内藤武敏 来歴・人物

内藤武敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 16:51 UTC 版)

来歴・人物

映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。

1950年宇野重吉加藤嘉北林谷栄鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。

1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。

大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。

武田泰淳ひかりごけ』(1954年刊)を、壮年期に読み映画化を長年切望し、友人である三國連太郎が主演を快諾し、親交の深い熊井啓を監督に、1992年に公開を実現させた[注釈 1]。同作品はベルリン国際映画祭に正式出品されるなど、高い評価を受けた。

ロバート馬場裕之は縁戚にあたる。

2012年8月21日午前10時10分、悪性リンパ腫により神奈川県横浜市の病院で死去[2]。86歳没。

出演

映画

テレビドラマ

ナレーション

吹き替え

歴史番組

脚注


注釈

  1. ^ 内藤自身も出演、製作でもクレジットされている。
  2. ^ 第1シリーズ前期を担当(後期から黒沢良)。

出典

  1. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、141頁。 
  2. ^ “映画、ドラマで名脇役…内藤武敏さん 86歳で死去”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年8月30日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/30/kiji/K20120830004004250.html 2017年1月14日閲覧。 
  3. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
  4. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 209, 「『ゴジラ』作品解説/俳優名鑑」
  5. ^ 岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説 あるプロデューサーのテレビ青春日誌』日本テレビ放送網、2003年、141頁。ISBN 4-8203-9863-6 


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