かとうれいこ かとうれいこの概要

かとうれいこ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 06:40 UTC 版)

かとう れいこ
本名 横尾 房江(旧姓:加藤)
別名義 星野裕子、星野麗子
生年月日 (1969-02-19) 1969年2月19日(54歳)
出生地 埼玉県越谷市[1]
国籍 日本
血液型 A型
職業 タレント歌手女優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1988年 - 2001年
2012年 -
活動内容 グラビアバラエティー
配偶者 横尾要プロゴルファー
 
受賞
クラリオンガール(1990年)
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かとう れいこ
プロフィール
別名義 星野裕子
星野麗子
生年月日 1969年2月19日
現年齢 54歳
出身地 日本埼玉県越谷市
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 163 cm
スリーサイズ 86 - 58 - 84 cm
カップサイズ F[2]
活動期間 1988年 - 2001年
2012年 -
事務所 サンズエンタテインメント
受賞歴 クラリオンガール1990、アサヒビールイメージガール1991
アイドル: テンプレート - カテゴリ

来歴

芸能界入り前

1969年
2月19日、埼玉県越谷市に生まれる。三人兄妹の妹で、二人の兄がいた[4]
1984年
3月、越谷市立北中学校を卒業。中学ではバスケットボール部に所属していた[5]
4月、春日部共栄高等学校に進学。高校時代に崎谷健次郎のファンになった(1992年の項目を参照)。
1987年
3月、春日部共栄高等学校を卒業。
4月、江戸川女子短期大学に進学。学業の傍ら、ドライブカラオケテニスなどを楽しんでいた[4]

星野裕子・星野麗子 時代

1988年~1989年夏まで
短大2年の頃、東宝芸能から星野 裕子(ほしの ゆうこ)の芸名でグラビアでデビューした[注釈 1]。同じ事務所の羽田美智子と共に白夜書房の『写真時代ジュニア』のグラビアに掲載された会田我路撮影の写真が芸能プロダクション・イエローキャブの社長であった野田義治の目にとまり、羽田と共に移籍した(羽田はその半年後に他の事務所に移籍した)[6]。9月13日に先輩のタレント・女優・歌手としてイエローキャブを支えてきた堀江しのぶが23歳の若さで病死し、憔悴する野田を自分が支えようと思ったという[7]。その後イメージビデオにも出演し、ほどなく星野 麗子(ほしの れいこ)に改名。この時は野田義治が大原麗子に因んで命名した。1989年3月に江戸川女子短期大学を卒業。星野裕子時代のサイズは非公表と見られるが[8]、星野麗子時代の公表サイズは複数存在し、2本のイメージビデオのうち1本では身長160cm、B97・W62・H90[9]、他の1本では身長161cm、B88・W58・H84[10][注釈 2]

