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新平Xin ping

シンペイ

領城2
戸数不明
人口不明

興平元年一九四)に扶風郡漆県安定郡鶉觚県を分割して立てられた郡。趙儼殷署はこの地まで羌族追討している。

太守

【郡人】霍性

【領城】漆 / 鶉觚


新平Xin ping

シンペイ

長吏

県人


辛評Xin Ping

シンピョウ
シンピヤウ

(?~?)

字は仲治であろうか《袁紹伝》。潁川郡陽翟の人。辛毗の兄《辛毗伝》。

袁紹冀州牧に就任したとき、辛評は弟辛毗連れて袁紹仕え荀彧荀諶郭図とともに袁紹任用された《辛毗伝》。しかし郭嘉は、辛評・郭図に「袁公人物任用機微知らず霸王功業成し遂げるのは難しかろうと言って立ち去り荀彧もまた去った荀彧郭嘉伝》。

官渡の戦い敗れると、審配の子二人曹操捕らえられた。孟岱審配と仲が悪かったので、蔣奇言い含めて審配専制的な立場にいて一族多くて軍勢強く、しかも子息二人南方にいるのですからきっと叛逆の心を抱きましょうぞ」と言上させた。辛評は郭図とともにその意見賛成した。しかし袁紹逢紀諫め受け入れ審配罷免しなかった《後漢書袁紹伝》。

辛評・郭図審配逢紀権力争いをしていて袁譚親しく審配らは袁尚親しかった建安七年二〇二)五月に袁紹亡くなると、審配らは辛評らの危害を受けることを恐れ袁尚擁立して後継者とした。袁譚車騎将軍自称して黎陽駐屯したが、これにより袁譚袁尚仲違いすることになった袁紹伝》。

九月曹操北進して袁譚袁尚征討せんとした袁譚黎陽防戦し、袁尚はみずから彼を救援した城下での激し戦い翌年二月まで続いたが、袁譚らは敗走し城内籠り曹操包囲しようとする夜中逃走した袁紹伝》。曹操は鄴まで追撃して陰安陥落させたが《袁紹伝》、郭嘉が「袁紹二人の子愛して後継者定めず郭図逢紀がその謀臣となっておりますから、泳がせておけば争いの心を生じさせるでしょう」と述べたので軍勢引き揚げた《郭嘉伝》。

袁譚が「我が軍武装充分でなかったため以前戦いで負けたのだ。いま曹操軍引き揚げておるが、人々帰郷心にかられている。渡河終わらぬうちに包囲すれば大潰滅させられるぞ」と言ったが、袁尚彼の真意疑い装備新調兵士増員承知しなかった。袁譚激怒したところ、辛評は郭図とともに先公袁紹)が将軍追い出して兄(袁基)の後継者にしたのは、みな審配差し金ですぞ」と言上した。袁譚その通りだと思った後漢書袁紹伝》。

袁譚軍勢率いて外門で袁尚攻めたが、敗北して南皮帰った袁尚審配に鄴の留守任せて彼を追撃すると、袁譚平原入り辛毗使者立てて曹操救援求めた後漢書袁紹伝》。

九年五月袁尚不在を衝いて曹操が鄴城を包囲した八月審配の甥審栄夜中東門開いて曹操軍導き入れると、審配は辛評・郭図のせいで陥落してしまったのだと怒り牢獄閉じこめていた仲治(辛評)の家族殺した。このとき辛毗曹操軍従軍しており、開門同時に駆け込んだが兄の家族救い出すことはできなかった《袁紹伝》。

辛評は袁兄弟仲違いさせたあとの消息知れない辛毗曹操従軍している以上、最後まで曹操軍敵対したとは思えないので、おそらく曹操への使者として辛毗送り出した、その前後亡くなっていたのではないだろうか。審配が「仲治」の家族殺したとあるが、まず辛評のこととみて間違いないだろう。

参照】袁基 / 袁尚 / 袁紹 / 袁譚 / 郭嘉 / 郭図 / 荀彧 / 荀諶 / 蔣奇 / 辛毗 / 審栄 / 審配 / 曹操 / 逢紀 / 孟岱 / 陰安邑 / 潁川郡 / 外門 / 官渡 / 冀州 / 鄴県 / 南皮県 / 平原県 / 陽翟県 / 黎陽県 / 車騎将軍 / 牧


辛評

(Xin Ping から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 18:27 UTC 版)

