BBC Micro と Electron
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 17:15 UTC 版)
「エイコーン・コンピュータ」の記事における「BBC Micro と Electron」の解説
Atom がリリースされた後、エイコーン内では Atom の後継となる16ビットプロセッサを自社開発すべきかどうかを議論した。長い議論の末、ハウザーは妥協案としてCPUは6502のままでシステムとしての拡張性を大幅に強化した Proton というマシンを提案した。エイコーンの技術者らは Proton こそ正しい選択肢だと考えた。 Proton で提案された新機能として Tube がある。これは、追加のプロセッサを装備できる独自インタフェースであった。これによって、大量に販売できる価格の 6502 マシンでありながら、最新の高価なプロセッサを拡張として追加可能なマシンとなった。Tube を使うと、追加プロセッサが演算を行い、6502 は入出力を受け持つようになる。Tube は後にエイコーンがプロセッサを開発する際にも役立った。 1980年、BBC は後に BBC Computer Literacy Project と呼ばれるプロジェクトを開始した。プロジェクト開始の一因として、当時イギリスで大きな反響のあったドキュメンタリー番組 The Mighty Micro がある。イギリス国立物理学研究所の Christopher Evans は同番組の中で、マイクロコンピュータ革命が経済、産業、ライフスタイルに重大な影響を与えるだろうと予言した。この番組はイギリスの議会で質問されるほど大きな影響を与えた。結果としてイギリス産業省がBBCのプロジェクトに興味を持ち、同時にBBC経営陣もマシンの売り上げに興味を持つようになった。BBC Engineering はプロジェクト用のコンピュータの仕様策定を命じられた。 産業省からの圧力でイギリス製のシステムを採用することになり、BBC は Newbury Laboratories の NewBrain を選んだ。Newbury Laboratories は元々は Sinclair Radionics の一部で、イギリス国家企業庁の管理下にある企業であった。また、クライブ・シンクレアがカリーに開発させたかったのがこの NewBrain であった。しかし、NewBrain の開発は遅々として進まず、BBCの設定したスケジュールに間に合わないことが明らかとなった。当初1981年秋に番組開始が予定されていたが、1982年春に延期を余儀なくされた。カリーとシンクレアがBBCの計画を知った後、BBCは他の業者にも入札の権利を与えた。BBCはエイコーンを訪問し、Proton のデモを見た。その直後にエイコーンが契約を勝ち取り、1982年初めに Proton が BBC Micro として発売された。1984年4月、BBC Micro は Queen's Award for Technology を受賞した。 1980年から1982年にかけて、イギリス教育技能省(DES)はマイクロエレクトロニクス教育プログラムを開始し、教育にマイクロコンピュータを導入することとした。1982年から1986年にかけて、産業省は各地の学校にコンピュータを導入する補助金をばらまき、BBC Micro はその際に一番よく購入された。並行して教育技能省は、ソフトウェアやコンピュータ応用プロジェクトや教師の訓練などに補助金を与えた。 1982年4月、シンクレアは ZX Spectrum をリリースした。カリーはこれに対抗すべく、200ポンドを切る Acorn Electron の開発を立ち上げた。これは BBC Micro の廉価版であり、基本機能のほとんどが共通となるよう回路を集積回路化して低価格化している。しかし1983年8月にリリースしたものの、このカスタムチップの供給が十分でなかったために十分な台数が出荷できない状態が続き、1984年になって別の半導体製造業者と契約してやっと問題を解決した。
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