かとうれいこ 時代

1989年秋~1990年
1989年9月6日、4820人の応募者の中から(第16代)'90クラリオンガールに選出されたと発表された際、かとう れいこに再び改名した[注釈 3][4]。クラリオンでは、かとうの人気を見込み、ポスターを通常の5倍の5万枚作成した[6]。1993年頃まで数多くの写真集・イメージビデオが発売され、日本を代表するグラビアアイドルとなった。同時期に活躍した細川ふみえらと共にイエローキャブの出世頭として、写真集・ビデオ映画・テレビドラマ・CM・歌など多方面において活躍した[1]。1990年には及川眠子が日本語詞をつけたストック・エイトキン・ウォーターマンの曲『LISTEN TO YOUR HEART』で歌手デビューし、初のアルバム『Virgin Heart』をリリースしたほか、ビデオ映画『女教師仕置人 復讐の女神』[1]で女優デビューし、『女教師仕置人 地獄の女神』でも主演。クラリオンガール発表時公表の身長は161cm、体重は45.5kg、スリーサイズはB86・W58・H84[4]、後に公表されたカップサイズはF[2]
1991年
アサヒビールイメージガールに選ばれ[1]、歌手としても日本青年館大ホールで初のコンサートを行なった。南佳孝郷ひろみのカバーシングル『モンロー・ウォーク』は惜しくもチャート入りを逃し、テイチクからパイオニアLDCへ移籍。続く両A面シングル『Moonlight Surfer / ステキなことだと思うから(作詞:戸沢暢美 作曲:清岡千穂)』は初のオリコンチャート入りを果たした(2週ランクインし最高71位、売上1万枚)[11]。前者はパンタ石川セリに提供した名曲の中村哲編曲によるカバーであった。またビデオ映画 『大人になりたい-too many rules』『お熱いのがお好き』で主演。
1992年
フジテレビの深夜音楽番組『ROCK SHOW』で司会を務め、ゲスト出演者との逸話を数多く残している。森川美穂には、誤って「森川由加里さんで〜す」と紹介してしまい、森川本人に「おいおいおいおい」と突っ込まれている。それ以来、井上昌己峠恵子と同様、大親友となった。また、崎谷健次郎には、高校時代以来のファンであることを明らかにし、崎谷からの楽曲提供を依頼した。これはアルバム『ケリード』(パイオニアLDC)で実現し、自ら作詞した崎谷との共作も収録した。両A面シングル『洗いたての時間(作詞:只野菜摘 作曲:羽場仁志)/ ハーフムーンは傷ついてる(作詞:戸沢暢美 作曲:杉山清貴)』はオリコンチャートに1週のみランクインし(85位)、3千枚の売上を記録した[11]。後者は自ら主演したテレビ東京の連続ドラマ『幸せになりたい!平成嵐山一家』の主題歌であった。7月、写真週刊誌が「建設会社社長の息子で、歯科医の卵である男性」との熱愛を報じ、かとうの人気に一定のダメージを与えた[6]蔵間龍也と共にテレビ東京の視聴者参加番組『激突!アメリカン筋肉バトル』の司会も務めた。
1993年
この年にリリースされたシングル『この愛のすべて』(作詞:吉元由美 作曲:松本俊明)はオリコンチャートに4週ランクインして1万6千枚を売り上げ(最高69位)、かとうの最大のヒット曲となった[11]。B面の『Make Me Smile』は自作詞で川上明彦の作曲であった。
1994年
レコード会社を崎谷健次郎と同じポニーキャニオンに移籍する。崎谷プロデュースによるシングル『Weekend Lovers』『月とラプソディー』(いずれも作詞:森雪之丞 作曲:崎谷健次郎)をリリースし、後者は関西テレビ三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』のエンディングテーマソングとなる。
1995年
音楽活動では崎谷から影響を受け、自ら作曲も行うようになり、アルバム『Reiko』では自作曲も収録した。山梨県北巨摩郡小淵沢町(現在の山梨県北杜市小淵沢町地区)で開催された崎谷のアコースティック・ライヴ(サポートミュージシャンには後に椎名林檎のバンド『東京事変』に参加する亀田誠治をはじめ、渡辺格小林弌金原千恵子が参加。)にゲスト出演した。この模様はNHK-BS2で『崎谷健次郎withかとうれいこ アコースティックライブin小淵沢』として翌年2月20日午後2時から3時15分まで放映された[12]。以降はアーティストとして意欲的にメロウな音楽作品を発表した。同年のテレビの特別番組にて、かとうの大ファンだという岡村隆史と共演したが、岡村から執拗にセクハラギャグを受け、本気で岡村のことを嫌う。学生時代からかとうの大ファンだったという岡村は大層ショックを受け、のちにフジテレビ系「めちゃ×2モテたいッ!」内で本気の謝罪を行った[注釈 4]。この年からNHK大河ドラマ八代将軍吉宗』に「千草」役で出演するなど女優活動も盛んになった[1]。またBayFMの『LOVE TALKIN'』で高橋克典と共に番組DJを務めた。
1996年
レコード会社をポニーキャニオンからトーラスに移籍。
1998年
男性ギタリスト前田克樹との音楽ユニット『Baby it's You』を結成し、CDを発表する。またTBS花王愛の劇場勇気をだして』で主演。

芸能界引退と復帰

2001年12月15日プロゴルファー横尾要と結婚を機に、本名は横尾姓となり、事実上芸能界引退となった。2002年(平成14年)11月9日、都内のホテルで結婚披露宴が行われた[注釈 5][6]2003年2月20日には長女・紗千(さち)を出産。その後は暫く主婦業に専念。

2012年6月27日、日本テレビ系「1番ソングSHOW」に出演し11年ぶりのメディア出演。また、イエローキャブを離れた野田義治が経営に携わるサンズエンタテインメントにも復帰した[注釈 6][6]。なお、長女の横尾紗千もiDOL Streetに所属(2017年に卒業)するなど芸能活動を行っている。

エピソード

野田義治が自身の著書内で『ある有名人から「バストの大きさ・美しさで、日本人で初めてアメリカ女性に勝った存在」とかとうれいこを絶賛された』と記している[6]

