徳州 (山東省)とは? わかりやすく解説

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徳州 (山東省)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 09:18 UTC 版)

中国地名の変遷
建置 隋代
使用状況 1912年
前漢 平原郡
新 平原郡
後漢 平原郡
三国 平原郡
西晋 平原国
東晋十六国 平原郡
南北朝 平原郡
平原郡・安徳郡
隋 徳州
平原郡
唐 徳州
平原郡
徳州
五代 徳州
北宋/遼 平原郡
南宋/金 徳州(金)
元 徳州
明 徳州
清 徳州
中華民国 徳県
現代 徳県
徳州市

徳州(とくしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山東省徳州市一帯に設置された。

隋代

589年(開皇9年)、隋により徳州が立てられた。州治は安徳県に置かれた。605年(大業元年)、観州が廃止されると、その管轄県が徳州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、徳州は平原郡と改称され、下部に9県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
州 冀州 滄州 郡 平原郡
郡 平原郡 渤海郡 楽陵郡 県 安徳県 平原県 東光県
平昌県 長河県 将陵県
般県 弓高県 胡蘇県
県 安徳県 平原県 東光県 平昌県

唐代

621年(武徳4年)、唐が竇建徳を滅ぼすと、平原郡は徳州と改められた。742年(天宝元年)、徳州は平原郡と改称された。758年(乾元元年)、平原郡は徳州の称にもどされた。徳州は河北道に属し、安徳・平原・平昌・長河・将陵の5県を管轄した[2]。

宋代

宋のとき、徳州は河北東路に属し、安徳・平原の2県を管轄した[3]。

金のとき、徳州は山東西路に属し、安徳・平原・徳平の3県と磁博・嚮化・盤河・徳安・水務・懐仁・孔家の7鎮を管轄した[4]。

元代

元初には徳州は東平路に属したが、後に中書省に直轄された。徳州は安徳・平原・徳平・斉河・清平の5県を管轄した[5]。

明代以降

明のとき、徳州は済南府に属し、徳平・平原の2県を管轄した[6]。

清のとき、徳州は済南府に属し、属県を持たない散州となった[7]。

1912年、中華民国により徳州は廃止され、徳県と改められた。

脚注

  1. ^ 『隋書』地理志中
  2. ^ 『旧唐書』地理志二
  3. ^ 『宋史』地理志二
  4. ^ 『金史』地理志中
  5. ^ 『元史』地理志一
  6. ^ 『明史』地理志二
  7. ^ 『清史稿』地理志八



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