ジャンギとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャンギの意味・解説 

ジャンギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ジャンギモンゴル語: J̌anggi、生没年不詳)とは、13世紀初頭にオゴデイに仕えたノコル(御家人)の一人。

元朝秘史』などの漢文史料では掌吉(zhǎngjí)と記される。「ジャンギ」という人名は、「結び目、約束、噂」を意味するモンゴル語に由来する[1]

概要

『元朝秘史』によると、バトゥのヨーロッパ遠征中にバトゥと仲違いして戦線離脱したグユクに対してオゴデイが激怒した際、イルチダイやコンゴタイらともにオゴデイを諫めたのがジャンギ(掌吉)なる人物であったという[2]。イルチダイ、ジャンギらはチンギス・カンジャルリグ(聖旨)に「外での事は外にて裁くべく、家でのことは家にて裁くべきもの」とあることを引き、グユクの処罰はあくまで遠征軍の総帥バトゥに委ねるべきだと進言した。これに対し、オゴデイは「燃える怒りも側なる僚臣となりて和められ、沸き立つ鍋も大いなる杓子となりて冷やされ」たと述べ、この進言を受け容れたという[3]

また、『元史』巻3憲宗本紀にはモンケの即位直後、かつてオゴデイ家内での皇位継承を支持してモンケの即位に反対したイェスン・テエ、イルチダイ、「ジャンギ(暢吉)」らがシレムンを戴いてクーデターを計画したため全員処刑されたと記されるが[4]、この「暢吉」は『元朝秘史』で言及されるジャンギ(掌吉)と同一人物であると考えられている[5]

脚注

  1. ^ 村上1976,351頁
  2. ^ 村上1976,342頁
  3. ^ 村上1976,344頁
  4. ^ 『元史』巻3憲宗本紀,「元年辛亥……葉孫脱・按只帯・暢吉・爪難・合答曲憐・阿里出及剛疙疸・阿散・忽都魯等、務持両端、坐誘諸王為乱、並伏誅」
  5. ^ 村上1976,350-351頁

参考文献

  • 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
  • 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジャンギのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャンギ」の関連用語

ジャンギのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャンギのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャンギ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS