人工放射能の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:19 UTC 版)
「イレーヌ・ジョリオ=キュリー」の記事における「人工放射能の発見」の解説
イレーヌとフレデリックは1933年、ポロニウムをアルミ箔のそばに置くと、アルミから陽電子と中性子が飛び出してくることを発見した。2人は1933年のソルベー会議でこの実験を発表したところ、リーゼ・マイトナーから、自分は同じ実験をしたが中性子は見つからなかったと反論された。当時から名の知られていたマイトナーからの反論は2人を落ち込ませたが、会議に参加していたニールス・ボーアらの励ましもあって、2人は実験を続けることにした 1934年、2人は実験によって、やはり中性子は発生していることを確かめた。さらにそのうえ、ポロニウムをアルミニウムから遠ざけると、中性子の発生は止まるが、陽電子は変わらず発生し続けることを発見した。アルミニウムの安定した原子から陽子が出てくることはあり得ないので、これはアルミニウムが放射性原子に変化したことを意味する。2人は研究をさらに続け、この反応によってアルミニウムの一部が放射性のリンに変化したことを確かめた。 すなわち、このときの反応は以下のようになる。 2 4 H e + 13 27 A l → 15 30 P + 0 1 n {\displaystyle {}_{2}^{4}\mathrm {He} +{}_{13}^{27}\mathrm {Al} \to {}_{~15}^{~30}\mathrm {P} +{}_{0}^{1}\mathrm {n} } さらに、このときに発生したリンは半減期約3分で陽電子を放出し、シリコンに変化する。 15 30 P → 14 30 S i + 1 0 e {\displaystyle {}_{15}^{30}\mathrm {P} \to {}_{~14}^{~30}\mathrm {Si} +{}_{1}^{0}\mathrm {e} }
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