一方でかとう自身は自分の豊かな胸にコンプレックスを抱いており、自身の最も重心を置きたい芸能活動が音楽だったのに対し、ファンの要望するものがグラビア活動であることのギャップに苦しんだ。かとうのグラビアや写真集が莫大な利益を生み出したのに対して、歌手としてリリースしたシングルとアルバムは、すべて赤字であった[6]

初めてテレビのバラエティ番組に出演した際、司会者から質問を受けて即答せずに考え込んでしまい、結局は答えずじまいでカメラが他の出演者に行ってしまった。収録後に野田が「質問された時、なんですぐに返さないんだ」と訊くと「バカだと思われるのが嫌なんです。真剣に考えて真剣に答えようと思ったら、もうカメラがいなかったんです」と答えた。野田は注意はしたが「れいこはバラエティ番組には向かないな」と思ったという[6]。即興性の求められるバラエティ対応にかとうも努力し、1991年には『ドリフ大爆笑』でコントにも多数出演して志村けん加藤茶からのアドリブ的ギャグにも応対できるようになった。

堀江しのぶはグラビア撮影時にどんなポーズの撮影でも嫌な顔を見せなかったが、かとうは仕事中もはっきりとイエス、ノーを言った。駆け出しの頃の細川ふみえはかとうと一緒に仕事をすることが多く、かとうが断った仕事はすべて細川に回り代わりに受けていた。野田は「れいこが長女で、ふみえは次女だ」と言い、堀江しのぶあってのかとうであり、細川の人気も堀江とかとうあってのものと考えていた[6]

野田は一度だけ、かとうに「お前はクビだ!」と怒鳴ったことがある。香港で写真集の撮影をしていた時で、野田は怒ってそのまま日本に帰ると言い現場を去ってしまった。カメラマンの山岸伸は泣きじゃくるかとうと立ち去る野田を見比べながら顔色を失ったが、野田は日本へ立つ空港から山岸に電話をかけて「山岸さん、あとを頼むね。れいこに飯を食わせてやってよ」と告げて機上の人となった。山岸は胸を撫で下ろしたが、「クビだと言った時の野田さんは、本気だったな」と思ったという[6]

野田が2004年11月26日にイエローキャブの社長を辞任したことがわかると、野田のもとに真っ先に電話をくれたのはかとうだった。野田は「まあ、大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ」と答えながら、れいこはやっぱり、いいコだなと思った と述べている[6]

結婚後の芸能活動を休止していた間にハンドケアセラピスト、ハーブティーソムリエの資格を取得している(外部リンクのサンズエンタテインメントのプロフィール参照)。

主な出演

Vシネマ

  • 女教師仕置人<復讐の女神>(1990年 日本ビデオ映画株式会社。2008年にイー・マーケティングによりDVD化)主演・スーパーレディ・れいこ(女子高の英語教師)
  • 女教師仕置人<地獄の女神>(1990年 日本ビデオ映画株式会社)主演・スーパーレディ・れいこ
  • 大人になりたい TOO MANY RULES (1991年 東北新社主演・夏
  • お熱いのがお好き(1991年)主演・探偵
  • プロミスリング ~鹿島アントラーズ物語~(1993年12月16日 バンダイビジュアル)- 五島美雪(新聞記者)
  • 強奪(2000年 東映)- 水木麗子(刑事)

