X事件の捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:44 UTC 版)
「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「X事件の捜査」の解説
事件発生直後の早朝5時40分ごろ、散歩中だった近隣住民がキャベツ畑道端で血まみれになり死亡している被害者Xを発見して戸塚警察署に110番通報した。これを受け、戸塚署および神奈川県警捜査一課は本事件を殺人事件と断定し、「戸塚区中田町畑地内殺人事件捜査本部」を設置した。県警が所有物を調べたところ、遺留品のクレジットカードから遺体の身元は直ちに男性Xと判明した。 一方でFは犯行後、犯行が露見する可能性がある物品の処分・証拠隠滅を行おうとし、Xの上着は入っていた現金17,000円を抜き取った上で自分の衣服とともにコインランドリーで洗濯し、ビニール袋に詰めて山手線五反田駅前に遺棄した。また、2本の凶器(くり小刀・包丁)は六郷橋(国道15号・第一京浜国道)から多摩川に投げ捨て、包丁の空き箱も川崎市内のゴミ箱に投棄したが、最後に残った紙袋を投棄する場所を探すため、横浜市鶴見区岸谷の道路を走っていた同日22時ごろ(被害者Xの身元判明から約16時間後)、一方通行道路を逆走したために鶴見警察署員に発見され、道路交通法違反(無免許運転)で現行犯逮捕された。。その後Fは鶴見署の留置場へ勾留され、強い嫌疑を掛けられたが、戸塚署は本事件を「覚醒剤の取引を巡るトラブルによる殺人」と推測し、事件前に覚醒剤の取引を巡って被害者Xと喧嘩していた厚木市の元少年院仲間Zを最有力被疑者として取り調べていた。 結局、Fは取り調べに対して潔白を主張した上、物証は(既に処分されていたため)発見できず、Fの実母も事情聴取に対し「息子はXの死亡推定時刻を含め、事件前夜から自宅で就寝していた」とアリバイを証言した。このため、神奈川県警は検事勾留期限満了となる1981年10月17日に嫌疑不十分で被疑者Fを釈放した。結局、戸塚署内の捜査本部は捜査員160人を動員しても被疑者特定に至らず、継続捜査に切り替えた。一方でFはX事件とほぼ同時期(1981年10月)に業務上過失傷害罪で罰金18万円に処され、初公判時点で前科一犯だった。また、FはX事件直後 - 翌1982年2月中旬にかけてZ宅に「Xのことで警察に余計なことを言うな。喋ると一家を皆殺しにするぞ」「放火してやる」などと頻繁に脅迫電話を掛け、後述の藤沢事件・Y事件後にも再びZ宅に同様の電話が掛かるようになった。 遠藤 (1988) は「Fの実母が事情聴取に対し『アリバイ』を申し立てなければ、FはX殺害容疑で逮捕され、(この時点でまだFは被害者少女Aと出会ってすらいなかったため)後にA一家が殺害されることもなかった」「このころ、それまで荒れた生活を送っていたFは急におとなしくなり、母子関係が改善していたが、これはX事件の際にFの実母が虚偽のアリバイを申し立てたためだろう。X事件では3事件で唯一物証が出なかったが、Fの自供内容は具体的・詳細だったため、もし母親からアリバイ証言がなければ、警察はこれを突破口にFを検挙できていたかもしれないし、後の母娘3人殺害事件・Y事件とも阻止できただろう」と指摘している。
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