1987年の裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:17 UTC 版)
「森の中の子供たち殺人事件 (ワイルドパーク)」の記事における「1987年の裁判」の解説
ビショップは当初は、二人の少女に対する強姦及び殺人罪で、1987年に裁判にかけられた。しかし、司法解剖医や法医学調査班の不手際により遺体の温度の保持ができず、正確な死亡推定時刻を割り出すことができなかった。 検察側は、6時15分から6時30分ごろが死亡推定時刻であるとしたが、科学的な裏付けを取ることはできず、アリバイを崩すまでには至らなかった。 少女らの遺体からは死因が窒息であったにもかかわらず、手形や指紋などは発見されなかった。また、法医学者はカレンの下着に付着していた血液の分析を行わなかった。そして、検察の狙いは、ビショップが着ていたとされるスウェットに定まった。このスウェットは翌10日の濃霧の真夜中、近くの駅の脇の小道で発見された。灯りが必要なほどの霧の中、水気を帯びた地面に対しスウェットだけが乾いており、捨てられてそうは長くないとされた。警察は、ビショップが二人を殺害した後、法医学鑑定において発見されるのがわかっていたため、遺棄したのだとした。しかし、警察側の保管状態が不適正だったこともあり、弁護側は証拠としての信憑性に疑問を投げかけた。 被告人質問の際、ビショップは、これは自分の服ではなく、ガールフレンドであるジェニーのものであると主張した。検察はこれにより、彼は動かぬ証拠から逃れようと嘘をついており、ビショップの証言には信憑性がないとした。しかし、ジェニーは法廷で証言を翻し、そんな服は見たことがないと発言した。裁判官の一人は、「彼女らは6時30分までに亡くなっている。無罪が妥当である」とした。検察側は、彼女らは5時15分から6時30分の間に亡くなったとした。しかし、6時30分に彼女らの目撃証言があるほか、ビショップがワイルドパークを後にしたのも6時30分である。 その後、ビショップは1990年12月にブリントンにおいて、7歳の少女に対し誘拐、性的暴行、及び殺人未遂を働いている。しかし、少女は一命を取り留め、ビショップには14年以上の懲役が下された。
※この「1987年の裁判」の解説は、「森の中の子供たち殺人事件 (ワイルドパーク)」の解説の一部です。
「1987年の裁判」を含む「森の中の子供たち殺人事件 (ワイルドパーク)」の記事については、「森の中の子供たち殺人事件 (ワイルドパーク)」の概要を参照ください。
- 1987年の裁判のページへのリンク