審栄とは? わかりやすく解説

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審栄Shen Rong

シンエイ

(?~?)

審配の兄の子東門校尉後漢書袁紹伝》。

東門校尉」というのは鄴城東門を守っていた彼の役割言ったもので、官名ではないと思われる

建安九年(二〇四)二月(または三月)、袁尚平原遠征出た隙をついて曹操は鄴を攻撃した五月曹操が城の周囲に幅、深さとも二丈の堀を作って漳水引き入れたので、城内では八月までに過半数餓死した。審栄が夜中東門開いて曹操軍引き入れたため鄴城は陥落曹操から「城門開いたのは審栄なのだぞ」と聞かされ審配は「小僧めの役立たずぶりはこれほどであったか!」と憤慨している《武帝紀・袁紹伝・後漢書同伝》。

参照袁尚 / 審配 / 曹操 / 鄴県 / 漳水 / 平原郡 / 東門校尉


審栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 18:58 UTC 版)

審 栄(しん えい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。冀州魏郡陰安県の人。叔父は審配




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