1979年7月以降
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「近鉄30000系電車」の記事における「1979年7月以降」の解説
1979年7月の2次車5編成(30208F - 30213F)の増備にともない運用列車を拡大した。近鉄難波 - 賢島間は甲特急を8往復、京都 - 賢島間は2往復、近鉄名古屋 - 賢島間は甲特急を6往復、近鉄難波 - 近鉄名古屋間は7往復(うち甲特急が下り4本、上り3本、乙特急の下り1本は津ゆき)、そのほかに、京都 - 近鉄奈良間を3往復、京都 - 橿原神宮前間を1往復、近鉄難波 - 近鉄奈良間を2往復のダイヤとなった。この増備によって志摩線内を走行する特急列車のほとんどが30000系という状況が日常茶飯事となった。 伊勢志摩特急用にデビューした30000系ビスタカーIII世であったが、この頃日本国有鉄道(国鉄)の債務状態・労使関係悪化により、運賃・新幹線特急料金は1975年より値上げを繰り返した結果、コストパフォーマンスと乗務員のサービス体制で近鉄に有利性が生じ、名阪ノンストップ特急の利用客は再び増加傾向にあった。そのため30000系も近鉄の看板列車として名阪ノンストップ特急の一部を担当した。 1990年3月15日のダイヤ変更で、名阪甲特急の全列車が21000系に置き換えとなったため、30000系を含む一般特急車両は名阪甲特急運用から退いた。最終日の30000系甲特急運用は近鉄難波発19時の下り1本のみであった。 1996年4月に30201Fが更新改造を終え、4月27日から上本町 - 賢島間の阪伊特急2往復から運用を開始した(毎週水曜日をのぞく)。 1999年8月28・29日に未更新車が残り2編成となったことから、オリジナル車の2編成併結運行が近鉄名古屋 - 賢島間で行なわれた。 1999年11月27日から同月30日にかけて、オリジナル車のさよなら運転が実施された。27日と28日は近鉄名古屋 - 賢島間の名伊甲特急1往復、29日と30日は近鉄四日市 - 湯の山温泉間を2往復走行した(いずれも定期列車)。 2004年3月ダイヤ変更時より、阪伊・京伊特急で30000系2編成併結運用が開始された。 2009年3月20日のダイヤ変更により多客時を除き定期列車での30000系2編成併結が一旦消滅した(2020年3月14日のダイヤ変更で復活)。 2010年4月29日より、B更新を終えた30201Fが阪伊特急より営業に入った。この日以降、全ての本系列充当列車の階下席はB更新の施工・未施工を問わず、グループ専用席とされた。階下席の試験運用として同年10月頃までは以下の列車に限定して運用が組まれた。 平日鳥羽8:18発大阪上本町行き 大阪上本町10:50発宇治山田行き 宇治山田13:29発大阪上本町行き 大阪難波20:50発松阪行き 土曜・休日松阪5:41発大阪上本町行き 大阪上本町7:50発宇治山田行き 宇治山田10:29発大阪上本町行き 大阪上本町12:50発鳥羽行き 鳥羽15:16発大阪上本町行き 大阪難波20:10発松阪行き 2020年3月14日時点では名伊・阪伊乙特急、京奈・京橿特急を中心に、阪奈特急、京伊特急でも運用されている。かつては名阪特急でも運用されていたが、80000系のデビューに伴い、3月13日をもって定期運用が消滅し、以降は名伊特急の送り込みを兼ねた代走運用のみとなる。2021年7月3日のダイヤ改正以降、鳥羽までであるが、阪伊甲特急の運用が復活した。 2020年4月1日現在、4両編成12本48両 (V01〜12) が西大寺検車区に、4両編成3本12両(V13〜15)が明星検車区に配置されている。
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