13世紀末の攻防とは? わかりやすく解説

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13世紀末の攻防

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:54 UTC 版)

カラ・ホジョの戦い」の記事における「13世紀末の攻防」の解説

カラ・ホジョの戦い」に代表される1270年代1280年代のウイグリスタン攻防戦同時期に北方モンゴル高原においても「シリギの乱」と呼ばれる重大事件起こっていた。「カイドゥの乱」が始まった当初クビライ対抗策一つとして末子ノムガン率い大軍団をアルマリク派遣していたが、この軍団属していたシリギトク・テムルトゥルイ諸王1276年に総可令ノムガンらを捕虜として蜂起した。この事件のために大元ウルス対中アジア戦略大打撃を受け、クビライ崩壊したノムガン軍の代わりとしてホータンビシュバリク前線司令部置いた。ただし、「シリギの乱」はモンゴル高原西部領地を持つトゥルイ諸王がカイドゥ・ウルスに投降するというもう一つ副産物もたらしこのため大元ウルスとカイドゥ・ウルス間の戦争主戦場中央アジアからモンゴル高原西部移った。 「シリギの乱」を経て相対的に重要度下がった中央アジア戦線では、これ以後大規模な軍事衝突は3件ほどしか記録されていない。「シリギの乱」後、ウイグリスタンで最初に大規模な軍事行動起こしたのはオゴデイグユク家トクメで、1280年至元17年)にトクメ掠奪によって荒廃したカラ・ホジョでは飢饉起こり3年渡って免税が行われたと記録されている。次に大規模な衝突があったのは前述した1285年至元22年)で、ドゥアとブスマ兄弟アスト部バイダルらと戦った記録されている。なお、この時の戦争は翌1286年至元23年)まで続いたようで、ミンガン李進といった軍人ビシュバリク(ビシュ・バルガス/別失八剌哈思)一帯で「カイドゥドゥア海都・篤娃)」の軍勢戦った記されている。 一方天山ウイグル王家度重なる戦乱によってウイグリスタンに留まることができず、クムル甘木里、モンゴル語ではハミル)から更に東方永昌移住することになった永昌はかつての甘州ウイグル故地でもあり、ウイグル人にとっては居心地良い移住であったため、ウイグル王家永昌に根を下ろすことになったウイグル王家クムル移住し、その地でコチカル・テギン死去した時期その子ネウリン・テギン永昌移住した時期はいずれ不明であるが、「カラ・ホジョの戦い至元12年)」以降至元23年以前のことであると推測されている。 クビライ時代におけるウイグリスタン最後軍事衝突は、1290年至元27年)のジャンギ(章吉)によるクムル攻撃であった。「ジャンギ」はカイドゥ・ウルスに亡命したアリクブケの子メリク・テムル家臣見られ、これを迎え撃ったのはチュベイバイダカン大元ウルス亡命したチャガタイ諸王であった杉山正明は以上のようなウイグリスタン攻防戦総括して「(ウイグリスタン方面における)めぼしい軍事衝突2・3程度しかなかった」こと、戦闘そのものよりもカイドゥ・ウルスに対抗するためこの方面に配備されチャガタイ諸王チュベイ頂点とするひとまとまり勢力(チュベイ・ウルス)を形成したことがこの地方歴史多大な影響残したことを指摘する。 以上のように、クビライの治世通じてウイグリスタンでは大元ウルスとカイドゥ・ウルスの間で一進一退の攻防繰り広げられ両者勢力はウイグリスタンで拮抗していた。これを裏付けるように、『集史』ではクビライの治世末期こととして、 ウイグリスタンは「クビライカイドゥ両方属する状態にあった」と述べている。

※この「13世紀末の攻防」の解説は、「カラ・ホジョの戦い」の解説の一部です。
「13世紀末の攻防」を含む「カラ・ホジョの戦い」の記事については、「カラ・ホジョの戦い」の概要を参照ください。

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