1998年世界選手権代表チーム
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「バスケットボール男子アメリカ合衆国代表」の記事における「1998年世界選手権代表チーム」の解説
1998年には、NBAの各チームオーナー側と選手側との間で労使問題が発生した。6月にその年のシーズンが終了して間もなく、チーム側が選手たちをあらゆる施設に立ち入らせない処置を取るロックアウトが発動する事態となった。両者の対立は翌年2月まで解消せず、その間選手組合の代表らを除き選手たちはNBAと一切接触を持つことができなかった。したがって、この年の7月末からギリシャのアテネで開催されたFIBA世界選手権にアメリカはNBA選手(ドラフト指名選手を含む)を送ることができなかった。NBAスター選手が参加しなかったこの年のアメリカ代表は、一般的にはドリームチームとは呼ばれていない。 当初選ばれていたティム・ダンカン、ティム・ハーダウェイ、ヴィン・ベイカー、ゲイリー・ペイトン、テレル・ブランドン、ケビン・ガーネット、トム・ググリオッタ、グラント・ヒル、アラン・ヒューストン、クリスチャン・レイトナー、グレン・ライス、クリス・ウェバーの12人 に代わってアメリカが代表選手に選んだのは、CBAやヨーロッパのリーグで活躍する選手や大学生だった。参加選手は後にNBA入りするブラッド・ミラー、トラジャン・ラングドン、Kiwane Garris、マイケル・ホーキンス、アシュラフ・アマヤ、マーティーン・クリーブズなどが含まれていた。多くの選手はヨーロッパでプレーし、マイケル・ホーキンスはユーロリーグの2000年代オールディケイドチームに選ばれた。 代表監督を務めたのは、ヒューストン・ロケッツのルディ・トムジャノビッチ監督だった。 アメリカ代表は予選でリトアニアに、決勝リーグでロシアにそれぞれ2点差で敗れ、最終的な結果は3位だった。優勝はユーゴスラビア、準優勝はロシアだった。 NBAの有力選手なしで残した3位という結果を大健闘だと評価する者もいた。ただし、1984年ロサンゼルスオリンピックまでは大学生のチームで金メダルを獲得できたため、この年の世界選手権は諸外国、特にヨーロッパ勢の成長が印象的な大会でもあった。
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