サラダボウル
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サラダボウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 09:44 UTC 版)
サラダボウル(英語:salad bowl)とは、ボウルの形をした食器の一種であり、サラダ、特にトストサラダを盛り付けるのに利用される。
材料
サラダボウルは、通常食器に使われるうちのどの材料で作られることもある。例えば、セラミック、金属、プラスチック、ガラス、木材などで作られたサラダボウルが存在する。
木製
1940年代から1960年代にかけて、アメリカ合衆国の多くの料理本では木製のサラダボウルが薦められていた。この流行はレストラン経営者で料理作家のジョージ・レクターが1936年9月5日に『サタデー・イブニング・ポスト』に寄稿した「サラダのお悩み」という題名のコラムがきっかけとなった。このコラムにおいてレクターは、ニスのかかっていない木製のサラダボウルを推奨した。このようなサラダボウルはフランスの伝統であると言い伝えられている。レクターは、ニンニクの旨味を引き出すために、サラダボウルにすり下ろしたニンニクを塗り、さらにそれに油を塗り、そしてサラダボウルは決して洗わないことを薦めた[1]。
(前略)年齢にはボウルと共にすべき全てのことがある。(中略)ご存じの通り、木材は吸収性を持ち、あなたが何年かの間自分のサラダボウルにニンニクをすり下ろして塗り続け、さらにその上から油を重ね塗りすることを続ければ、それはコリント青銅のパティナ、そして、100年もののブランデーのように、個性として認められるだろう。(中略)30年間の本当の幸せは、建立2000年の中国のビャクダン製の寺院と同じくらいのものと認められるようになるまで、ひたすら油を塗り、磨き、そして味わい続けることによって得られる。—ジョージ・レクター、「サラダの日々」[2]
1936年のクリスマスの季節までには、木製のサラダボウルは流行の贈り物になっていた[1]。1949年までには文化評論家のラッセル・ライネスが、教養人は決して「自分のサラダボウルを洗うことを夢見ることはない」と述べるまでになった[3]。
その後すぐに、木製のサラダボウルについては批判も発生したが、その後批判はされなくなった。
おしまいに、廉価で作りの悪いサラダボウルはすぐに壊れてしまううえ、油がボウルの割れ目にしみこむことによってやがてボウルは悪臭を持ってしまうし、ニンニクが頻繁にその表面をこすられた場合、理想的な、かすかで淡い下地はすぐに悪臭を帯びてしまい、ボウルは臭いとしか表現しようのない事態になる。—ルイ・P・ド・グイ(1945年)、『緑の混合』[4]
大きな木製のサラダボウルは、私たちが何度も厳然と言っている通り、日常的に使うことによって、たとえ全く洗わなかったとしても乾燥するようになる。しかし、ボウルは遅かれ早かれ、目に見えないほど小さな割れ目ができて成長してゆき、油や食べ物の小さなかけらが必ずその中に入り込み、そして腐ったような臭いを発するようになってしまうであろうことを指摘しておかなくてはならない。—マイケル・フィールド (1965年)、『マイケル・フィールドの料理学校』[5]
使用
サラダボウルの上にすり下ろしたニンニクを塗ることは、はるか以前から行われている行為である。
「カポン」と呼ばれる動物から作ったパンの皮ですり下ろしたニンニクをサラダボウルに塗る—J・B・B・ド・ロックフォール(1815年)[6]、『フランス人の私生活の歴史』
アメリカ合衆国においても、レクターに先立って、1926年にホテル・マンスリー・プレスから出版された、サラダの料理本『エッジウォーター・ビーチ・ホテル・サラダ・ブック』において、サラダボウルが多くのレシピの食器として推奨されている[7]。
形
サラダボウルには様々な形や大きさのものがあり、非常に平たいものから、非常に高いものまである。
サラダ・ボウル論
カール・デグラーはアメリカ合衆国の民族の多様性あるいは多文化主義を積極的に評価して「サラダ・ボウル論」と名付けた[8]。
脚注
- ^ a b Charles Perry, "Cool Food: When Salad Bowls Stalked the Earth", Los Angeles Times, August 20, 1992