テレビドラマ

映画

バラエティー・他

ラジオ

CM

ミュージカル

  • アニー(Annie)グレース(2000年)[14] - 大富豪ウォーバックス氏の秘書

注釈

  1. ^ かとうが芸能活動を始めた正確な時期は不明である。大下英治『巨乳をビジネスにした男 野田義治の流儀』でも、野田と出会う前のかとうについては詳しい記述がなく、かとうの両親や兄たち、少女時代のことも記述がない。堀江しのぶ細川ふみえ雛形あきこ山田まりやMEGUMI(野田が育てた他のタレントたち)の家庭環境や少女時代が詳しく記されているのとは大きな相違がある。
  2. ^ 2本のイメージビデオのどちらも、カップサイズの記載はない。
  3. ^ 翌日の新聞では各紙とも、選出されたのは「加藤房江さん」(読売は「家事手伝い」と表現)で、これから「かとう・れいこ」としてデビューすると報じており、「星野裕子」及び「星野麗子」としての芸能活動には一切触れていない。
  4. ^ 読売新聞によると、この放送は1995年12月30日午後11時から「99岡村 涙と感動ドキュメント 激怒のかとうれいこに冬空の夜衝撃マル秘告白・45分間ドキドキしたい人は絶対見て下さい」と題し、通常の30分間より15分延長して放送された。
  5. ^ かとうと横尾が出会ったのは、コンビニをチェーン展開していた「エーエム・ピーエム・ジャパン」(2010年(平成22年)にファミリーマートに吸収)主催パーティーの席上で、野田義治が一緒に連れてきたかとうを横尾に紹介したのが交際のきっかけとなった。
  6. ^ サンズエンタテインメントの前身サンズは1990年、歌手志向の強いかとうのために野田がつくった新たなプロダクションであった。そのため、かとうはケイダッシュに移籍した9ヵ月間を除いて、2001年に一時引退するまでイエローキャブでなくサンズに所属していた。
  7. ^ 同名のイメージビデオは星野麗子名義であるが、この写真集はクラリオンガール選出後に発行されたため、かとうれいこ名義である。
  8. ^ 「モンロー・ウォーク」とはアメリカの大女優マリリン・モンローが映画『ナイアガラ』で見せるセクシーな歩き方を意味し、このカバーはかとうを「日本のマリリン・モンロー」に見立てたものであるが、歌詞の書き換えは行わず、原曲と同じく男性目線の歌詞で歌っている。
  9. ^ "Surfer in the moonlight"のリフレインが冒頭に加えられるなど、原曲と多少の相違がある。
  10. ^ このアルバムはシングル『モンロー・ウォーク』と関連する。CDジャケットには映画『七年目の浮気』でマリリン・モンローのスカートが浮き上がるシーンを思わせるかとうの写真が使われている。『アイ・ワナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー』はモンローの代表曲であり、モンローがこの曲を歌った映画『お熱いのがお好き』をはじめ『恋をしましょう(当アルバムでは原題「Let's Make Love」を曲名とし、邦題を副題としている)』『ノックは無用(当アルバムでは原題「Don't Bother to Knock」とは逆の意味の副題「Don't disturb」(邪魔しないで、の意)がついている)』がモンロー主演の映画からそのまま取られた曲名である。同じくモンロー主演の映画『帰らざる河』は当アルバムでは『帰らざるビーチ』と改題されている。『イヴの総て』は無名時代のモンローが端役で出演した映画である。『渚のメリー・ボーイズ』は渚のオールスターズの1987年のアルバム『NAGISA NO CASSETTE VOL.1』収録曲のカバーである。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.108.
  2. ^ a b イメージビデオ『Virgin Heart』のパッケージ表裏両方に記載されている。
  3. ^ かとうれいこ
  4. ^ a b c d 「クラリオンガール」16代目にかとうさん 読売新聞 1989年9月7日経済面、ほか多数
  5. ^ かとうれいこ (2018年8月30日). “☆中学の時の☆”. 2018年8月31日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『巨乳をビジネスにした男 野田義治の流儀』大下英治 2008年 講談社 ISBN 9784062146586、95~99頁、100頁、113頁、116~117頁、107・115頁、100頁、107~109頁、105~106頁、108・109・112頁、109~110頁、118頁
  7. ^ “"かとうれいこを今も惹きつける野田義治会長の「グラビア愛」"”. 日刊ゲンダイ. (2016年2月22日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/175574/3 2018年6月12日閲覧。 
  8. ^ 唯一のイメージビデオ『セクシーバイブレーション』のパッケージ裏には「健康的な笑顔とボディが印象的」と記載されているが、具体的なサイズの記載はない。
  9. ^ イメージビデオ『渚のビーナス』パッケージ裏の記載による。また同パッケージでは「18才」と記されているが、実際には当時20歳であった。表には「恋するお年頃。可憐なセクシーサービス。あと(胸囲97cm)3cmの快感震動」と記載されている。
  10. ^ イメージビデオ『マリンブルーに揺れる夏』パッケージ裏の記載による。翌年、かとうれいこ名義で再発売したものにも同一のサイズが記載されている。
  11. ^ a b c d e f 1968-1997 オリコンチャートブック (株)オリコン 1997年 ISBN 9784871310413、81頁
  12. ^ 毎日新聞1996年2月20日TV面、ほか多数
  13. ^ 映画『DAUGHTER』作品情報”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2023年12月16日閲覧。
  14. ^ 中京テレビ イベントホームページ”. 中京テレビ. 2022年3月20日閲覧。


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