鵜川スキー場とは? わかりやすく解説

鵜川スキー場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 00:43 UTC 版)

女谷」の記事における「鵜川スキー場」の解説

昭和42年有志により女谷天狗の地(標高200m)を利用し開場年々整備進みゲレンデ広さは6万平メートル程。またスロープ安全性定評があり初級中級向けでファミリー向けのスキー場だった。さらに、県内でも有数豪雪地帯であったため、雪解け遅く12月から3月末までと立地良い地域年は比較長い期間利用できるのも特徴一つであった会場当初のまだ休憩所がない段階では、鵜川中学校体育館借りて時折豚汁提供し利用者アンケート実施して利便性の向上を図っていた。 昭和44年2月16日には米峯スキークラブ会長協力のもと、第1回市民スキー学校天狗スロープ開催された。当日には、市長等が出席していた。また、同年3月2日第2回スキー教室には元オリンピック選手新潟県スキー連盟顧問でもある上石巌氏が出席した当初有志開場されたスキー場であったが、昭和44年活発に活動したことが関係してか、柏崎市正式にスキー場設置する交渉開始結果鵜川全戸加入が望ましいとの返答を受け、全戸加入鵜川観光協会設立して、そこに鵜川スキー場専門部を置くこととなった7月28日には観光協会創立総会が行われ、規約制定し施行された。 そして、同年12月25日には満を辞して第一回スキー場開きが行われた。その際古老からの示唆により”スキー場開きには名士が集まるであろうから”と珍味の狸汁振る舞うこととなった以来狸汁の提供は長く続いた昭和45年10月25日には第1回鵜川地区スキー大会開催されるなど活発に活動するとともに設備拡充進んだ同年10・11月には長さ100mロープ塔休憩所完成し設置された。休憩所には食堂売店・貸スキー室などが設けられた。また、同時期に案内板柏崎駅など各所設置した翌年46年には1,400平方メートル収容台数70台の駐車場整備され市内医師寄付によりナイター設備完成。そのため、土曜から月曜日までと祝日夜間滑れた。昭和49年にはミニジャンプ台も併設された。 しかし、スキー客の近郊への流出設備の老朽化により利用者減少30年合計18万人訪れピーク時には1シーズン8,000人の来場者記録した鵜川スキー場は1999年平成11年)に30年歴史に幕閉じ閉鎖した

※この「鵜川スキー場」の解説は、「女谷」の解説の一部です。
「鵜川スキー場」を含む「女谷」の記事については、「女谷」の概要を参照ください。

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