- ^ George Rector, "Salad Days", Saturday Evening Post, September 5, 1936, as quoted in Perry, "Cool Food"
- ^ Russell Lynes, The Tastemakers, 1949, ISBN 0448000547 (1972 printing), p. 316
- ^ Louis P. DeGouy, "The Mixing of the Green", Gourmet, March 1945, reprinted in Ruth Reichl, ed., Endless Feasts: Sixty years of writing from Gourmet , 2002, p. 339
- ^ Michael Field, Michael Field's Cooking School, 1965, p. 298
- ^ J. B. B. de Roquefort, Histoire de la vie privée des françois, Paris:Laurent-Beaupré, 1:17
- ^ Arnold Shircliffe (1926). The Edgewater beach hotel salad book. Hotel Monthly Press 2020年4月21日閲覧。
- ^ 中野雅博. “多文化社会の光と影 -「多文化社会論最終講義」より-”. 立命館大学. 2021年1月6日閲覧。
サラダ・ボウル
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『サラダ・ボウル』(Salad Bowl)は、テレビ神奈川(TVK)にて1985年10月5日から1986年3月29日に放送された、日本初のBGV(環境ビデオ)番組である。
放送は毎週土曜日朝8時00分から8時29分。音声多重放送(ステレオ放送)番組。本編中には一切コマーシャルの入らない「サスプロ(=自主制作)扱い」の放送番組だった。
主な放送内容
- MINT WIND:南国の島々と青々とした海、海岸などを空撮(航空撮影)した映像を清涼感ある音楽と共に送る。
- PALAU:パラオ群島の風景と島々の模様を撮影したビデオ映像に、エキゾチックな音楽を乗せている。
- PALAU2:PALAUの続編。
- Late in Autumn:車に乗って高速道路を走り、トンネルを抜けるとそこは信州の山々。秋の風景や農村風景と共に牧歌的な音楽を乗せて送る。
- Dune-砂丘:鳥取砂丘に設置した定点カメラの風景(早朝から朝、昼間、夕景など)と共に、叙情感ある音楽を乗せて送る。
- THE GYUSHA:由布島の海岸線の風景や、牛車がゆっくり走る様子を、南国風の音楽と共に送る。なお「牛車」は本来はギッシャと読む。
- ※その他、ハワイ群島の島々の様子を空撮したものや、日本国内の風景を撮影したものも放送された。
- ※放送用マザーはステレオ音声MAを施した1吋CタイプVTR、取材時(ENG)素材はベータカムを使用。
放送局
- TVK(テレビ神奈川)単独放送。毎週(土)曜日8:00:00~8:29:00。上記、本編前と本編後のメインタイトルフリップ(番組フリップ)が出ている間はモノラル放送、本編のみステレオ放送。
- ※頭5秒のメインタイトルフリップ「Salad Bowl」の後に本編開始。本編開始と同時に音声多重放送のパイロット信号が入りステレオ放送となる。本編開始後、約30秒内のスーパーチャンス時にTVK独自デザインの「 >>>STEREO<<< 」テロップが5秒間、自動スーパーされていた。本編終了後、CMに入るタイミングでモノラルに切り替わり、ENDフリップも含めモノラル放送。
スタッフ
- ロケーションコーディネーター:小野直己
- 協力:日商岩井、阪急交通社、コンチネンタルミクロネシア航空、パンパシフィックホテルズ、パラオパシフィックリゾート、西日本航空
- コーディネーション:西海岸アドバタイジング、宮下エンタープライズ
- 音楽:赤坂隆、辻邦博、森島達雄、片岡郁雄、堀内太郎、山宮興、青木隆次、谷口雅洋
- 音楽プロデュース:米田秀幸、川島章
- 録音:サウンドスカイスタジオ(エンジニア:望月誠二)、ムーンライトスタジオ(エンジニア:福田真司)
