頂点からの凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 06:58 UTC 版)
「ビデオゲームの墓場」の記事における「頂点からの凋落」の解説
1976年、ワーナー・コミュニケーションズ(現:ワーナーメディア)に2800万ドルで買収されたアタリは、1982年には市場価値が20億ドルにまで成長。当時のビデオゲーム市場はアタリがシェアの80%を占めるなど隆盛を極め、ワーナーの営業利益の約65 - 70%はアタリの売り上げで成り立つほどであった。 アーケードゲームの家庭用移植を主とするアタリは、『アステロイド』や『スペースインベーダー』などの移植版で大ヒットを記録。その流れを受け、1982年3月にはアーケードゲームとして根強い人気があった『パックマン』(英語版)をAtari 2600(以下「2600」と表記)用に移植し、当時の2600の出荷台数・1000万台を優に超える1200万本の出荷計画を打ち立てた。これにより5億ドルの売上高をソフトのみで見込んだほか、本体の出荷台数も相乗効果で数百万台伸びると予測したが、市場に出回ったソフトの劣悪な内容から、700万本の出荷記録とは裏腹に500万本のデッドストックを生み、相当数が返品されたという。 この失敗から程なくしてワーナーとスティーヴン・スピルバーグの間で交渉が行われ、映画『E.T.』のゲーム化を決定。本作は映画ベースのストーリーながら完全な新作(既存アーケード作品の移植ではない)として製作を開始したが、差し迫ったクリスマスシーズンに間に合わせるため、プログラマーであるハワード・スコット・ウォーショウが1名、かつ短期間で開発を行った。完成にこぎつけた一方で性急かつリソース不足の開発に無理が祟り、発売前後で既に内容の劣悪さを酷評され、発売月の1982年12月には製造した500万本のうちの150万本が売れたのみで、半数以上が在庫化した。『ビルボード』誌によれば「競争の激化とともに小売業者はアタリへ返品の要求をしたが、この大量の不良在庫も一因であった」としている。 一方、『パックマン』や『E.T.』で軒並み高い売上を予測していたアタリは、販売店へ1982年度分の注文を一度に入れるよう要請。また、同年度の第4四半期には翌1983年度の成長率を50%と見込んでいたが、予想以上の販売伸び悩みで販売店側から大量返品が行われたために、数百万本ものデッドストックを抱え、12月7日の報告書で「売上高が10 - 15%程度の上昇」と下方修正する。報告書の発表翌日にはワーナーの株価が1/3まで下落し、四半期終了時には56%の利益減も招いたほか、アタリのCEOであったレイ・カサール (Ray Kassar) が「業績報告書の発表23分前に自社株5000株を売却した」として、インサイダー取引容疑で取調べを受ける事態となる。嫌疑自体は後に晴れたものの、7月には辞任に至った。 これらの要因が積み重なった結果、アタリは1983年には5億ドル以上の損失を出し、1985年にはワーナーからも売却されている。
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