Gao Ganとは? わかりやすく解説

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高幹Gao Gan

コウカン
カウカン

(?~206
幷州刺史

字は元才。陳留郡圉の人。高躬の子で、袁紹外甥高柔従父にあたる《高柔伝》。

初平二年(一九一)七月勃海太守袁紹公孫瓚冀州を奪うよう勧める一方、高幹を荀諶とともに冀州韓馥のもとに送り、「公孫瓚南下して諸郡が呼応してます。冀州袁紹譲渡なさいませ」と脅迫させた。韓馥臆病なであったので、それに従い、子を使者出して牧の印綬袁紹送付した袁紹伝》。

袁紹河北四州支配すると、長子袁譚疎んじて青州刺史出向させた。沮授がそれを諫めたが、袁紹は「吾は子供たち一州づつ与えて才能見極めたいのだ」と言って次子袁煕幽州刺史に、高幹を幷州刺史(あるいは幷州牧)に任じ四州兵数十万こぞって許を攻めようとした。袁紹官渡において曹操対峙したが敗北し憂いのあまり病死した《袁紹伝》。

建安七年二〇二)九月曹操黎陽進撃し袁譚袁尚攻撃すると、袁尚らは郭援河東太守任命し、高幹とともに河東郡侵入させた《鍾繇張既龐悳伝》。その将兵数万人に上り匈奴単于呼廚泉合流して平陽城を占拠した。また使者をやって馬騰韓遂ともに手を結び関中を脅かさせた《鍾繇伝》。

司隷校尉鍾繇平陽城を包囲してまだ陥落させられないうちに、郭援呼廚泉諸県攻略しながら平陽救援向かった鍾繇張既使者立てて馬騰説得していた。郭援平陽城の東を流れ汾水まで到達したが、まだ軍勢渡りきらないうちに攻撃受けて大敗し馬騰の将龐悳に斬られた。高幹は呼廚泉とともに降伏した鍾繇張既龐悳伝》。

このとき高幹は釈放され幷州帰ったようである。次段、幷州挙げて曹操降っているのが見える。

同九年八月曹操が鄴を陥落させると、袁尚中山逃れたが、上党兵糧監督していた牽招が「ここ幷州には黄河恒山要害があり、武装兵五万人と北方強力な胡族がおります袁尚さまを迎え入れて変化が起こるのを待ちましょう」と進言したのも聞き入れず、高幹は幷州挙げて降伏した袁紹牽招伝》。曹操彼に引き続いて幷州刺史務めさせた《袁紹伝》。

高幹が方々から士を招聘すると、多く彼に帰属した。仲長統もその一人で高幹は彼を手厚く持てなした。高幹が時勢について訊ねると、仲長統は「ご主君英雄の志をお持ちですが英雄才能がございません。士を愛好されますが人を見分けることがおできになりません。ご主君のために深い戒めとしたいものです」と答えたが、常日ごろ自尊心高かった高幹は受け入れることができなかった。そこで仲長統立ち去った後漢書仲長統伝》。

十年八月曹操烏桓討伐のため北方出陣すると、高幹は再び敵対し上党太守捕らえ軍勢挙げて壺関入口を守るとともに武帝紀》、軍兵派遣して鄴を襲撃させた《荀彧伝》。河東郡民衛固は太守杜畿傀儡化して郡政を取り仕切り黒山張白騎弘農から黄河渡って垣県進出し上党郡諸県長吏殺し杜畿伝》、弘農郡張琰兵を挙げ太守人質取り杜畿賈逵伝》、いずれも高幹に呼応した。しかし鄴奇襲軍は監軍校尉荀衍に察知されことごとく誅殺された《荀彧伝》。また曹操将楽進が北道から迂回して背後脅かしたため、高幹は敗れて壺関城に籠り楽進李典包囲を受ける《武帝紀・楽進李典伝》。

十一年正月、曹操は自ら高幹征伐あたった。高幹はそれを聞き部将夏昭鄧升守備任せて壺関城から立ち去り武帝紀》、濩沢入った杜畿伝》。杜畿河東郡城を出て張辟に籠り領民千人余り彼に味方したので、高幹は衛固・張白騎とともに数十日にわたって攻め立てたが、陥落させることができず、諸県略奪しても何も得られなかった《杜畿伝》。三月壺関曹操包囲によって陥落する後漢書献帝紀》。河東郡にも大軍押し寄せてきたので《杜畿伝》、高幹は匈奴土地入って救援求めたものの、呼廚泉受け入れなかった。高幹はわずか数騎だけを連れて荊州目指したが、上洛都尉王琰に捕縛され斬罪となった武帝紀・袁紹伝》。

参照】衛固 / 袁煕 / 袁尚 / 袁紹 / 袁譚 / 王琰 / 夏昭 / 郭援 / 楽進 / 韓遂 / 韓馥 / 呼廚泉 / 牽招 / 公孫瓚 / 高躬 / 高柔 / 荀衍 / 荀諶 / 鍾繇 / 沮授 / 曹操 / 仲長統 / 張琰 / 張白騎 / 杜畿 / 鄧升 / 馬騰 / 龐悳 / 李典 / 垣県 / 濩沢 / 河東郡 / 河北 / 関中 / 官渡 / 冀州 / 許県 / 圉県 / 鄴県 / 荊州 / 黄河 / 恒山 / 弘農郡 / 壺関県 / 壺関口(壺関入口) / 上党郡 / 上雒県(上洛) / 司隷 / 青州 / 中山国 / 張辟 / 陳留郡 / 汾水 / 幷州 / 平陽県 / 勃海郡 / 幽州 / 黎陽県 / 監軍校尉 / 刺史 / 司隷校尉 / 太守 / 都尉 / 牧 / 印綬 / 烏桓 / 匈奴 / 胡 / 黒山賊 / 単于 / 長吏


高幹

(Gao Gan から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 14:39 UTC 版)

高 幹(こう かん、? - 206年)は、中国後漢時代末期の武将、または政治家。元才兗州陳留郡圉県の人(『三国志』魏書高柔伝より)。高祖父は高固。曾祖父は高慎。祖父は高賜。父は高躬中国語版。従弟あるいは従子は高柔[1]。伯父は袁紹


  1. ^ 『魏志』高柔伝では、高幹の従弟。高柔伝が引く『陳留耆旧伝』では、高幹の従子とする。


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