- テクニカルディレクター:本郷義雄、佐藤直哉
- 技術:日本電子工学院(カメラ:鳴海明、一色博幸、境俊雄/ビデオエンジニア:戸張弘、赤坂昇)
- VTR編集:ビデオフォーカス(オペレーター:西川玄、白水孝幸/MA:奥野一之)、クロースタジオ
- MA:ビデオフォーカス、クロースタジオ(※テロップ表記なし)
- アシスタントディレクター:阿部哲也
- ディレクター:いぐろしげお(テレビ神奈川)、阿部哲也
- プロデューサー:深城真治、大谷寛、笹原彰夫(テレビ神奈川)
- 制作協力:PLAY BILL
- 制作著作:TVK(テレビ神奈川)
- ※企画担当者の名前は元々テロップされていないが、番組の企画制作はTVK(笹原彰夫、いぐろしげお)である。
- ※制作著作のテロップは放送マザーのVTRにはスーパーインポーズされておらず、放送時にリアルタイムでTVKのマスター(主調整室)からスーパーチャンス時にスーパーされた。(※であるので、後のMXテレビで映像と音声が転用された際は「制作著作」のスーパーが表示されなかった)
- ※この番組で本編中に流れる音楽は、全て、該当アーティストによるオリジナル製作の楽曲である。
制作フローチャート
- オリジナル楽曲の制作(発注、楽曲演奏、スタジオでのマルチチャンネル収録・録音、ステレオMIXダウン、6ミリステレオ素材の作製)
- ロケーション撮影(ロケーションコーディネートに基づく現地下見、現地ロケ、VTR撮影(ENG)、VTR収録、収録VTRの確認など)
- 現地撮影素材のVTR編集(日本国内のVTR編集スタジオでベータカムフォーマットでの粗編集)
- 1吋VTRによる本編集とフォーマット編集(放送枠に基づくフォーマット組みとスーパー、テロップ類の挿入作業など)
- MA作業(MIXダウン後のステレオ音楽素材と編集済1吋VTRとの同期編集、音響効果などの付加作業)
- VTRパック化作業(放送フォーマットに基づく1吋VTRのパック化作業)
- 局内試写(TVK局内での関係者試写、プレビュー)
- 放送フォーマット作成(スライド、フリップ送出タイミングの設定、放送キューシート作成、スーパーチャンスデータ作成、APC運行データ作成など)
- 本放送(ステレオ音声多重放送実施)
- ※当時の諸資料に基づく「制作フローチャート」は以上の通り。概ね以上の順番で番組は制作された。
- ※1986年当時のステレオ音楽素材は全てMIXダウン後の「6ミリオープンリール」が使用された。
- ※本放送は最終的に局内で作成された「APC運行データ」(自動番組運行装置データ)に基づいて自動運行送出で行われた。
付随情報
- 番組開始当初は、本編VTRに組み込まれたテロップと共に、シャーリー富岡の英語ナレーション「This is The Salad Bowl」に続いて、本編が開始される形式だった。
- 1985年、1986年当時の新聞テレビ番組欄には「◇(S)音楽」「◇(S)サラダ」「◇(S)サラダボウル」「(S)SALADボウル」などの表記で記載されており、その記載もバラバラだった。テレパルでは「(S)SALAD BOWL」と表記された(ただし全て全角)。
- ※(S)はステレオ番組のラ・テ欄に於ける表記。
- この番組は『日本初のBGV番組』として誕生した。1986年年頭の朝日新聞のテレビについての連載第1回では当番組が取り上げられ、結果的に全国に紹介される形となった。
- 後に東京MXテレビ「文字ニュース」「ヘッドライン文字ニュース」の背景映像として、音声ごと転用された。詳しくはヒーリングタイム&ヘッドラインニュースを参照。
- この番組は1985年の放送以来2012年現時点まで本放送時の形では一切再放送されず、ソフト化も一切行われていない。
- この番組の姉妹番組に『Brain Package』(ブレイン・パッケージ)というBGV番組も1986年4月12日(土)から1986年7月26日までの間、TVKの24時~24時30分枠で放送されていた。(同番組はテレビ欄に◇(S)ブレイン・パッケージ、◇(S)ビデオなどの表記でラ・テ欄に掲載されていた)
- この番組の後番組はキリスト教広報番組の「ハーベストタイム」(1986年4月5日~)である。
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