1987年の暴落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:08 UTC 版)
詳細は「ブラックマンデー」を参照 1980年代中期は経済における楽観主義が幅を利かせた時代である。1982年8月から頂点となる1987年8月までダウ式平均株価は776から2,722に上昇した。この株価上昇は同時期の世界の19大市場の株価を平均296%押し上げた。ニューヨーク株式市場で取引される平均株数は6,400万株から1億8,100万株に増加した。 1987年10月19日の暴落は1987年のブラックマンデーとよばれ、5日前の14日にはじまった株価下落のクライマックスであった。ダウ式平均株価は10月14日に3.81%下落し、16日にさらに4.60%下げた。しかしこれは翌週の19日に比べれば物の数ではなかった。ブラックマンデーにはダウ式平均株価は508ポイント、22.6%を下げた。S&P 500は282.7から225.06に20.4%下げた。NASDAQ指数は11.3%の下げに留まったが、その理由は売り注文が膨らまなかったのではなくNASDAQの市場システム(英語版)が機能しなくなったからである。売り注文が殺到したニューヨーク証券市場では上場株2,257種のうち195種は注文に対応しきれず値がつかなかった。NASDAQの状況はさらに深刻だった。マーケットメーカーの撤退を許容する市場形成システムを重視したため、NASDAQ市場の流動性は蒸発した。多くの株取引で一株あたりの売値(英語版)が買値(英語版)よりはるかに高い異常な状態だった。このような行き詰まった状況で、市場は取引時間を大きく短縮した。19日にはNASDAQ市場でマイクロソフト株の取引は54分間で打ち切られた。 この暴落は一取引日の損失としてはウォール街の歴史で最大である。14日の取引開始から19日の取引終了までにダウ式平均株価は760ポイント、31%を下げた。 1987年の暴落は世界的な現象だった。FTSE100種総合株価指数は19日に10.8%、その後12.2%下げた。この10月には世界の主要市場で株価は大きく下げた。一番影響が小さかったオーストリア市場で11.4%、もっとも打撃が大きかった香港恒生指数は45.8%下落した。23工業先進国のうち19カ国の市場で下落幅は20%を上回った。 1930年代の大恐慌の再現を恐れながらも市場では暴落直後から活発な取引が展開され、その翌日には史上最高となる一日の上げ幅102.27ポイントを記録し、22日には186.64ポイントに更新した。ダウ式平均株価の不振はわずか2年で、1989年8月までに市場の株価は完全に回復した。 1987年の暴落の原因はまだ結論付けられていない。株式市場は長い間強気で推移し、アメリカ市場の株価収益率は戦後平均を上回っていた。S&P500は23倍の収益率で、戦後平均の14.5倍をかなり上回った。群集心理とフィードバック循環はすべての株価暴落の主因だが、アナリストは外部誘因事象にも注目している。株価の過大評価という一般的な懸念材料のほか、プログラム売買、ポートフォリオ・インシュアランス(英語版)、デリバティブ、暴落前に発表される経済指標。例:アメリカの貿易赤字とドルの下落が公定歩合の引き上げにつながる)の悪化といった要因が槍玉にあがっている。 1987年の暴落の結果、ニューヨーク証券市場にブレーカーとなる取引制限が導入された。冷却期間があれば投資家のパニックを防げるとして、この強制的市場停止は取引時間中(英語版)に市場株価が大きく下落すればいつでも発動される。
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