高速DEとDX/DXG構想
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「スプルーアンス級駆逐艦」の記事における「高速DEとDX/DXG構想」の解説
対潜戦のパッシブ化に伴う広域化を受けて、この時期、航洋護衛艦(DE)についても高速化が志向されていた。1964年3月17日、海軍作戦部長の指示により、1966年度計画艦には30ノットを発揮できて即応性に優れた主機を、そして1968年度計画艦にはシーホーク計画艦の主機を搭載して35ノットを狙うこととなった。まず1964年6月、チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦の主機(70,000馬力)を搭載する案が作成された。また11月には、従来の航洋護衛艦を元にした設計にCOGAG主機を組み合わせて35ノットを発揮する設計が作成された。実際には1968年度計画で航洋護衛艦は建造されず、また建造されたとしても従来のノックス級と大きな差異が生じたかは不確実であるが、これらの検討は後のDX/DXG構想の底流の一つとなった。 一方、1962年度計画以降、防空ミサイル艦の建造は途絶えていたことから、こちらの建造も検討されていた。当時、ミサイル巡洋艦12隻、ミサイル嚮導駆逐艦30隻、ミサイル駆逐艦31隻、ミサイル航洋護衛艦6隻の計79隻が就役しており、15個の空母機動群に4隻ずつ、4個の対潜空母機動群に2隻ずつ、その他の任務に11隻を配分する計画となっており、一応は充足していた。しかしミサイル巡洋艦の大部分は、大戦世代の砲装型巡洋艦を改装したもので、まもなく退役時期を迎えるであろうし、その場合にはミサイル艦不足に陥ることが予想された。 これらの情勢を受けて、シーホーク計画が中止されたのち、1966年より国防長官府において、DX/DXG構想が開始された。これは、大戦型駆逐艦の代替たる対潜艦DXとともに、その設計に基づいて艦隊防空システムを搭載した防空艦としてDXGを建造するという構想であった。このDXGは、ミサイル駆逐艦(DDG)というよりは実質的にミサイル嚮導駆逐艦(DLG)に近いものであり、DXはその武装削減版というべきものとなっていた。1966年当時の初期計画では、1969年度から74年度の間にDXを75隻、DXGを18隻建造して、計画全体での合計コストは24億ドルとなる予定であった。その設計に当たっては、変化に応じる設計が標榜されており、また、コスト削減のため、一括調達方式が採用された。これは、海軍がコンセプト形成を行なって、これに対して最適な提案を行なった事業者に対して一括して契約するものである。 1967年末にはコンセプト形成はほぼ完了しており、1968年1月、大統領のメモによって要目が承認された。同年、各造船所に対して、設計と建造計画の提示が求められた。これに応募したのは、ニューポート・ニューズ造船所、エイボンデール造船所、バス鉄工所、トッド造船所、ジェネラル・ダイナミクス・クインシー、そしてリットン・インガルス(リットン・インダストリーズ、現ノースロップ・グラマン・シップ・システムズ)であったが、1970年6月、リットン・インダストリーズが勝者として、DX 30隻の建造を受注した。予算化は1970年度計画から1978年度計画となった。
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