1998年以降の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:12 UTC 版)
アメリカに一生住んでジャパニーズ・アメリカンになってもいい覚悟で1998年からは活動の場を海外へと移した。向かった先は、まずは、ニューヨーク、ロサンゼルス、その後シカゴのChicago Comedy Festivalでプロデューサーに見い出されシカゴに拠点を置く。 1999年、NewZealand Comedy Festivalに正式招待。 2000年にNHK教育『はじめよう英会話 松本茂のスタンダード40』がスタート。また、映画『PP兄弟』に出演し、スティーヴン・セガールの実子・剣太郎セガールとともに兄弟漫才コンビ役を演じた。この映画は、翌2001年のサンダンス映画祭などに出品された。 2001年、この頃から日本に戻って仕事をし、海外での仕事は日本から出向く。同年のM-1グランプリに大森かほりと『かほじろう』というコンビで出場し、3回戦まで進出した。 2002年、北米のコメディ・フェスティバル、Just for Laughsに正式招待。TV Galaに出演する。 2003年には海外のComedy festivalの経験を日本に輸入し、フジテレビ主催のTokyo International Comedy Festivalの企画を推薦(2年で終了)。オランダのテレビ番組『laynsman is late』やアメリカのTVHBOの番組『Stand up night』に出演、台湾で『善二郎公演』の単独ライブも行う。 2004年には、アメリカ人のコメディアン マイケル・ネイシュタットと日米合作コンビ、すしぶらざーずで漫才なども行う(現在相方のマイケルはロサンゼルスのSecond Cityという即興のコメディーグループでコメディアンとして活動中の為すしぶらざーずの活動は、2008年より一旦休止)。また、Sweden TV『late night』にゲスト出演。 日本国内では毎月1回の定期公演を開催したり、吉本興業主催のピン芸コンクールR-1ぐらんぷりに出場したりしている。また、高校時代の後輩でもある種浦マサオとともに、芸人・ミュージシャンと、枠を超えた活動を展開。 2005年からは「外に出向く事より日本の内に向けた事」に興味が湧き、インターネットからデジゼンといったWeb上のトークも個人発信する。NEC製の自立型のパーソナルロボット・PaPeRo 2005 パペじろうと漫才を始める。それによって障害者ニュースにも取り上げられる。 2006年頃からはロボットと漫才をする事により「笑いのシステム」や「間と空気」などアカデミックな活動に興味を持ち、学会や研究発表にも国内外を問わず参加。オーストリア、シンガポール、オーストラリア、韓国、フランスなどからオファーをうけ、ロボットとの公演や「笑いとロボット」などの講演を行っている。 2009年には村上ショージとややウケちょいウケなるコンビを結成して活動。 ブログやTwitterやYouTubeなどのインターネットメディアを活用することも多く、現在、日々の活動内容の一般公開はこれらを通じて行っている。また毎週土曜日の12時〜自宅より「zenjiro show」という番組をかつてはUstream、現在はFacebookとYouTubeにて生放送で行っている。
※この「1998年以降の活動」の解説は、「ぜんじろう」の解説の一部です。
「1998年以降の活動」を含む「ぜんじろう」の記事については、「ぜんじろう」の概要を参照ください。
- 1998年以降の活動のページへのリンク