1959年の橋
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1959年(昭和34年)8月、橋長231.8メートル、幅員3.6メートルのコンクリート製(桁部一部木製)の冠水橋に架け直された。旧久下橋に酷似した構造の冠水橋で、車幅制限は2.1メートル、重量制限は標識にて3.0 tとなっていた。竣工当時欄干は設置されていなかったが、後に簡易な欄干を充てた。 普通自動車の幅しかなく橋上での行き違いが不可能なため、交互通行で両岸から互いの様子を見計らいながらゆずりあって渡ったことも久下橋と同様であった。この橋は1961年(昭和36年)頃の洪水による流失をはじめ、1971年(昭和46年)9月1日の台風23号の洪水によって流失した他、1966年(昭和41年)の台風や、1982年(昭和57年)8月の台風10号、1983年(昭和58年)8月の台風による洪水でも橋が一部損壊し、長期にわたって通行不能となった。また、橋の修繕の際にも通行止めの措置が取られ、1986年(昭和61年)11月15日から12月15日までの1ヶ月間はそれより通行止めとされた。1991年の永久橋の開通と共に、1919年以来より続いた冠水橋は通行止めになり惜しまれつつも撤去された。橋の痕跡は残されていないが、取り付け道路はゴルフ場の中を南北に横切る道として残っている。
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1959年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:06 UTC 版)
石狩川のこの辺りは古くは氾濫が激しく、昭和の中頃まで川を渡る手段としては渡船しかなかった。浦臼の住民は、交通手段が発達している奈井江側へ橋で渡ることを望んでいた。1947年頃から橋を架ける運動を始めたが、上流に位置する砂川市でも同時期に橋を架ける運動を行っていて、争奪戦は激しくなった。 結局、砂川大橋は国が、奈井江大橋は北海道が費用を負担することで決着を見た。1952年11月建設開始、1959年6月14日完成。長さ395.6m、幅5.5mのワーレントラス橋であった。 橋が完成してから、石狩川の水路変更に伴う築堤の建設に対応して橋を延伸した。この延長部分は長さ409.4m、幅7.5mであった。1973年11月に完成。
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