1979年、カシオペアでプロデビューとは? わかりやすく解説

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1979年、カシオペアでプロデビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 06:15 UTC 版)

向谷実」の記事における「1979年、カシオペアでプロデビュー」の解説

1979年5月25日日本におけるフュージョンブームの真っ直中カシオペアアルバムCASIOPEA』でメジャーデビュー野呂優れた作・編曲能力とともにライブで完全再現させる演奏力高い評価得ていく。そのデビューアルバムに付けられたキャッチコピースリルスピード、スーパー・テクニック」の表現通り超絶技巧かつアクロバティック演奏スタイルで、向谷同時に2台のキーボード弾き分けるなどエレクトーン・プレーヤー出身素性活かされた。また、カシオペアライブにおいて、結成時からしばらくはリーダーである野呂MC司会)を務めていたのだが、この頃向谷移行されることになる。カシオペア演奏とともに向谷MC評判となり、その軽妙さから向谷名字をもじり、司会屋実(しかいやみのる)の異名与えられた。 カシオペア当時半年というインターバルでのアルバムのリリースごとに売り上げ伸ばし続けライブ規模動員もそれに伴って拡張していった。カシオペア多忙になったこと、そしてカシオペア安定した収入得られるようになったこともあり、デビュー後行っていたスタジオ・ミュージシャン一時休止し1980年代前半一時期カシオペア活動だけに専念するうになるしかしながらカシオペア以外の音楽活動にも意欲的な心は持ち続けていて、1984年初め自身音楽制作イニシアチブ取って亜蘭知子アルバムMore Relax』をサウンドプロデュースした。さらに同年には都内レコーディング・スタジオスタジオJIVE」を賛同者とともに建設し向谷関連会社音楽館興してスタジオ運営参画する以降、このスタジオJIVEが、初のソロアルバムミノル・ランド』のレコーディングをはじめとした向谷ホームグラウンドとなり、カシオペア国内におけるレコーディングもここを中心になされていくようになる1980年代前半趣味一環としてパソコン購入熱中するようになった向谷は、国産からすぐに米国Apple Computer出したばかりのMacintosh辿り着きパソコン通信海外音楽関係者情報やりとりをしたり、デジタル機材データ管理など音楽活動にも用いていくようになる1980年代後半から1990年代前半掛けてパソコンとりわけMacintoshを使うミュージシャン代表格として各種メディア取り上げられるようにもなる。そして1993年向谷自身経営する音楽館で、カシオペア題材となった映像音楽融合させたCD-ROMソフト『Touch the Music by Casiopea』を制作して発売する。これは後に制作するTrain Simulator』のプロトタイプともなった

※この「1979年、カシオペアでプロデビュー」の解説は、「向谷実」の解説の一部です。
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