辛評
後漢
出生 生年不詳
豫州潁川郡陽翟県
死去 没年不詳
拼音 Xīn Píng
仲治
主君 袁紹袁譚
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辛 評(しん ぴょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将または政治家。仲治豫州潁川郡陽翟県(現在の河南省許昌市禹州市)の人。弟は辛毗

正史の事跡

袁譚配下の幕僚

袁紹韓馥から冀州を譲られた初平2年(191年)前後に仕官したと思われる。荀諶・張導(字は景明)・高幹郭図らと共に韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた[1]。なお、曹操軍の郭嘉は同県の出身、同僚の郭図や荀諶、曹操軍の荀彧らとは同郡の出身である。

辛評が袁紹陣営において台頭してきたのは、建安5年(200年)の官渡の戦いで袁紹が敗れてからである。戦後に審配が孟岱・蔣奇の讒言を受けると、辛評は郭図と共に孟岱らを支持し、一時的に審配を失脚に追い込んだ。しかし、審配は逢紀の弁護を受け、辛うじて復権した。

建安7年(202年)夏、袁紹が後継者を指名しないまま死去すると、辛評と郭図は長男の袁譚を後継者にしようとした。しかし、辛評と郭図が権力を握ることを恐れた審配と逢紀は、袁紹の生前の寵愛を根拠に三男の袁尚を強引に後継とした(『後漢書』袁紹列伝によると、袁紹の遺命を偽造したという)。このため袁氏内紛が勃発したという。

翌8年(203年)、辛評は郭図と共に、審配への個人的敵愾心を動機として、袁譚に袁尚への先制攻撃を唆し、これを実施させた。だが結果的に、袁譚は袁尚軍の反撃に敗北し、平原に追い込まれた。なお袁譚軍の王修は、佞臣[2]を斬って袁尚と和解するよう説いた。

辛評の家族

この後、辛評本人の事跡は史書では見当たらなくなり、その家族の動向が綴られている。

平原に追い詰められた袁譚は、郭図の進言もあって曹操への一時降伏を得策だと考え、郭図の推薦により辛評の弟の辛毗を使者として曹操の陣へ送り込んだ。結果、和睦は認められたが、辛毗はそのまま曹操の家臣として留め置かれた。

建安9年(204年)2月、袁尚軍の審配がを守備するようになると、審配は郭図と辛兄弟への恨みを募らせていたため、城内に残されていた3人の家族を捕えようとした。この時、郭図と辛毗の家族がうまく脱出できたが、辛評の家族は収監されてしまった。辛評の家族は、審配が曹操軍との篭城戦を戦っていた最中に、尽く処刑された。審配が最後に敗北して曹操軍に捕えられると、辛毗は審配の処刑を強く望み、これを曹操に容れさせている。

翌10年(205年)正月、袁譚と郭図は南皮で曹操に攻め滅ぼされた。しかし、この時点まで辛評が袁譚らと命運を共にしていたかどうかはわからず、もっともそれ以前に、南皮の戦いが開始された時点での生死すら、史書からは窺い知れない。

物語中の辛評

小説『三国志演義』では、当初は韓馥の幕僚とされている。対曹操戦略の論争では、荀諶と共に短期決戦戦略を支持して持久戦略を退け、袁紹の決断を促している。

袁氏内紛においては、史実通りに袁譚を支持する。ただ『演義』では、南皮の戦いまで辛評は袁譚に随従している。戦況が絶望的となると、辛評は袁譚の命で曹操の下に降伏の使者として赴く。すると曹操はこれを拒絶する一方で、辛評に対し辛毗同様に自分の家臣になるよう勧誘している。辛評は袁譚への忠義を選んで拒絶したが、南皮城内に戻ったところ、交渉結果に失望した袁譚から曹操との内通を疑われてしまう。これにショックを受けた辛評は、その場で昏倒し絶命したことにされている。

中国中央電視台のドラマ『三国志演義』では、この憤死の間際に審配に遺言し、弟が冀州を攻撃すれば、わが一族を皆殺しにしてくれと頼んだことになっている。審配からそれを突き付けられた辛毗は、絶叫して倒れている。

出典

  1. ^ 『資治通鑑』
  2. ^ この「佞臣」とは辛評・郭図を指すのであろう。

参考文献

  • 三国志』魏書25辛
  • 同魏書6袁紹伝、付・袁譚袁尚伝
  • 同魏書11王修伝
  • 後漢書』列伝64下袁紹伝下、付・袁譚伝
  • 三国演義

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