1959年の橋とは? わかりやすく解説

1959年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 05:18 UTC 版)

押切橋」の記事における「1959年の橋」の解説

1959年昭和34年8月長231.8メートル幅員3.6メートルコンクリート製一部木製)の冠水橋直された。旧久下橋酷似し構造冠水橋で、車幅制限2.1メートル重量制限標識にて3.0 tとなっていた。竣工当時欄干設置されていなかったが、後に簡易な欄干充てた。 普通自動車の幅しかなく橋上での行き違い不可能なため、交互通行両岸から互い様子見計らいながらゆずりあって渡ったことも久下橋と同様であった。この1961年昭和36年)頃の洪水による流失をはじめ、1971年昭和46年9月1日台風23号洪水によって流失した他、1966年昭和41年)の台風や、1982年昭和57年8月台風10号1983年昭和58年8月台風による洪水でも一部損壊し、長期わたって通行不能となったまた、修繕の際にも通行止め措置取られ1986年昭和61年11月15日から12月15日までの1ヶ月間はそれより通行止めとされた。1991年永久橋開通と共に1919年以来より続いた冠水橋通行止めになり惜しまれつつも撤去された。痕跡残されていないが、取り付け道路ゴルフ場の中を南北に横切る道として残っている。

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1959年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:06 UTC 版)

奈井江大橋」の記事における「1959年の橋」の解説

石狩川この辺りは古く氾濫激しく昭和中頃まで川を渡る手段としては渡船しかなかった。浦臼住民は、交通手段発達している奈井江側へで渡ることを望んでいた。1947年頃から橋を架ける運動始めたが、上流位置する砂川市でも同時期に橋を架ける運動行っていて、争奪戦激しくなった。 結局砂川大橋は国が、奈井江大橋北海道費用を負担することで決着見た1952年11月建設開始1959年6月14日完成長さ395.6m、幅5.5mのワーレントラスであった完成してから、石狩川水路変更に伴う築堤建設対応して延伸した。この延長部分長さ409.4m、幅7.5mであった1973年11月完成

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