高知ファイティングドッグス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 02:41 UTC 版)
「蔣智賢」の記事における「高知ファイティングドッグス時代」の解説
2015年3月4日に日本を活動拠点とする四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへ入団した。前期シーズンは打率.347、本塁打7本を記録し、打率は前期終了時点でリーグトップだった。
※この「高知ファイティングドッグス時代」の解説は、「蔣智賢」の解説の一部です。
「高知ファイティングドッグス時代」を含む「蔣智賢」の記事については、「蔣智賢」の概要を参照ください。
高知ファイティングドッグス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:44 UTC 版)
「マニー・ラミレス」の記事における「高知ファイティングドッグス時代」の解説
2016年12月、日本の独立リーグである四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへの入団を検討していると日本のスポーツ紙で報じられた。この報道に対して高知球団側はその時点ではラミレス側と直接の接触を取っている状態ではなく、具体的な話には至っていないとしていた。 年が明けた2017年1月9日、高知球団はラミレスとの入団交渉がまとまり契約が合意に至ったと発表した。背番号は99。高知球団オーナーの北古味鈴太郎によると、前年秋にアメリカで実施したトライアウトを契機に接触があり、その後の交渉では所属選手のザック・コルビーの援助があったという。 3月7日に成田空港経由で高知入りし、成田空港では周囲に人が集まって警備員が注意する一幕もあった。3月9日に高知市内で記者会見を開き、情熱がある限り野球を続けたい、NPB入りも視野に入れていると述べた。球団関係者から、登録名が「マニー」になること、4番・指名打者で起用する方針であることも明らかにされた。契約内容については球団側は当初非公表としていたが、4月20日になって契約期間が(NPBへの今季の移籍期限となる)7月31日までであること、リーグの公式戦に出場するのは前期日程が終了する5月までであることを明らかにした。球団では8月以降の契約については引き続き交渉中としていた。前期は18試合に出場、打率.460、3本塁打、20打点の成績を残した。前期最終戦後の会見では、高知と契約を更新するかどうかはアメリカへの帰国後に家族と相談して決めると述べた。7月7日、後期も高知でプレーすることが発表された。契約は9月末までで、チームがリーグ優勝してグランドチャンピオンシップに出場する場合は別途契約交渉をおこなうとされていた。しかし、後期途中の8月17日に「右膝の治療」を理由として帰国した。リーグは8月19日付でラミレスの選手登録を抹消(練習生に変更)した。その後ラミレス側から経過報告などが球団になされることがないまま、シーズン終了まで帰国せず、最終的な打撃成績は23試合に出場して打率.413、3本塁打、22打点であった。高知がリーグチャンピオンシップへの出場を逃してポストシーズンゲームはなくなったため、2017年の高知でのプレーは終了した。 シーズン終了後の10月の時点で高知球団社長の梶田宙は「今のところ交渉はしていない」とし、監督の駒田徳広も「まずは本人が現役を続けるかが先」と述べていた。リーグや球団から正式な退団告知はなされていないが、2018年3月29日に発表された同年シーズンの選手登録には含まれておらず、事実上高知を退団した形となっている。 後に報じられたところでは、高知在籍当時、寮での居住は免除されて高知市内の高級ホテルで暮らし、飲食店でも球団オーナーの計らいでつけ払いであったという。
※この「高知ファイティングドッグス時代」の解説は、「マニー・ラミレス」の解説の一部です。
「高知ファイティングドッグス時代」を含む「マニー・ラミレス」の記事については、「マニー・ラミレス」の概要を参照ください。
- 高知ファイティングドッグス時代のページへのリンク