8ビットパソコンの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:18 UTC 版)
「パーソナルコンピュータ史」の記事における「8ビットパソコンの終焉」の解説
1982年に後述のPC-9800シリーズが登場する一方で、MSXが出た同じ年の1983年、任天堂からファミリーコンピュータが登場。機能の絞込みによる低価格を武器にアーケードゲームの各メーカーが参入してタイトルが豊富に出揃い、爆発的に普及した。コピーに悩まされていたゲームメーカーは、次第に、コピーが難しいファミリーコンピュータ用に開発するようになった。 1984年頃からは独自規格の8ビットパソコンはNEC・シャープ・富士通の3強が主となり、ホビーユースに的を絞ったPC-8801mkIISR(1985年)・X1turbo(1984年)・FM77AV(1985年)の8ビット御三家各モデルの次世代の時代に突入した。これらはグラフィックを高速・多色化し、音についてはPCM音源・FM音源化、外部記憶装置はフロッピーディスクドライブ内蔵が標準的となり、BASICもDISK-BASICとなった。ROM-BASICは互換性のために残されていた。 もっとも8ビットCPUの非力なパワーや狭いメモリ空間でこれらの機能を活用することは難しく、開発コストや人員の問題もあって市販のゲームソフトなどでは3機種の全てでの発売と引き換えに画像などのデータの使いまわしが行われ、多色機能等はあまり活用されなかった。 初代ベーシックマスターで先鞭を付けた日立はこのころ、高速なグラフィック機能や、独自のメモリコントローラにより8ビット機ながら1Mバイトのメモリ空間を持つ、MB-S1(1984年)を出したりMSX/MSX2に参入するなどしたものの、結局ホビーユースからは脱落している。また、シャープのMZシリーズはMZ-2500(1985年)を最後に16ビットパソコンのビジネス路線に移行した。 1987年、シャープはX68000を、NECは16ビットのホビーパソコンを発売し、またNECはPCエンジンを出した。1989年に富士通も32ビットのホビーパソコンを、NECがPC-98DOを出して、パソコン御三家も8ビットから16ビット/32ビットの時代へと突入する。 この隙をついてMSX2(1985年)が低価格路線に踏み切り、参加企業は減少したものの8ビット御三家とファミリーコンピュータの中間的な存在として一部で人気を得た。低価格でフロッピーディスクドライブ内蔵のモデルも発売されたが、MSX2+(1988年)になるとソニー、松下電器産業(現 パナソニック)、三洋電機以外は完全に撤退した。それもつかの間、1990年のMSX最終形態のturboRが16ビット機という触れ込みで登場するもののそのまま終焉することになる(同時期に任天堂も16ビットのスーパーファミコンに移行した)。 8ビットパソコンは、ビジネスユースとゲームという2つの市場の要望に、前者を16ビットパソコンに、後者をコンシューマーゲーム機に奪われるという形でその幕を閉じることとなった。 その一方で、各マシンともBASIC言語を標準装備していたことからプログラミングを趣味として楽しむ人々を増やし、一部のパソコン雑誌の誌面ではBASICで組んだプログラムを発表するなどのコミュニケーションの場が形成され、市場撤退後も使い続ける根強いファンを生むこととなった。
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