Kotakuにおいて
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「ジェイソン・シュライアー」の記事における「Kotakuにおいて」の解説
2011年頃、シュライアーはKotakuの現編集長であるスティーブン・トティロから連絡を受け、フルタイムのニュースレポーターとしてのポジションをオファーされた。Kotakuは2004年にゴーカー・メディアの下にビデオゲーム情報を扱うサイトとして設立され、当初は苦戦を強いられていたが、2011年頃にはビデオゲームニュースのサイトとして高く評価されるようになっていた。ちょうどそのころ受けたオファーをシュライアーは受け入れ、最終的には同サイトのニュースエディターに昇進した。同時に、ニューヨーク・タイムズをはじめとする他の媒体でもフリーランスでも執筆を続けた。 一般的なビデオゲーム関連のニュースに加えて、シュライアーは開発者から様々なタイトルの内部情報を入手することに早くから熱心になっていた。これらの情報から、一部の開発者が目標期日までにゲームを完成させるため、何週間も何ヶ月にも渡る過度な残業「クランチタイム」を課していることを発見した。クランチタイムはRockstar Gamesのような大企業では以前にも他の情報源から確認されていたが、シュライアーの報告では小規模なスタジオでもクランチタイムが続く傾向があることが確認された。Kotakuにこの件について書いた記事の他に、彼は2017年の著書『血と汗とピクセル: 大ヒットゲーム開発者たちの激戦記』でも、そのような話を開発者たちの作品にかける努力とともに描いている。 シュライアーは労働環境に加えて、トラブルに見舞われたりキャンセルされたゲームの開発に関する内部情報を得ることでも知られていた。通常は内部の人間からの証言で、情報源を保護するため記事の中では匿名にしている。それらの話には、バンジーが『Destiny』の開発ために乗り越えなければならなかった問題 、Visceral Gamesがスター・ウォーズのゲーム『Project Ragtag』のために、最終的にスタジオ閉鎖に至ったこと、エレクトロニック・アーツとバイオウェアの、困難と迷走だらけの『Anthem』の開発といったものがある。シュライアーがゲームの内情を深く取材したいくつかの記事は、ビデオゲームコミュニティからの反響を呼んだ。例えば2013年の『Prey 2』のキャンセルに関する彼の記事は、パブリッシャーのベセスダ・ソフトワークスがKotakuを「ブラックリスト」に登録し、2015年以降に同サイトでのプレリリース情報や、イベントでのインタビューを一切拒否することに繋がったともされている。発売前から期待が高まっていた、『No Man's Sky』の発売が数ヶ月延期されるという内部情報を報じた後には、開発するHello Gamesの創設者ショーン・マレーと同様に、シュライアーも殺害予告を受けたという。 ボレア・ゴーカー訴訟(英語: Bollea v. Gawker)の結果、Kotakuを含むゴーカー・ネットワークは、2016年に連邦倒産法第11章の適応申請などの後、最終的には2019年にG/O Mediaファミリーの傘下に入ることになった。新しいG/Oの経営陣は、サイトがどのようなコンテンツを掲載するかについてより厳しくなり、その結果2019年10月にネットワークのスポーツ向けサイトDeadspinで大きな事件が発生、編集長の解雇に続き、残りの編集スタッフの大半が辞めることになった。これはKotakuを含む他の旧ゴーカー系サイトにも伝播した。他のライターが去った後、シュライアーは2020年4月に同サイトを去ることを選択した。具体的にはG/O Mediaの経営陣と2019年10月のDeadspinの問題を退社の理由として挙げている。シュライアーは退社の理由について、このように述べている。 私はいくつもの劇的変化を経験してきた。それは、常にジャーナリズムを大切にする人々に導かれていると感じていたからである。しかし、残念ながら今はもう、そうは思えなくなった。
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