メイン)
- 茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在:つくば市御幸が丘)。現在は、筑波西部工業団地 及び 科学万博記念公園となっている。
- 第二会場(サブ)
- 茨城県新治郡桜村吾妻(現在:つくば市吾妻)二丁目9番地。現在は、つくばエキスポセンターとなっている。
開催中の様子
開会式
開会式は、開幕前日の3月16日にエキスポプラザで行われ、皇太子明仁(名誉総裁)・同妃美智子・礼宮文仁が臨場し開催された。参加48の国旗・国際機関・28のパビリオンの入場行進は「EXPO'85マーチ」で、服部克久が作曲した。吹奏楽団と合唱団は茨城県内の高校の生徒から選抜され、合唱団は全員が女性による女声合唱であった。管弦楽はNHK交響楽団で、指揮は外山雄三であった。国旗・国際機関の掲揚の際には「EXPO '85讃歌 ここは宇宙」(作詞 阪田寛夫、作曲 芥川也寸志)が合唱された。BIE旗がBIE副議長から博覧会協会会長の土光敏夫に手渡され、土光、官房長官の藤波孝生(当時首相の中曽根康弘の代読)、皇太子らが式辞を述べ、博覧会担当大臣の竹内黎一により開幕のスイッチが押された。開会式では、他にアトラクションとして、N響と「WASUBOT」によるバッハの『G線上のアリア』、茨城大学教育学部附属小学校の児童によるシンセサイザーのためのベートーヴェンの『交響曲第9番』の演奏が行われ、フィナーレには西城秀樹と子供たちによる『一万光年の愛』のライブパフォーマンスで終了した。
おもな出来事
- 9月13日 - エキスポプラザでミス・インターナショナルとミス・ワールドの日本大会が開催され、前者の日本代表には小林利花、後者には杉本治子が選出された[2]。
- 9月15日 - エキスポプラザでミス・インターナショナル世界大会が開催され、ベネズエラ代表のニーナ・シシリア・エルナンデスが優勝した[3]。
閉会式
閉会式は、最終日の9月16日にエキスポプラザで行われ、皇太子夫妻が臨場の下、開催された。参加48の国旗・国際機関・28のパビリオンの入場行進の後、博覧会協会会長 土光敏夫、首相 中曽根康弘、皇太子らが式辞を述べ、国旗・BIE旗・科学万博旗・国際機関旗が一斉に降ろされ、BIE旗が1986年のバンクーバー国際交通博覧会パトリック・リード(カナダ政府代表)に引き継がれた。その後、ブルガリア人民共和国・オーストラリア・カナダで開催される万博の成功を祈願して記念品が贈呈された。最後に、万博に参加した関係者に子供たちから花束が手渡され、蛍の光が流れる中、閉会式が終了した。
会場アクセス
注釈
- ^ 当時の新聞記事により
出典
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、24頁。
- ^ 美の日本代表決まる『中日新聞』1985年9月14日22面
- ^ ミス・インターナショナル ベネズエラの22歳『中日新聞』1985年9月16日18面
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、8頁。
- ^ 後にプロ野球選手(ヤクルトスワローズ内野手)→スポーツライターに転向。
- ^ [1]
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、9頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、10頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、150頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、11頁。
- ^ 科学万博 つくば’85 鉄鋼館 - 川田テクノロジーズ株式会社、2015年8月3日閲覧。
- ^ a b ジャンボトロン 巨大画面に人々夢中(古今東西万博考) - 日本経済新聞2020年1月4日
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、96頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、97頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、95頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、17頁。
- ^ <科学万博用の送電線路>エキスポール送電開始『新電気』38(12)(489)オーム社 [編] (オーム社, 1984年10月号
- ^ エキスポ-ルの投光照明 (科学万博--つくば′85の照明<特集>) -- (基幹施設の屋外照明(資料))『照明学会誌』 69(5), p238-240, 1985年5月号
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、99頁。
- ^ サイバーダインスタジオ施設概要(2013年8月4日閲覧)
- ^ つくばエキスポセンター 科学万博‐つくば’85メモリアル(2013年8月4日閲覧)
- ^ 二宮忠八飛行館ホームページ - 展示のご案内(2023年12月14日閲覧)
- ^ エネルギーランドのロボットたち(2023年12月14日閲覧)
- ^ “坂本九さん没後に届いた手紙、長女大島花子が明かす”. 日刊スポーツ. (2017年1月30日) 2021年3月24日閲覧。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、148頁。
- ^ こいびとはいるかな 桶川事件被害者からポストカプセル、朝日新聞。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ 『読売新聞』1985年6月11日2面。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、151頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、146頁。
- ^ 『つくば科学万博クロニクル』、120頁。
- ^ a b 『つくば科学万博クロニクル』、152頁。
- ^ 宝くじのあゆみ 昭和59年〜平成10年、宝くじ公式サイト - 2021年11月27日閲覧。
- ^ 『スヌーピー・ブティック―Peanuts vintage collectibles (2)』辰巳出版(タツミムック)、2002年、127頁。ISBN 4-88641-744-2。
- 1 国際科学技術博覧会とは
- 2 国際科学技術博覧会の概要
- 3 パビリオン
- 4 エキスポール
- 5 脚注
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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