千日デパート火災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 17:29 UTC 版)
千日デパート火災 | |
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現場 | 日本・大阪府大阪市南区難波新地三番町1番地および四番町1番地(火災当時)[1][2][注釈 1] |
発生日 |
1972年(昭和47年)5月13日[3] 22時25分(着火時刻・大阪地方裁判所推定)、22時27分(発火時刻・大阪市消防局推定)[4][3] (JST) |
類焼面積 | 8,763平方メートル(延焼階=2階、3階、4階)[5] |
原因 | 不明(大阪地裁、大阪高裁、最高裁、大阪地検、大阪市消防局による判断)[6][7][注釈 2][注釈 3][注釈 4] |
用地 | 商業地域、防火地域 用途=複合用途商業施設[8] |
被害建築物 | 千日デパートビル (建築面積3,770.21平方メートル、延床面積2万7,514.64平方メートル、地上7階建。地下1階、塔屋3階建を含む。)特定防火対象物第4項[注釈 5][注釈 6][8] |
死者 | 118人[9][10][11][12] |
負傷者 | 81人[11][注釈 7] |
関与者 | 日本ドリーム観光、千土地観光、ニチイ千日前店および電気設備工事業者[13] |
目的 | 21時閉館後に実施した3階の電気設備工事、21時閉館後に館内で唯一開店していた7階風俗店の営業[14]。 |
最高裁判所判例 | |
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事件名 | 業務上過失致死傷被告事件[15] |
事件番号 | 昭和62(あ)1480[15] |
1990年(平成2年)11月29日[15] | |
判例集 | 最高裁判所刑事判例集・第44巻8号871頁から879頁[16] |
裁判要旨 | |
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最高裁判所第一小法廷[20] | |
裁判長 | 大堀誠一[21] |
陪席裁判官 | 角田禮次郎[21]、大内恒夫[21]、四ッ谷巌[21]、橋元四郎平[21] |
意見 | |
多数意見 | 全員一致[21] |
意見 | なし[21] |
反対意見 | なし[21] |
参照法条 | |
刑法211条[15] |
同地の千日デパート(日本ドリーム観光経営、鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3,770.21平方メートル、延床面積2万7,514.64平方メートル、地上7階建、地下1階、塔屋3階建[22][24])3階から出火し、2階から4階までの8,763平方メートルの範囲に延焼、出火から約9時間後に鎮火した。死者118人・負傷者81人にのぼる人的被害を出し、戦後日本のビル火災として最大の惨事となった[注釈 9][注釈 10][注釈 12] [9][10][11][27][28]。本件は「千日デパートビル火災」という呼称も使われる[注釈 13][29]。また、地名から「千日前ビル火災」[30][31]、「千日前惨事」とも呼ばれた[32][33]。
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