13世紀頃の地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:00 UTC 版)
1099年の康和地震から263年の間隔があり、南海トラフ沿いの巨大地震とされる正平地震以降の間隔である約90 - 150年よりも長くなっている。この間にも記録にない地震があった可能性が考えられている。 静岡市の上土遺跡では鎌倉時代の地割れや正断層が発見され、この時期の東海道沿いの地震の存在が浮上した。 和歌山県箕島の藤波遺跡において13世紀の液状化現象によると見られる噴砂の痕跡が発見される。 那智勝浦町川関遺跡では12世紀後半に廃絶した倉庫跡を囲むように地割れに砂礫層が堆積した痕跡が発見された。 大阪府堺市の石津太神社遺跡において13世紀前半に生じたとされる砂脈が発見される。 『明月記』、『平戸記』、『百錬抄』および『吾妻鏡』などに京都や鎌倉における13世紀前半の強震の記録が幾つか見られるが、南海トラフ沿いの地震とする確たる証拠は発見されていない。この時期の東海・南海地震の発生時期を歴史記録から推定する試みもある。 『平家物語』および『方丈記』に現れる津波被害と推定される記録から、1185年の畿内付近の大地震と推定されている文治地震を南海トラフ沿いの巨大地震とする見方もあるが、被害の様相から琵琶湖西岸断層帯南部の活動による内陸地殻内地震との説が有力視される。また、京都の強震動と高い余震活動、奈良・摂津四天王寺の無被害は、南海トラフ沿いの地震とは様相が異なり、内陸浅発地震を強く示唆するものである。 1998年時点の地震調査研究推進本部による南海トラフ沿いの巨大地震の長期評価の試算で、暫定的にデータセットとして用いられた、貞永2年(天福元年)2月5日(1233年3月17日[J]、3月24日[G])に発生したとされる天福地震も、中世に関して信頼度が低い『蓮専寺記』の「五日大地震、大風大雨にて諸国大荒、諸方にて人死之数不知、家潰事数不知候」以外に記録が見当たらず、存在が疑問視されている。 南海トラフ沿いの巨大地震は200年程度あるいはそれ以上の発生間隔が本来の姿であるとする見方もある。
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