1994年死刑確定囚(3人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)
「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1994年死刑確定囚(3人)」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)勝田清孝事件(勝田清孝) 1994年2月5日(正式な死刑確定日) 1972年9月 - 1983年1月 1948年(昭和23年)8月29日生まれ。事件の一部(1982年10月 - 1983年1月 / 警察官を襲撃して拳銃を強奪し、その拳銃で起こした連続強盗殺傷事件)は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定された。強盗殺人罪など合計33の罪状・計27の犯罪事実で名古屋地方裁判所へ起訴されたが、併合罪(刑法第45条)の規定により、「113号事件」を起こす以前に受けた有罪判決Xを境に「X判決前の強盗殺人7件ほか17罪」(前半事件)+「X判決後の殺人1件ほか『113号事件』16罪」と分離されて判決が言い渡された。1986年3月24日に名古屋地裁刑事第4部(橋本享典裁判長)で、前半事件・113号事件ともに死刑判決を受け、名古屋高裁に控訴したが、1988年2月19日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受けた。1994年1月17日に最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、同日に支援者である来栖宥子の実母(藤原姓)と養子縁組して「藤原清孝」に改名していた。1994年1月26日付で最高裁判決を不服として最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)に判決を訂正するよう申し立てたが、1994年2月3日付で同小法廷から申立て棄却決定が出され、同決定書が1994年2月5日に勝田宛に届いたことで正式に死刑判決が確定した。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)。 岐阜前妻一家殺害事件 (M) 1994年3月18日 1989年2月14日 1943年(昭和18年)7月26日生まれ。殺害した被害者3人のうち2人については傷害致死罪を主張したが、1989年12月14日に岐阜地裁(橋本達彦裁判長)で死刑判決。1990年7月16日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受け上告したが、1994年3月18日に上告を取り下げ死刑確定。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)。 北海道庁爆破事件(大森勝久) 1994年9月5日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1976年3月2日 1947年(昭和22年)9月7日生まれ。2020年9月27日時点で札幌刑務所札幌拘置支所に収監中(現在74歳)。極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」によるテロ事件。一貫して無実を主張したが、1983年3月29日に札幌地裁(生島三則裁判長)で死刑判決を受け、1988年1月21日に札幌高裁(水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決。1994年7月15日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが、1994年9月5日付で棄却されたため死刑が確定。1985年、支援者と獄中結婚。獄中で極左から保守主義に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論のホームページを運用している。
※この「1994年死刑確定囚(3人)」の解説は、「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の解説の一部です。
「1994年死刑確定囚(3人)」を含む「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事については、「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の概要を参照ください。
- 1994年死刑確定囚のページへのリンク