1979年6月の組織改正
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「スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応」の記事における「1979年6月の組織改正」の解説
なお、1979年6月28日福島第一原子力発電所に対して次の組織改正を行った。 総務部に「広報課」を設置する。 技術部に「核燃料課」を設置する。 発電部を「第一発電部」「第二発電部」に分割し、それぞれに発電課、保修課(第一発電部は第一保修課、「第二保修課」の2課体制)を設置する。 各中央操作室に「当直長」を配置する。 『東京電力三十年史』ではこの事故の教訓として下記を実施したとされている。 中央操作室操作盤の見直し:同事故の原因である人間と機械との係わり合いの点から、重要な操作スイッチ、監視計の色別化、警報の重要度による分類と色別化、誤操作対策を実施 運転管理面の見直し:事故時手順、日常巡視点検見直し、非常用機器状態確認チェックシートの採用、事故時における当直長の責任の重要性から、各中央操作室ごとに特別管理職たる当直長を配置 教育訓練の見直し:BWR運転訓練センター(BTC)での特別訓練、長期養成計画の強化(後述) 原子力技能訓練センター設置(後述) 防災計画見直し:緊急技術助言組織の設置等 発電所における緊急医療体制の整備 この内、中央操作室(中操)単位での当直長配置については事故前の1978年3月、東京電力労働組合による団交にて話題に上っている。この団交では発電直(運転中の中央操作室を中心とした人員配置のこと)について、「各中操ごとに当直副長、1~4号機については管理規模を考慮し更に当直長の補佐職位を配置する」旨妥結した。その際組合側は1~4号機の1級副長を廃止し、中操単位で当直長を置くように申し入れた。会社側は申し入れに対して「当直長は運転業務に関する総括責任者として各班に1名配置することが基本的な方針である。5、6号機については距離および管理面をとくに考慮し(当直長を)配置するのであって、中操単位に当直長を配置する考えはない」と否定的な姿勢を取った。『東京電力三十年史』では組合から配置要求があったいきさつについては触れられていない。なお豊田正敏は「(TMI事故の場合)当直長が重大な責任を有しているわけだから、当直長を各中央操作室に一人配置し、休日、夜間に所長や上位職がいない時に所長の代行権を、その三人の当直長のうち一~二号担当に権限を与えることも規定上明確にした。それから先般の七月の人事異動で、当直副長に優秀な人材を配置した」と述べている。 朝日新聞によると従来、東京電力の人事異動は毎月少人数ずつ行われてきたが、1979年度から定期異動に切替され、最初の異動は6月下旬から8月にかけて発令された。また、福島第一原子力発電所内だけでも100名以上の大規模な異動でその目的は「原子力部門の強化」で、所内の機構改革もその一環だったという。所長の伏谷は理事に昇格している。また、新体制の元では事務系職員にも「直員の仕事を知らなくては話にならない」ことから原子力理解のための技術研修が2泊3日で実施され、その効果は大であったという。
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