Yonghe Templeとは? わかりやすく解説

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雍和宮

(Yonghe Temple から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/11 20:38 UTC 版)

清代に掲げられた雍和宮の扁額漢字のほか、チベット文字満州文字などでも寺の名が書かれている。

雍和宮(ようわきゅう、拼音: Yōng hé gōng満州語ᡥᡡᠸᠠᠯᡳᠶᠠᠰᡠᠨ
ᡥᡡᠸᠠᠯᡳᠶᠠᡴᠠ
ᡤᡠᠩ
、転写:hūwaliyasun hūwaliyaka gung)は、中華人民共和国北京市東城区にある北京最大のチベット仏教寺院

沿革

康熙33年(1694年)、皇子時代の雍正帝の居館として建築された。雍正帝が雍親王に封じられていたことから、即位前は「雍王府」と呼ばれていた。康熙50年(1711年)には後の乾隆帝が雍王府内で誕生している。雍正帝即位後の雍正3年(1725年)には宮殿に昇格。

雍正帝の死後、皇帝の旧居を他人の住居とするのははばかられたこともあり、清が北京首都と定めて百年目の乾隆9年(1744年)に寄進されて寺院となった。

伽藍

(南から、年は創建)

  • 昭泰門(genggiyen elhe duka)[1]
  • 雍和門殿[1]:1496年。弥勒仏像、四天王
    • 講義殿[1](1744年) / 密教殿[1](1744年)
    • 時輪殿(1744年) / 薬師殿(1744年)
  • 雍和宮殿[1]:1496年。羅漢
  • 永佑殿(enteheme kalmaha diyan):1694年。無量寿仏像、薬師仏像、獅吼仏像
  • 法輪殿(ging ni kurdun be forgošobure diyan):1744年。文殊菩薩
    • 戒台楼(1780年) / 班禅楼(1780年)
    • 大威徳明王楼(1744年) / 昭仏楼(1694年)
  • 万福閣(tumen hūturi asari):1748年。弥勒大仏
    • 延綏閣(1748年) / 永康閣(1748年)
  • 綏成殿(toktobuha mutebuhe diyan):1744年。古代インドの僧侶像
    • 西順山楼(1744年) / 東順山楼(1744年)

アクセス

ギャラリー

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 中国の仏教寺院で一般的な七堂伽藍

関連項目

外部リンク

座標: 北緯39度56分49秒 東経116度24分40秒 / 北緯39.94694度 東経116.41111度 / 39.94694; 116.41111




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