SMC独立後
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2009年9月27日 吉祥寺のライブハウスにおいて、パーソナルオフィス『ショウコ・ミュージック・カンパニー』(SMC)から独立していることを正式に発表した。事務所の方針と本人のアーティスト活動としての方向性のギャップ、溝が埋まらず、それまでの全てを失うことを覚悟した上での決断であった。すでに11月のライブスケジュールも発表され、長年使っていたツアータイトル『In My Heart』が変更されていること、ライブ会場にスタッフの姿がなく、単身で楽屋入りをしているなど、事の異変に様々な憶測が飛び交っていた。この事実はブログなどでは掲載しなかったが、これは、アーティストとしてファンに伝えるべき大事なことは、文章によらず、きちんとファンの前で自分の口から…という沢田のファンに対する姿勢の表れであった。独立に際して、周りからは「独りでは絶対に無理」と言われていたが、「独りでも出来るよ」と言ってくれた人が一人いたという。それは、沢田の師匠「イルカ」だった。 これにより、オフィシャルファンクラブ『In My Heart』が事実上解散した。沢田聖子が最後に事務所に託した、直筆によるファンクラブ会員へのメッセージはファンの手に届かず、行方不明である。またこの2009年に、1988年に結婚した夫と離婚している。 2009年11月1日 独立後、初のライブツアー「はじめの一歩」を東京・大阪・京都・浜松・名古屋で行う。2010年1月10日 さいたまを皮切りに、ライブツアー「続☆はじめの一歩」を全7か所で行う。 2010年3月には、それまで東京のみの公演だったバースデーライブを東京・大阪・名古屋において行い、1曲目から最後の曲まで、すべて会場の観客からのリクエストの中から応えるという、前代未聞のバースデーライブを行う。東京においては全36曲、3時間30分を歌い切った。 2010年7月29日、「株式会社セイント」を設立した。 2010年9月11日 通算29枚目のオリジナルアルバム『宝物』リリース。2009年の2月に実父の他界をきっかけに、家族との絆をテーマとしたアルバムに仕上げる。9月11日のさいたま市を皮切りに全国21ヶ所、25公演のライブツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を行う。 2011年3月、大阪・名古屋・一宮でのバースデーリクエストライブを行う。東日本大震災の影響から延期となった東京を、4月3日に開催する。 2011年4月9日から全国ツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を再開している。 2012年1月15日、6か月ぶりに佐田玲子とのフォークデュオ「THE 4/9」のライブを開催する。THE4/9単独のライブとしては、2010年4月9日以来のステージとなる。 2012年3月には毎年恒例のバースデーライブツアー「沢田聖子 Birthday Live Tour 2012 〜お陰さまで半世紀☆オールリクエスト〜」を3月17日の東京公演を皮切りに、本公演の8か所と2か所の追加公演を含む全10公演を行う。 2012年5月27日に、30枚目のオリジナルアルバム「LOVE&SMILE」をリリース、同日に代官山ライブハウスでのアニバーサリーライブを皮切りに全国ツアーを行う。 2013年3月2日の横浜公演を皮切りに、バースデーライブツアーとして全国13か所、12公演のオールリクエストライブを行う。ライブツアー中に通算31枚目のオリジナルアルバムのレコーディングに入り、1979年から1981年までの自作オリジナル楽曲を新たなアレンジの元にセルフカバーした全16曲のアルバム『Singer Song Writer 〜GREEN〜』を5月26日にリリースし、41本の全国ツアーを敢行。 2014年5月25日にデビュー35周年を迎え、32枚目のアルバム『Singer Song Writer 〜BLUE〜』と10年ぶりのDVD『SHOKO SAWADA 2013 Road Movie 〜 GREEN 〜』をリリースし、同日から44本の全国ツアーを敢行。同年12月13日にはデビュー35周年記念として、通算37枚目のシングル『果てなき夢』と同タイトルのミュージックビデオをリリース。 2015年5月16日に、33枚目のアルバム『Singer Song Writer 〜RED PURPLE〜』とDVD『WANDERER 〜唄う旅人』をリリースした。
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