1930–1939
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「量子力学の年表」の記事における「1930–1939」の解説
1930 – ディラックによる陽電子の存在の仮説 1930 – ディラックの教科書「The Principles of Quantum Mechanics」が出版。 1930 – エーリヒ・ヒュッケルがヒュッケル法を導入。 1930 – フリッツ・ロンドンのロンドン分散力 1930 – パウリがベータ崩壊によるニュートリノ放出を提案。当初は「中性子」と呼ばれていた。 1931 – レナード-ジョーンズ・ポテンシャル 1931 – ヴァルター・ボーテとHerbert Beckerがポロニウムからの高エネルギーアルファ線をベリリウム、ボロン、リチウムなどに衝突させると異常な透過性をもつ放射線が生じることを発見。当初これはガンマ線だと考えられていた。 1931 – エーリヒ・ヒュッケルによるヒュッケル則 1931 – エルンスト・ルスカが電子顕微鏡を発明。 1931 – アーネスト・ローレンスがサイクロトロンを発明。放射線研究所(のちのローレンス・バークレー国立研究所を設立。1939年にはノーベル物理学賞を受賞。 1932 – イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオが、アルファ線によって生じる未知の放射線がパラフィンやその他の水素含有化合物に衝突したときに高エネルギーの陽子が放出されることを発見。これは未知の放射線がガンマ線だという仮説と矛盾していた。 1932 – ジェームズ・チャドウィックが、アルファ線の衝突によって生じる放射線はガンマ線ではなく、フェルミが仮説した中性子であることを発見。 1932 – ハイゼンベルクが2電子問題に摂動論を応用。交換力を説明。 1932 – カール・デイヴィッド・アンダーソンが陽電子の存在を実証 1933 – チャドウィックの中性子の発見を受けて、フェルミがパウリの提案した「中性子」を「ニュートリノ」と改名。 1933 – レオ・シラードによる核連鎖反応の理論 1934 – フェルミ相互作用 1934 – フェルミによるウラン同位体への中性子衝突の効果の研究。 1934 – ニコライ・セミョーノフによる連鎖反応の理論 1934 – イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオによる人工放射能の発見。1935年にノーベル賞を受賞。 1935 – アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス 1935 - シュレーディンガーの猫 1935 – 湯川秀樹による湯川ポテンシャルの定式化と、パイ中間子の存在の予言。 1935 – プロカ方程式 1936 – ギャレット・バーコフとジョン・フォン・ノイマンが量子論理を導入。 1936 – カール・デイヴィッド・アンダーソンがミュー粒子を発見。 1937 – ヤーン・テラー効果 1938 – Charles Coulsonが水素分子の分子軌道波動関数の最初の正確な計算を行う。 1938 – オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが、ウランに中性子を衝突させることでバリウムが生じることを発見。ハーンはこの結果をリーゼ・マイトナーに伝えた。マイトナーと甥のオットー・ロベルト・フリッシュはこの結果を核分裂反応と解釈し、フリッシュは1939年1月13日に実験的に確かめた。 1939 – レオ・シラードとフェルミがウランでの中性子の増倍を発見。
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